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味な話の素
No.12 2004年4月号(349-378)
 

幼稚園に行けなかった話(04/04/30-378)
 
少しばかり小高くなった地点から八幡の市街地が見える。現在の北九州市八幡区である。おそらく2月のことだろう、雪が舞っている。それは昭和28年(1953)だったのだろうか。母は私の手を握って歩いている。どこか定かではないが、その日は幼稚園に向かっていたはずだ。そんなイメージが心に残っている。それは、私がこの目で見た現実だったのか、それとも母から聞かされた話から私が作りあげた心象なのか。今となっては分からない。少なくとも、両親は私を幼稚園に行かせるつもりだったようだ。ところが「定員いっぱいです」と断られたという。「何と言ってもあなたたちは同じ年の子どもがたくさんいるのよ。だから幼稚園に行って入れてくれるように頼んだんだけど、もういっぱいで駄目だった」。これが母の説明だった。いつごろ聞いたのかも記憶にない。おそらく小学生のときだったのではないか。早くも自分が「団塊の世代」の一員であることを意識したのだった。とにかく、われわれは同じ年に270万人ほど生まれているのだ。いま教育界は少子化の大波を被って喘いでいる。本当に時代が変わっててしまった。ともあれ、両親が入園を頼んだ幼稚園が複数だったのかどうかも分からない。それに、申し込みが遅かったのかどうか。あるいは、くじ引きだったのか…。ともあれ、雪の降る日に幼稚園に行ったこと。それだけが妙に記憶に残っているのはどうしてなのだろう。母は47歳でなくなってしまった。元気でいれば、まだ78歳。幼稚園にまつわる話も十分に聞けたはずなのに…。
自己責任?(04/04/29-377)
 本当に1年が経ってしまった。毎日、あれやこれやと脈絡もなく書いてきた。とにかく今年は閏年でもあり366日ずっと継続したことには正直なところ心の中でにんまりしている。さて、新たなる2年目のスタートである本日の話題。通勤途上のこと。30メートルほど先に信号がある。そこに近づいていった。歩行者用は赤で二人のご婦人が楽しそうに話している。まずは、いま青になっている方向にどんどん車が通る。しばらくすると、それとクロスする信号が青に変わる。しかし、そこはスクランブル交差点だ。だから、歩行者の信号は赤のままである。車の信号は二つとも青が長いから、「通勤用」の本を出して読み始めた。女性二人はまだ話を続けている。まだ信号は赤に違いない。ところが半ページほど読んでふと前を見ると、何と歩行者信号が青になっているではないか。しかも、点滅しながら「もうすぐ赤よ」と言っている。「こりゃあいかんばい」とあわてて渡った。それでもあのご婦人たちはしゃべってた。何のことはない、この二人は信号待ちをしてるんじゃなかったのだ。あーまぎらわしや。そんなら、信号の前なんかで話さんといてよ。なあんて文句は言えないか。なにせ信号のチェックなんて自己責任だよね。人に頼ってはいけませんたい。ところで、車と歩行者を分断するスクランブル信号。これって、日本の第1号は熊本に設置されたことはご存じですか。それは1969年3月5日のこと。熊本大学にも近い旧国道57号線にある子飼交差点がスタートなのです。熊本では新し物好きを「わさもん」という。ご当地は、この「わさもん」が多い。スクランブルも「わさもん精神」発揮というところだ。これは辞書にある「早物(わさもの)」の訛りだろう。
おかげさまで、昨年4月29日のスタート以来、本日をもって1年を迎えました。われながら、何という粘着質だことよと苦笑しております。
そりゃあいかんばい(04/04/28-376)
 「いかんいかん、そりゃあいかん。おとっつぁんに怒らるる…」。これは昭和39年に高校に入学した年か翌年の文化祭(?)で聞いた台詞だ。演劇部の公演だったと思う。主演の一人だった女性の台詞である。彼女のお名前も忘れたが、とても魅力的な人だった。だから、この台詞を今でも記憶しているわけだ。あー懐かしや。ところで、このごろ大臣が国民年金を納めていなかったことが騒ぎを起こしてる。「いかんいかん、そりゃあいかんばい」。ご本人たちに「悪意」があったなんてだれも思っていない。お金に困ってるわけでもない。ほんとうに「うっかり」だったに違いない。ただ若者を中心に保険料を納めない人が増えているというときに、大臣が納めてないなんて…。そりゃあ、「単に知らんかった」じゃあすまんですたい。「交通ルールを守れ」といいながら子どもの前で信号無視してるみたいなもんだ。こんな時期なんだから、少なくとも「そういえば、自分だって大丈夫かいな」くらいは考えなくっちゃあね。そうであれば、もっともっと早い時期に「告白」できたのに。それに、自分で調べなくってって、秘書さんもいるじゃあないですか。やっぱし「庶民とは違うんだ」と思ってしまいますよね。とくにお三方とも、どちらかと言えば押しも強く、いつもきっちり発言なさってます。それだけに、今回のことは影響も大きいわけですよ。いやー、とにかく「そりゃあいかんばい」。
第二新卒(04/04/27-375)
 出勤前のNHKテレビだからちゃんと見ていないが、新しいことばを聞いた。「第二新卒」。これは、卒業したてではなく、何年かほかの職場で仕事をした若者が、あらためて「新卒」として採用されることらしい。セールスですごい成績をあげた男性が商社のトーメンに採用された。国内での経験を世界に広げて活かしたいという。採用側も、教育不要というわけではないが、交渉の基礎的な力などもあって評価が高い。それに、社会を知らない本物の「新卒」の刺激になるという。そんなこともあってか、東京海上では「第二新卒」であることは明らかにしていない。これによって、若者の流動性が高まることになるのだろう。「ヘッドハンティング」の若年化といえるかもしれない。その経緯からほとんどが20代半ばの感じだが、こうした人々がその後、組織の中でどうなるのか。さらに流動化していくのかどうか。その結果で社会や組織はかなり違ってくるだろう。ところで、この話題の中で「トーメン」や「東京海上」などの社名がボンボンでてくる。NHKといえば、昔は「会社名」を入れるのは必死で避けていた。しかし、このごろはそうでもないようだ。それの方が自然だと思う。特定の会社だけを何度も出すのはどうかと思うが、現実の社会で起きていることを伝えるのだから、無理しすぎるとかえって滑稽になる。第一、スポーツニュースではダイエー・西武・日本ハム・オリックス・近鉄ですものね。そういえば、昔は、東映とか西鉄、阪急に日拓ホーム、クラウンライター、太平洋クラブなどなどいろいろありましたね。そうそう、国鉄スワローズもありでした。ちょっと話が逸れすぎ!

