| 父の思いやり(04/03/31-348) 私は昭和30年に行橋市立行橋小学校に入学した。行橋は北九州市の南にある市である。昭和35年の人口は47,000人を超えている。現在は72,000人ほどらしい。その当時は蒸気機関車で小倉に行ったりしていた。いまは電車で鈍行を使っても30分、いわゆる北九州市のベッドタウンというところである。4年生の夏、父の転勤で伊万里小学校へ転校した。あの伊万里焼きで有名な佐賀県の町である。こちらは現在の人口が約6万だとのこと。市のホームページでは昭和30年代の人口は分からない。行橋市は大正14年から人口をホームページに掲載している。そのかわり、伊万里市はこの2年間ばかりの人口数を月ごとに載せている。なかなかの好対照である。その伊万里時代の4年生か5年生のころだったと思う。父と街に出かけた。いまではどのくらいの距離だったか思い出せないが、借家から街中まではけっこう遠かった。その日も、父の自転車の荷台に乗って街に出たのである。何かを済ませて帰るときのことだった。私は父に、いつもとは違った道を使って帰ろうと提案した。もちろん、父はそれを受け入れて自転車は別のルートに入っていった。しばらくしたとき事件が起こった。散歩中の犬に父がかまれたのである。ほんの一瞬のできごとだった。父の足から血が流れた。その際の、父の対応も、ここで話題にできるほど興味深いものだった。しかし、それは別の機会に譲ることにする。私は大いに責任を感じた。自分が道の変更を言い出さなければこんな目には遭わなかったのだ。どういう表現をしたか記憶はない。しかし、とにかく私は父に謝った。そのときの父の答えが鮮烈に蘇る。「いや、心配しないでいいよ。もしいつもの道を通っていたらもっと大きな事故に遭ったかもしれないじゃないか」。これも正確な言い回しはどうだったかわからない。しかし、この一言で私の心が落ち着いたことだけは間違いない。いまから40年以上も前のことなのに、その場所のイメージまで思い出す。国鉄の駅に近い街角に時計屋さんがあって、そこを左に曲がってすぐのところが事件現場になった。子どもたちの間で「先生がよく行くらしい」と噂されていたキャバレーもあった。たしか「リスボン」という名前だった。ともあれ、この父の思いやりのことばは、私の人生観に大きな影響を与えた。 |
| 北京のタクシー運転手(04/03/30-347) 3年ほど前に北京に行った。天安門前広場から少し行くと王府井(ワンフーチン)である。北京の銀座だ。ネオンサインがチカチカしている。その通りを横目に見て走りながらタクシーの運転手が私に聞いた。「日本にもこんなに派手なところがあるか」と。もちろん中国語なので私には分からない。中国科学院の陳龍教授が翻訳してくれたのである。私の答えは「もちろん、あるよ」。内心では、歌舞伎町なんぞは「もっと明るいぞ」と言いたかったが、それは止めた。その派手さって、ギンギラギンで、あまりほめられたものでもないと思ったからだ。それにしても時代の変化を体感した。はじめて中国に行ったのは1992年のことである。当時の道路は自転車であふれていた。車といえばバスなど公共交通機関が走っているだけだった。それも超満員で。しかし、このときはもう自動車の洪水になっていた。一昔前は、運転手が「日本にもこれほどにぎやかなところがあるか」なんて質問そのものがあり得なかった。北京だって空港に近づいても真っ暗け。どう見ても熊本より暗かった。それが、10年で見違えるほどに変わった。環境の物理的な変化が人の気持ちも変えるのである。これからどうなることかしら。 |
| 猫糞(04/03/29-346) 今日のタイトルが読める方はどのくらいおられるだろうか。文字通り「猫の糞」である。正解は「ねこばば」。拾ったものなどを黙って自分のものにする。しかも、知らないふりしてごまかすことである。新聞などでは「ネコババ」とカタカナで表示される例が多い。猫は自分がした糞は足で土をかける。それで糞の整理をするわけだ。問題はこれを隠していると考えるかどうかである。「ネコババ」というのは、猫のように「隠して知らんぷりをする」という意味になっている。もし猫が、ちゃんと糞の後かたづけをしているのであれば、猫族に対して大いなる誹謗中傷ということになる。それを「ごまかす」と解釈されたのでは猫も立つ瀬がないではないか。「まことに人間は自己中心的で勝手なものだ。都合の悪いことは猫のせいにしたがる。このどうしようもない彼ら人間の癖(へき)は、昔も今も変わらない。あー、嘆かわしい…」。このセリフ、じつは漱石の「猫」君が巫女に乗り移って語ったことばであります。私が聞いたのですからまちがいありません。 |