油の値段のつづき(04/04/26-374)
 先日、ガソリン価格に関する New York Times の記事をご紹介した。とりあえず将来の高騰を心配しているように見えた。しかし、全体の論調は、少なくとも「限界説」が唱える「あと10年」ということはないだろうというものだ。せっせといろいろな地域に石油を求め、また探索技術も驚くほど進んで、限界は先延ばしになっている。たとえば、ロシアの生産量は1998年から45%も増えているという。推定の埋蔵量がかえって増える現象はわれわれが子どものころから聞いていたことだ。しかし、湾岸諸国の埋蔵量は政治的な理由から過大に評価されていると指摘するものもいる。そのあたりは何とも分からない。ただ、このまま使い放題でいいというわけにはいかない。それに、中国やインドの急速な経済成長で世界の需要は10年後には20%を増えるともいう。この日の New York Times の結論はこうだ。石油に関して障害になるのは供給の問題ではない。それは少なくとも2,30年先のことだ。むしろ問題は、生産国の政策と世界経済の動向次第である。

水に流す(04/04/25-373)
 毎日ひげを剃る。カミソリと電気のシェーバーを使う。どちらかを連続して使っているうちに飽きがきて、道具を交代する。たとえばカミソリにずっと世話になっていたら、しばらくしてシェーバーに替える。その時は替えた方がよく剃れるような気がする。それは気分だけなのか本当にそうなのか分からない。このことはかなり前に書いた。今日の話題は水のすごさだ。最近では水洗いできるシェーバーがある。わたしもかなりの新し物好き。けっこう以前に水洗い可能なシェーバーを買った。それ以来ときどき水で洗う。すると粉のようになったひげがさっと流れていく。刃を乾かしてからブラシでチェックしてみるが、まったくと言っていいほど残っていない。これは見事と言うほかないのだ。専用のブラシで掃除をしても、ひげのかすは残っている。それが、まるで新品のようになるのである。水の持っている力はものすごいと感心する。水に大感謝したい。日本語で「水に流す」という。過去のことは忘れて、なかったことにするのである。昔の人はうまいことを言ったものだ。何でもかんでも水を使えば流してしまえるのである。しかも、その効果はほとんど完璧である。もっとも、「タダ」の水に調子に乗って無責任に過去を忘れてはまずい。責任を水に負わせてはいけないのである。それに、水は長い時間をかけて岩をも穿つのである。とにかく水はえらい。
油の値段(04/04/24-372)
 「1ガロン7ドル時代がやってくる」。こんな感じの見出しがNew York Timesの1面で踊っている。4月2日のことだ。1ガロンはアメリカで3.785リットル。イギリスは4.546リットルらしい。なんでこうなるの。まことにややこしい。ともあれ、アメリカで1ガロン7ドルとなると、1ドルが110円として1リットル203円くらいになる。これはかなり高い。新聞には1950年のガソリンスタンドの写真が載っている。それを見ると27.9セントである。戦後値段史年表(朝日新聞)によると、同じ年のガソリンは11円30銭だ。当時は1ドルが360円だった。これで換算すると26円から27円になる。ガソリンの絶対価格はアメリカの方が高かったのだ。しかし、それは1ドルが360円であるから当然で、それだけ海外の品物が高くて手に入らなかったことになる。そのとき、封書の切手代が8円である。現在が80円だから10倍だ。ガソリンも110円くらいになっているから、割合からいえばほとんど変わらない感じもする。ともあれ、アメリカでは近い将来7ドルくらいになるのではないかというのである。実際はカリフォルニアで3月末にスタンドに掛けられた3ドルの看板が載っている。OPECが増産を決めなかったことが影響しているという。日本では、この点を心配する記事は見ないような気がする。
取り損ないました(04/04/23-371)
 先日病院に行ったときのお話。診察を終えて支払い窓口で待っていた。名前を呼ばれたので立ち上がった。わたしより前の人がいて、その方に窓口の担当者が声をかけた。「○○さん、先日の料金を『取り損なっていました』ので、今日はその分も…」。これには笑ってしまった。伝えたい内容は何の問題もない。ただ、患者に「取り損なってました」はないよなと思う。どう考えたって「いただいておりませんでした」「頂戴しておりませんでした」といった感じだろう。ともあれ、サービス窓口での日本語はなかなか難しい。このごろ「よろしかったですか」が話題になる。わたしも、この言い回しにはどうも違和感がある。やっぱし、「よろしいでしょうか」だろう。「よろしかった」では、もうことが終わっちまっている。こちらの気持ちが配慮されていないニュアンスがある。だめなときは「よろしくなかった」と答えるんだろうか。「よろしいですか」と聞かれるから、「いいえ、よろしくないですよ」と答えられるのだ。あるいは「よろしいですよ」と頷ける。「よろしかった」では事実を過去にしてしまってる。終わったことに文句を言うななんてつもりはないでしょうに。会話は今という時間が大切なのだ。コミュニケーションは「いま、ここで」こそ生きてくる。「あのとき、あそこ」では他人事のようになってしまう。ただし20代の息子は言う。「そうムキにならなくってもいいんじゃない」と…。
もう一つの教科書問題(04/04/22-370)
 学生を対象にした入門書はどんな領域にもあるはずだ。心理学にもたくさんある。もちろん、よくできたものもあるが、「これって本当に入門書かしら」と頭を傾げたくなる本も少なくない。たいていの場合が複数で書いているから、個人差が露骨に出ることがある。それらを統一する責任は編者にあるのだが、徹底していないことがある。しかも、編者の担当している部分の方が「どうかいな」と思うこともあるから笑ってしまう。とにかく、読む側の立場に立ってない。「入門書」と言っておきながら入門書になっていないのだ。なんのことはない。結局は自分の専門のことだけ書いているのである。まあ、その点は仕方ないが、それにしても、いきなり専門用語が出てきたりする。ある特定の点だけにこだわりすぎるなどなど…。まだまだ純粋な学生のころ、「入門書」を読んでいて、そこここに分からないこと、面白くないことが書いてある。「自分って、この領域は向いてないのかなー」などと考えたこともある。今から思うと、それって本の方にも問題があったのではないかという気がする。あまり人のせいにしてはいけないが、やっぱし書く方が考えなければと思う。もっとも、今日は自分のことは棚に上げているので悪しからず。ここまで書くと、あとが恐ーいですな。

教科書問題(04/04/21-369)
 もう時効になるほど昔の話。中国地方にある国立大学の先生から電話がかかった。それまでまったく知らない方である。「私たちはいま学生向けの『教科書』づくりを計画しています。先生にもぜひご執筆いただきたいのですが…」。まあこんな話である。だれか私のことを紹介したのかとは思ったが、そのときは話題にならなかった。とにかく「書いてみないか」というわけだ。なにせ、わたしは石原東京都知事とは違って軟弱派である。彼は「Noと言える日本」で売ったが、わたしは「Yesしか言わない吉田」だ。まあ、それで「売れてる」わけではないけどね。しかし、それでもその時はあまり得意の領域ではなかったのでお断りの方向で答えていた。頼まれた内容も記憶にないほど昔のことなのですよ。「それでも、なんとか」。こんな会話が少々続いた。わたしも「そこまでおっしゃるなら」と、またぞろ、その気になりはじめた。ただ、一つだけは申し上げておいた方がいいと思うことがあった。わたしはこう言ったのである。「わかりました。ただし、わたしは今のところ、今回ご依頼に関係した授業はしていません。ですから、学生に教科書として使ってもらうことはできませんが…」。相手の答えはご想像のとおり。「えっ、そうなんですか。それではこの話はなかったことに…」。これってなんなんだろうねえ。いまだに忘れない思い出。ご心配におよびません。先生のお名前は忘れてしまいましたから。大学名ははかすかに憶えていますがね…。

やむを得ず型フリーター(04/04/20-368)
 
フリーターの3番目のタイプは「やむを得ず型」となる。日本労働研究機構研究所の分類である。このタイプはさらに、「正規雇用志向型」「期間限定型」「プライベート・トラブル型」に分けられる。「正規雇用志向型」は、基本的に正規の雇用を望んでいるが、現時点ではフリーターになっている人たちである。特定の職業に就きたいと思っているが、ままならないということだ。また、正社員に近い派遣を選んだ者もここに含まれている。「期間限定型」は、学費を稼ぐとか、入学や就職までの一定の期間に限って仕事をする人たち。これは従来のアルバイトに近いかもしれない。学費が目的の場合は大変だが、待ちの時間を活用する方はまだ気持ちに余裕がありそうだ。「プライベート・トラブル型」は、本人や家族の病気、倒産などで働けなくなったことによるフリーターとされる。異性関係とのトラブルも含まれている。職場に居辛くなったということか。この場合はそれこそ「自己責任」と言われそうだが、病気や倒産などで仕事を失うのは辛い。ともあれ、日本国憲法第27条1項には、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と書かれている。 しかし、そんなことを言われるまでもなく、「働くこと」は生きていることの証でもある。ぜひとも流れに漂う floater にはならないようにしたいものである。なお、研究所のデータでは、「フリーターの6割は女性、年齢層は20歳代前半層までが中心」とされている。
校長先生のパワー(04/04/19-367)
 
附属校長時代に何回か経験した思い出話。それは「校長」ということばが与えるインパクトの大きさである。わたしは、ずっと前から教育学部の教員であり、校長は「併任」であった。そのことを十二分に承知していたから、「校長」であることを人に伝える場合でも、あくまで「併任」を強調していた。しかし、在任中はいわゆる校長宛の公的な文書だけでなく、ほとんど私信に近い書簡も、附属中学校に届けられることが多かった。それは、わたしの名前に「附属中学校長」と肩書きがついていたからである。それを見るたびに、「校長」先生というのは重いんだなあと思ったものだ。あるいは、「校長」としないと、「失礼」だと考えた方もおられたのだろうか。やや格好ツケで申し訳ないが、わたしってその種のことにはほとんど無頓着なのである。だから、むしろ「校長」と呼ばれることに、慣れないが故の気恥ずかしさも感じていた。なにせ教員免許ももっていないんですから…。その上、私自身が歴代校長の中で最も「軽い校長」であることを自認していた。その根拠はいろいろあるが、これからも最軽量の記録は破られない自信がある。いずれにしても、「校長先生って、偉いんだなあ」などと感心しながら過ごしていた。もちろん「本物」の校長先生は大変ですよね。