| 「集団止考」のまとめ(04/03/28-345) アメリカの元国防長官マクナマラ氏を取り上げたのが2月12日だった。それから、関連した話題をぽつりぽつりと書いて「集団止考」までやってきた。このあたりで一応の区切りをつけようかと思う。そこで、今日は昨日のつづき。「集団止考」の第2の問題点は、集団が心理的な閉鎖状態に陥ることにある。不都合な情報や警告があっても、自分たちに都合のいいように合理化する。その価値や意味を認めようとせず、無視することもある。お互いに、そこにある問題点を指摘することもない。まさに集団全体が「裸の王様シンドローム」に冒されてしまうのである。さらに競争的な事態では、相手のリーダーに対して型にはまった評価をする。「生まれつきの愚か者」「極悪非道の大悪人」「残虐な悪魔」…。まさに悪口の限りを尽くして批判するのだ。そして第3番目の落とし穴は、集団が一枚岩になるような圧力が働くことである。集団がまとまっているだけに、自分たちの規範や常識から逸脱しないようにメンバーが行動を自己規制するのである。そんなときの集団には「満場一致の幻想」が支配している。「だれもが同じ考えに違いない」。こんな気持になって、事実を確認することもない。その結果、全員が同じ行動をとってしまうのである。大きな事故や災害が起きた後、「わたし自身は内心おかしいと思っていた…」。こんな発言があちこちから出てくる。しかし、何かが起きてしまってからでは手遅れなのだ。こんなときに「異議」を唱えたらどうなるか。そんな不埒者が出てくれば、集団は一致団結して圧力をかける。状況によっては、その人物は集団から追放されるかもしれない。こうして、「満場一致の幻想」はますます確かなものになる。そのうちに、集団を脅かす人間がいないかどうかを監視する人間まで現れるのである。もともとはケネディ政権の失策を分析することから生まれたのが「集団止考」という現象だった。しかし、そのスケールの大小を問わなければ、人の集まるところ、そこでもここでも起きていることである。ああ、こわい…。 |
| 「集団止考」の落とし穴のつづき(04/03/27-344) 14日に「集団止考」の第1の落とし穴だけ書いてそのままだった。Janis が提起した、まとまりのいい集団だからこそはまりやすい3つの落とし穴の話である。14日に書いたのはその第1で、「自集団の過大評価」だった。これによって、自分たちが「正義」であり、負けるわけがないという「不敗の幻想」が頭をもたげてくる。ここまで書いていたが、第1の落とし穴には若干の追加がある。それは、こうしたきわめて楽観的な見方が支配的になる中で、メンバー一人ひとりが考えている以上に危険な選択をする可能性が高まってくることである。これをリスキーシフト(risky shift)と呼んでいる。集団になると個人の意志を超えた冒険をしてしまうのである。「赤信号、みんなで渡れば恐くない」現象だ。これに対して、逆に「慎重」になりすぎるコーシャス・シフト(cautious shift)が起きることも指摘されている。いずれにしても、集団は個人の思いを越えて「極端」な意思決定をしがちになるのである。さらに、自分たちの道徳性や価値観を批判することなく正当化する。こうなると、自分たちの行為が他者に与える影響には関心がなくなってしまう。まことに恐ろしい物語が展開していくのである。 |