夢追求型フリーター(04/04/18-366)
 フリーター物語のつづき。前回は「モラトリアム型」を見たが、今日は「夢追求型」。日本労働研究機構研究所は、このタイプを芸能志向型と職人・フリーランス志向型の2つに分けている。演劇や俳優など芸能関係の仕事をしたいという人たちである。歌手を目指している人もいる。世の中で売れれば、苦労した時代も思い出話になる。しかし、その影には夢を見ただけでおしまいの人の方が圧倒的に多いはずだ。このタイプは昔からいた。ただ、いつのころからか「この人ほんとに歌手なんかいな」と思いたくなる人が歌を歌ったりしている。なーんか知らないけど、ご本人も不幸だなと余計な心配もする。やっぱし、プロなんだから本物じゃないとね。「フリーランス」は、もともと中世の傭兵を指す用語だった
自由契約の記者や作家、あるいは専属先がない俳優や歌手などの意味で使われる。この2つが「夢追求型」というわけである。たしかに、芸能人になることなどは、それを願っている人には「夢」なんだろうな。まあ、なんにしても、自立できればいいが、そのあたりは、かなり厳しそうだ。考えてみれば、昔は夢がたくさんあった。なにせ、ほしいものがいっぱい、したことがいっぱい。それが、このごろは若者に夢がなくなったという。そんな時代に、「夢追求型」の「フリーター」が増えているというのも、なんだか皮肉な感じもする。
海底油田(04/04/17-365) 
 中国が世界の石油に関心を持っているというNew York Timesの記事について15日に書いた。それに関連して毎日新聞を思い出した。今年の2月8日のシリーズ「平和立国の試練B」である。東シナ海の日中の中間線からわずかに中国側に入った地点に油田施設があるらしい。突きだしたパイプからは炎が上がっているという。地図を見ると沖縄と上海を直線で結んだ線の少し北側で中国寄りのところである。算出された石油や天然ガスは400km離れた本土に送られている。この施設は98年にできたらしいが、海底への杭打ちから半月で完成したという。また、中国は海軍を急ピッチで近代化し、海洋局所属の船が盛んに海洋調査を行っている。「大陸棚の資源調査と潜水艦運航のための軍事データ集積がセットになっている」というのが海上自衛隊OBの見方のようだ。大陸棚は自国領土と地続きであることを証明できれば境界を延長できるとのこと。ただし、そのために2009年までにデータを国連に提出しなければならない。それに対応して政府は4月から調査を本格化させる。ただし、その対象は太平洋側の南鳥島周辺。すでに200カイリの排他的経済水域として認知されている。そして、「肝心の」東シナ海側は当面調査する予定はないという…。
モラトリアム型フリーター(04/04/16-364) 
 「フリーター」の続編。日本労働研究機構研究所がフリーターを3つに分類しているが、「モラトリアム型」はその一つ。「モラトリアム(moratorium)」は本来は債務者への支払い猶予を意味する英語である。エリクソンが心理学に取り入れたことで知られている。大人になると社会的な義務を遂行しなければならなくなる。それを先延ばしにしようとする状態のことを「モラトリアム」と名づけたのである。小此木敬吾氏が書いた「モラトリアム人間の時代」はベストセラーになったと思う。研究機構の分析では、これをさらに@離学モラトリアム型 A離職モラトリアム型に分けている。前者は、職業や将来に対する見通しを持たずに教育機関を中退・修了し、フリーターとなったタイプ。後者は、離職時に当初の見通しがはっきりしないままフリーターとなったタイプとされる。いずれにしても、先の見通しが立っていないのである。昔は仕事といってもある程度限られていた。目の前の生活もかかっていたから、「あれのこれの」といっておれなかった。えり好みしていたら食えなくなった。いまは選ぶものが多すぎて迷ってしまうのかしら。ある先生の話では、大学の相談室にも「何をすればいいかわからない」と集団で訪れる例もあるという。「うーん…」。
疾走する機関車、中国(04/04/15-363)
 久しぶりに
New York Times 314日の記事から。ただし、またぞろ中国である。「電力を求める機関車、中国」といった見出し。さらに小見出しで「2年ごとに中規模国に匹敵するエネルギー消費」となる。昨年は世界の鉄鋼の1/3近くを消費し、電力消費は15%増加した。石炭は1億トンを掘り出したが、それでも不足している。そんなことで、2020年までには、一酸化炭素の排出量は米国を上回る可能性があるという。また、現在の2倍以上のエネルギーが必要になる。そのために、少なくとも100ヵ所の発電所を建設する計画だという。それには、原子力、水力、火力が含まれる。アメリカも、そしてわが国もエネルギーを使いまくっているから偉そうなことは言えない。ただ、とにかくものすごいことが起きていることは確かだ。それでも電力は不足し、停電が頻発しているらしい。アメリカと比べて70ほども効率の悪い使い方をしているというが、水力発電もチベット高原を源にする川などの生態系を破壊するのではないかと心配している。さらに、いまや中国は石油を求めて世界中に目を向けている事実を伝えている。近くはカザフスタン、ロシアから南米、そしてカナダにまで。今年になってからは胡錦濤(Hu Jintao)国家主席は石油資源を抱えるアフリカ諸国を訪問している…。とにかくアメリカは、いや少なくともNew York Times「心配」している…。
併任と兼任(04/04/14-362)
 おかげさまで月をもって無事に附属中学校の校長を卒業した。国立大学の附属学校には大学の教員が併任する校園長がいる。これに副校長と教頭と呼ばれる立場の方がおられる。熊本大学の場合、副校長に就かれる方は公立学校の校長先生である。そんなことで、実務的な采配は副校長先生がリーダーシップをとられる。校長は併任でもあるから、学部の仕事もする。2年前、校長に就任したとき、辞令に「併任」と書かれていた。その直前まで、大学にある生涯学習教育研究センターの兼任教員だった。そこで、「兼任」との違いが気になって、総務係長に聞いてみた。やはり両者には明確な違いがあった。「兼任」の方は、あくまで本職にウエイトがある。したがって、軸足は本務で、もう一つを「兼ねる」ということである。それに対して「併任」は「併(なら)べて」仕事をするのだ。つまり軸足は両方にあるという。なあるほどちゃんと区別されていたんだ。それはともあれ、松岡謙二副校長先生をはじめ附属中学校教職員のみなさんのおかげで楽しく充実した2年間を過ごさせていただいた。わたしの人生に予想もしなかった大きな思い出が加わった。心から感謝申し上げたい。松岡先生は4月から公立の校長先生に復帰された。そうそう、子どもたちや保護者のみなさんにも大感謝。
Free-terとFloater(04/04/13-361)
 ようやく景気にかすかな火が見えたらしい。とはいうものの若い人の仕事探しは大変なようだ。いまではフリーターが400万人を超えたなどとテレビでいっていた。もともとフリーターは、日本人の好きな和製英語である。英語の「フリー(Free)」とドイツ語の「アルバイター(Arbeiter)」を合成したものらしい。さすがというか、お国ではちゃんと定義をしている。平成12年版の「労働白書」によると、年齢が15歳から34歳まで。15歳の方は義務教育修了者で働く可能性が出てくる年齢だから頷ける。おしりの34歳って、どうして決めたんだろう。しかも、定義はつづく。アルバイトあるいはパートをしている人で、男性は継続した就業年数が1年から5年未満の人となる。女性は未婚で仕事を主にしている人だという。結婚したパートタイマーは含まれないことになる。男性については未婚・既婚は問わないんだろうか。日本労働研究機構研究所は、首都圏での調査結果から、フリーターを「モラトリアム型」「夢追求型」「やむを得ず型」の3つに分類している。しっかり展望をもっている人もいるようだが、どうもはっきりしない人たちもいる。英語で float といえば「漂う、あてもなくさまよう」意味がある。意思のはっきりした free-ter ならいいのだが、floater になると問題である。実際、英語のfloater は「浮き袋・救命具」と併せて、人にも使われる。しかし、この場合はあまり好ましい意味をもっていない。せっかくだから、3つの型については、日を改めてもう少し考えてみよう。
官職名(04/04/12-360)
 この4月から、わたしは「国立大学法人熊本大学」の職員になった。先月末日までは国家公務員だったが、それが非公務員型と呼ばれる立場に変わった。国家公務員の時代は「官職名」というのがあった。わたしの場合は、「文部科学教官教授」だった。官名は「文部科学教官」で、職名が「教授」というわけだ。この方式はすべての国家公務員に適応されているはずだ。辞令をもらうとそう書いてある。大辞林によれば、「1)各国家公務員に割り当てられている一定の職務と責任をもって占める地位、2)官吏の担当する役目の一般的な分類である官と、その下の具体的な類別である職、3)官制上の地位」となる。それにしても、古色蒼然、大げさではある。その起源は大化の改新にまで遡るのではないか。そして、その大本は唐の律令制度である。大仰であればあるほど、「自分たちはほかとは違う」という気分になってしまいがちだ。厳に戒めるべきことである。今回の変化で、われわれは「教官」ではなく「教員」になった。少しばかり格好つけるようだが、わたし自身はこれまでもずっと「教員」ということばを使ってきた。どうも「教官」という響きになじめなかったからである…。かなり前になるが、日航を舞台にしたテレビ・ドラマがあっていた。その中で、やたら「教官」「教官」と叫ぶセリフが気になったことがある。日航は株式会社だったはずなのに、「教官」っておかしいと思ったからである。その昔は、半官半民の特殊法人だったためだろうか。ともあれ、呼称などに惑わされず、お互いしっかり仕事をして、それを評価していただきましょうね。
友情のあり方(04/04/11-359)
 通勤途上の交差点で信号を待つ。みんなが前と横の信号を見くらべながら、青になるタイミングを測っている。ふと前を見ると、二人の女性が立っている。少し前後になっているので他人かとも思える。そのうちの一人のシャツが気になった。何というのか知らないが、男もの女ものを問わずシャツの裏にはシールみたいなものがついている。サイズとか製造会社名などが書いてあるやつだ。それが襟の外に反転して立っている。私から彼女までは距離もあったが、近くにいたとしても私が指摘するわけにもいかない。そのうち信号が青に変わった。すると、それまで重なって、他人のように見えた二人がじつににこやかに話し始めたのである。二人はお友だちだったというわけだ。ここで、「うーん」と唸ってしまう。そんなら、ちゃんとお友だちに襟からはみ出たシールのことを教えてあげなさいよ。私の見る限り、そのことに気づかないわけないと思うんだけど、どうなんだろう。この欄で「鼻くそ関係」について書いたことがある。相手の「鼻くそ」を教えてあげられる友だち関係は本物だという話だ。それに比べれば、襟元のシールくらい何のこともなく指摘できるのにと思う。その後も、じつににこやかに話しながら二人は歩いていった。
花吹雪(04/04/10-358)
 数日前のこと。朝の通勤時に市の中心部にある大甲橋を渡った。その向こうの端をみると、桜の花が舞っている。まさに、花吹雪である。いまでは時代劇か任侠映画、それとも演歌のプロモーションビデオくらいでしかお目にかかれないだろう。いやいや、そうしたものも、いつの間にか世の中から消えてしまった。その絵のような情景が朝日の中で現実に起きているのだ。なんとなく、舞台に立ったような気分になって吹雪の中を通り抜けた。少しばかりスピードを落としながら…。白川から吹き上げる風が強かったのである。ほんの数メートル幅の物語ではあったが、口元もほころんだ。こんなのっていいなー。そして、そのまま少し進むと眼前に熊本城がそびえている。少しばかり葉が見え始めたが、まだ桜は散りきっていない。グーンといい気分が加速しそうだが、ちょっと興ざめすることがある。桜の中からでっかいクレーンがお城の中に突き立っているのだ。工事か何かでやむを得ない事情があるのだろうが、せめて桜が散るまで待ってもらえないものかと思ってしまう。まあ、それはともあれ、たまたま風に舞う桜に出会っただけなのだが、これがその日のエネルギーになる。ありがたや、ありがたや。
20グラムの人生(04/04/09-357)
  USBフラッシュメモリーというものがある。パソコンのUSBポートと呼ばれる穴に差し込んで使う。これがフロッピーと同じ仕事をする。文書や写真などを保存したり、そこから読み込んだりするのだ。手元にある仕様書を見ると、幅・高さ・奥行きが17.8×10.5×79mmの小さなものである。ふつうの爪切りよりも少し幅があるくらいだが、それよりも薄い。しかも、重さは20グラムだ。とても小さくて軽いから、持ち運びもまったく気にならない。最近流行の顔写真入りネームプレートと同じように、首に掛けている人も多い。驚くのは、その容量である。いま最大のものは1G(ギガ)だ。これはギリシャ語で10の9乗=10億であることは、このコラムでも触れたことがある。ともあれ3.5インチのフロッピー1000枚分である。わたしのパソコン歴はけっこう古い。いまでは懐かしいNECのPC8001がつきあい始めだ。それ以来、つくった文書は何とか継承し、蓄積してきた。そのほとんどが、このUSBメモリーにあっという間に入ってしまう。20年間の文書がである。しかも、まだ相当の余裕あり…。メモリーが「あんた、たったそれだけ?」と嗤っている。あー、20グラムの人生か。まあ、まあ、めげずに生きていきましょう。
サービス料(04/04/08-356)
 大抵のホテルではサービス料が取られる。あるいは、区切りのいい価格にして「税・サービス料込み」と書いてあるところもある。このサービス料ってなんなんだろうか。諸外国では「チップ」というものがある。ある程度の常識的な額があるようだが、気に入らなければ払わなくていいとも聞く。日本の場合は、客の方に選択権がない。私の理解では、日本には「サービス料」なんてなかった。その代わり旅館などでは「心付け」と称して仲居さんにお金を渡したりしていた。まさにチップそのものである。1964年に東京でオリンピックが開催されることになった。海外にはチップというものがあるらしい。しかし、日本にはそんな習慣はない。だから、「いただかないようにしよう」で終わっていれば、それまでだった。ところが、「その代わり」、一律に10%いただくことにしようとなった。日本人らしいというか、「みんないっしょ」の発想だ。こうして「サービス料」が創設されたのだったと思う。だから「チップなど要求しない素晴らしい文化」を味わっていただくのではなくなった。サービスの質は問わずに、「とにかく10%上乗せ」ということにしたわけである。どう考えても、人の対応はホテルによって差がある。それなのに一律の「サービス料」というのにだから、何かおかしいという気になる。しかも、税金は仕方ないにしても、「サービス料」も義務的に取らねばならないもののように徴収される。あれって、取らなければならないものかしらね。
三人寄れば…(04/04/07-355)
 もちろん、その後は「文殊の知恵」とくる。意味はだれもが知っている。文殊菩薩は智恵をつかさどる方らしい。しかし、仲のいい人たちが集まって、かえって閉鎖的になり自己中心的な判断をすることもある。この話題は、すでに「集団止考」としてお話しした。ところで、英語でも似たような表現がある。Two heads are better than one. こちらは、2人だから、3人が必要な日本人より頭がいいのかしらね…。それはそれでおいといて、「三人寄れば金をも溶かす」というのもあるんだそうな。数人が集まって同じことを言うと、実際にはないことも世間では事実として信じられるということ。いやはや、デマの神髄を突いたような格言だ。一人だと「えっ、嘘だあー」でおしまい。2人目からも同じことを聞くと、「あの人も言ってたっけ」。そして3人目はだめ押し。「やっぱし本当なんだあ」なんてなってしまう。ナチスのゲッペルス宣伝相は「嘘も100回つけば真実になる」といったという…。じつは、「三人寄れば」はまだある。「三人寄れば公界」。公界(くがい)は公の場所。三人で話せば、それはもう公の場で話したも同じこと。秘密にしておくことなどできないということである。まあ、二人の秘密でも危ないよね。天下のスピーカーといわれる人がいる。その人に、「これってここだけの話だからね」といっておくと、翌日はほとんどの人が知っている。発信した本人に、「あなただけに言うのよ」なんて、振り出しに戻ってくることもある。情報を速く広げたければ、この手がお勧め。「三人寄れば」の三題でした。(本日は成語林を参照)
そのうち…(04/04/06-354)
 「どこかおかしい」「このままだとヤバイ」。だれもがそう思っている。そうかといって「自分だけ悩んでどうなるでもなし」。やはりだれもが手にする結論だ。最近「カサンドラのジレンマ」という本を読み始めた。アラン・アトキンソン著の本で、監訳者は枝廣淳子氏である。じつは、その翻訳の一部に私の妹も参加させてもらったという。そこで私にも本をくれたというわけ。いつものように5冊ばかりの同時並行で、ゆっくり読んでいる。著者はそのスタートに「成長の限界」を取り上げる。その書名は確かに聞いたことがある。人類がこのままいけば破滅するという予言書のようなものだった。「ローマクラブ」という名前も聞いたような気がする。このあたりの関係についてはよく知らない。いずれにしても、「このままではヤバイ」ことが書いてあるはずだ。そうした警告に対して「そんな馬鹿な」と一笑に付する人は少ないだろう。「いささか脅しがきつい」とか「そんな悲観的になる必要はない」などという人はいるかもしれないけれど…。これはバブルのときもそうだった。「このままではまずいんじゃないか」と心の中で思っていた人はけっこういたはずだ。しかし、「そんなこと言ったって、自分一人じゃあどうにもならない」と妙に納得させる。その上で、「私も」とばかり株に走った人もいたのではないか。そして、バブルがはじけてみんな思うのである。「やっぱり、こんなことになっちゃった」と…。それは個々人の健康にもあてはまる。暴飲暴食をしながら考える。「このままじゃあいけない」。しかし、結局はダウンして入院しなければ生活習慣は修正されない。人間は行き着くところまで行かないと駄目なのかしら。組織の安全確保や不祥事防止も、こうした人間の特性がマイナスに効いてくる。あー、なんとも難しいことだ
自己中心的地図(04/04/05-353)
 
四国に行ったときのこと。ありがたいことに、私の本を買っていただいた方がおられた。恥ずかしながらサインを頼まれた。お名前をお聞きしたら、その中に「佐」の字が含まれている。そこで私は「あー、佐賀の佐ですね」と口に出した。それに対して、一瞬「えっ」という感じがしたが、すぐに「そうなんですよ。このところ佐賀も有名になりましたね」と答えが返ってきた。わたしも、「ええ、なにせ『はなわ君』ですからね」と対応する。すると、「ええ、でも佐賀が九州にあるって、最近になって知ったんですよ…」。さすがに私はたまげてしまった。しかし、そんなモンなんだなあと思う。九州に住んでいるから佐賀の位置はよく知っている。それだけに、佐賀が九州にあることすら知らない人がいると驚いてしまう。いや、それを通り越してショックすら感じる。しかし、考えてみれば、私だって四国のことをどれだけ知っているか。そうなるとはなはだ怪しくなるのである。そうそう、仙台と山形がJRで1時間ほどだなんて夢にも思わなかった。そもそも山形県と宮城県が隣同士というのも行ってみて知ったのだった。人間というのは、知らず知らずのうちに自己中心的になっている。もちろん生きていくためには、まずは自分の身の回りのことを大切にするのが当然ではある。ともあれ、地理的感覚は人によって大いに違っている。オーストラリアでは南極が上にある世界地図もある。われわれの感覚からいえば逆さまである。しかし考えてみれば、宇宙空間から見れば、北が上にあるなんて決まってるわけないのだ。
使う楽しみ、使わない楽しみ(04/04/04-352)
 
あなたは浪費家? それとも倹約家? これはそれぞれ人生観にも関わることだから、どちらもありでいい。ただし、いずれも「行き過ぎ」は問題になるけれど…。私はといえば日常的にはあまりお金を使わない。それなりに真面目に職場に通う。バスにしたってカードを使うから現金はいらない。お昼は弁当である。何せ仕事場の近くに食事どころが多くない。それも理由だが、外に出るのが面倒である。もう30年近く「愛妻弁当」というわけですよ。そうこうしているうちに時間が過ぎていく。そしてご帰宅と相成る。かくして、財布を開ける機会がほとんどなくなるのである。こうした状況は多くのサラリーマンに当てはまるのではないかと思う。もっとも都会の人は昼飯に豚丼なんぞを食べるために小銭を使うのかもしれない。いずれにしても、使わないことが楽しみとすら感じてくる。私に知っている女性は買い物が大好きだという。そんな人と比べると、おじさん連は日常的にはお金を使わないと思う。ただし、宴会などや友人との会合では状況は一変する。日ごろ使っていない分を取り返すかのように財布が開けっ放しになる。ビールだって1本の瓶が500円も600円もする。ただ冷蔵庫に入れているだけのサービスにしては、すごい付加価値ではある。家計を預かる女性には信じられない浪費にみえるだろう。それでも、いつの間にか慣れてしまって、お札も飛んでいく。だから、そんなときは臨時の浪費家になっている。しかし総体的には、私は「使わないことを楽しむ」派なのだろう。そして、ときおり「浪費を楽しむ」派に変身して喜んでいるというわけだ。あなたはいかがですか?
儲けた話、損した話(04/04/03-351)
 
ようやく景気が少しばかりよくなってきたという。しかし、周りを見る限りはパットしない様子ばかり。そうだなあ、「うちは儲かって仕方がない」なんて、あまり言わないよね。本当は調子がよくても…。とくに今のようなご時世だと、下手なことを言うとやっかまれるかもしれない。しかし、ふと思う。個人的にはどうだろうか。パチンコや競輪競馬で「がっぽり儲かった」という人もいる。その一方には、パチンコで数万円もすったという人もいる。まあ、私の人生経験では「儲かった」自慢の方が多いような気がする。「損した」自慢はやはり額が大きくないと迫力がない。「いやー、参った参った。競輪で1000円も負けちゃった」なんてかっこうわるくて言えないわな。まあどう考えても、宝くじでもギャンブルでも、それを実施するために費用がかかる。公営ギャンブルは、売り上げの一部を自治体の収入にするんでしょ。ということは、平均的な理屈でいえば、どう考えても投資した分だけ戻ってくるはずはない。だから確率的には、どんなギャンブルでも儲かるわけがない。まあ、「ひょっとしたら」という夢というか気分を買っていると思えばいいんでしょうけれどね。いずれにしても深みにはまらないことです。ところで、あなたは「儲け」自慢派、「大損」自慢派?
空席待ち(04/04/02-350)
 
先日、生まれて初めて空席待ちをした。伊丹から最終便の19:55を予約していた。会合は17時に終わったので、時刻表を確認したら、18:30の便があった。ご当地の方に聞くと十分間に合うとのこと。そこで空港に向かったのだが、掲示板は「満席」。何せ金曜日だったから多いんだ。そういえば、先の連休の際にも高速のパーキングでは車が多いように感じた。もちろん連休だから当然という考え方もある。そうではあるが、このところは、それでもパットしないのが不況の深刻さを示していると思っていた。その点では、ほんの少しではあるが、隙間からかすかな光が見えてきたのかなという気もする。ともあれ、満席で乗れないとなると1時間30分以上も待たなければならない。どうせ「ダメモト」という気で「空席待ち」を申し込んだ。とにかく初めてのことだった。18:15に呼び出しが始まるという。搭乗口まで行ってみたが、人は少ないような気がする。「これなら大丈夫かな」と思う。そのうち人は増えてきた。それでもいつもより少ないようだ…。結果的には空席待ち番号12番の私はちゃんと乗れた。というよりも、「空席待ち」の人は全部乗れたと思う。けっこうなことでした。ただし、飛行機に乗ってみるとA320という機種だった。横3×2列の小さな飛行機で、166席なんだそうな。あーだからあまり人がいないような気がしたのだ。もともとが小さな飛行機だったから、すぐに満席になっていたのだろう。それにしても、予約だけして乗らない人が「けっこう」いることを実感した。やっぱり早く着きたいのなら、あきらめずにトライしてみるといい。そんな当たり前のことを初めて知った。
七人の侍(04/04/01-349)
 
黒澤明監督「七人の侍」が公開されたのは1954年4月26日のことである。昭和29年だ。まだ敗戦後10年が経過していない。当初は映画評論家たちからは高い評価を得られなかったようだ。まあ、その当時はよくあったケースだと思う。海外で評価されて、ようやく国内でも認められる。そんな歪んだ現象は、研究の領域などでも聞かれる話だ。ともあれ、私の家族は当時の八幡市に住んでいた。あの鉄の町である。いつのころだろうか、私が物心着いたとき、父が「七人の侍」の話をしたことがある。「せっかくあの映画を見に行ったのに、お前が『帰る、帰る』と叫び回ったので、とうとう映画館から出ざるを得なかった」というのである。そのとき、私は5歳である。そんなこと言われても責任を負えない年齢ではある。なんとなく、満員の息苦しくなる劇場のイメージが浮かぶが、それが「七人の侍」のときだったかどうか。記憶は後に与えられた情報で「つくられる」ことも多いから何とも言えない。なにせ3時間27分もの大作である。「幼稚園に行くような年の子どもをゴールデンウイーク真っ最中の映画館に連れて行くのが間違いじゃあないかい」。そんな文句を言った憶えはない。しかし、父の言が正しければ、とにかくそのときが「七人の侍」と私の出会いであったことになる。黒澤作品については、この欄でも「羅生門」について3回ほど書いたことがある。9月はじめのころである。ともあれ、黒澤映画は面白いものが多かった。つい最近、都築政昭著「黒澤明と『七人の侍』」(朝日ソノラマ)を読んだ。少ーし、これを題材にシリーズ化してみたくなった。ところで、ついでながら私は幼稚園には行っていない。この話題もまた「話の素」の1回分にはなる。そうそう、4月末から5月にかけての連休をゴールデンウイークと呼ぶようになった由来も取り上げればもう1回分はプラスできる…。