| 仕事に対する誇りと責任(04/03/26-343) 組織の不祥事が後を絶たない。三菱ふそうトラック・バスの不具合については、記者会見でドイツ人の社長が頭を下げた。まさに日本式のお詫びである。「郷に入っては郷に従え」とはいうけれど、お詫びで日本のやり方に従うとは社長も予想していなかったかもしれない。英語でも、When in Rome, do as the Romans do≠ニいう。ローマに行ったらローマ人のするように振る舞えということ。日本の「郷」とまったく同じである。違いがあるようで、人間の発想は洋の東西を問わないものがけっこうある。ところで、三菱の場合は、ずっと整備不良だとしていたが、実際は設計ミスの可能性が出てきた。わたしも組織の安全について仕事をしている。安全とは、事故や災害だけの問題ではない。組織が健康で成長していることが「安全」な状態なのである。だから、「うちはひどい災害や事故とは関わりのない会社だから『安全』の議論は関係ない」ではいけない。働く人々の関係が悪く、ストレスを感じている人間が多ければ、その組織は不健康なのである。それはそのまま、組織の崩壊に結びつくかもしれない。そうした意味で、「安全」でないのである。だから、夫婦の不和も学級崩壊も、すべて「安全」の視点から捉えよう。これが私のスタンスである。もちろん、個々の事例にはそれぞれの特徴がある。だから、同じワクチンを注射すれば、だれでも病気の予防ができるというほど固定した対処方法があるわけではない。もっとも、そのワクチンでさへ、効き方には個人差や環境の違いが影響するようではあるが。ともあれ、個別のケースに対応しながら、同時にできるだけ異質に見える集団にも適用できる方法を考えていこうというわけだ。今日は、そうした視点から、キーワードとしての「仕事に対する誇りと責任」について考えようと思っていた。しかし、字数も増えてきたし、いつものことながら、次の機会にこのことを考えることにしよう。ただし、忘れなければの話だけれど…。まったく責任も誇りも感じてなさそうですって? |
| いかりや長介氏の引き際(04/03/25-342) いかりや長介氏が亡くなった。本名碇矢長一。何とやっぱり「いかりや」だったことに驚いた。すばらしい「引き際」だったと思う。もちろん病気で亡くなられたわけだから「引き際」ということばは当たらない。しかし、彼の場合はそんな気持ちになるからすばらしいと思う。世の中は「引き際」を誤る人が多い。「俺がいないと世の中動かない」なんて思い込み、いつまでも地位にしがみつく。そんなことないって。万一、代わりがいないというのなら、それは後継者を育てきれなかったあなたの責任は重いというだけの話だ。しかし、とにかくそんなことないって。みんなちゃあんとやりますよ。「そうならそれで言えばいい。そんなこと誰も言わないじゃないか」ですって?それって、言い出しにくい状況をつくったあなたのリーダーシップが問題なんですよ。その点は紳助もすごい。サンデープロジェクトの司会をやめるんですって。もちろん他にも番組があって売れ売れだとか、打ち合わせが大変といった理由はあるらしい。それにしても、ここまで続けたのはすばらしい。そして、「やめろ」といわれる前にやめるのが偉い。個人名を出して申し訳ないが、「江戸っ子」として、潔さを売っていた高橋義孝氏も、「おいおい」というくらいまで横綱審議委員をやめなかった。熊本の人には怒られそうだが、「時事放談」の細川隆元氏も頭に浮かぶ。バッサバッサと痛快に大物政治家を切りまくっていた氏も、番組の最後のころは「ちょっと、ちょっと」ということがあった。ある県知事さんは6期もやって、それでも次までその気があったらしい。さすがに、「殿、お止まりなされ」となったようだ。6期って24年ですよね。そんなに人材がいないのかしら。いいえ、いい人はちゃんといるんですよね。とにもかくにも、大物になればなるほど、周りは「そろそろお時間です」なんて言えなくなるのだ。まあ、こんなこと言ってる私も、10年ほど経ったときに気をつけなくっちゃね。あっ、そうか。そんな大物じゃないか。でも、小物は小物なりに引き際を…。 |
| ことばを選んで(04/03/24-341) 東京にある小学校の校長先生。先週17日のことだった。桜が早く咲きすぎてしまったときのニュース。「入学式まで何とかもててほしいですね。入学式に桜が咲いていないと子どもがかわいそう」。この「かわいそう」に反応してしまった。そのときから入学式にはまだ3週間もある。どう考えても桜は散ってるだろう。そんなら、「かわいそう」という表現は止めた方がよくはないか。桜が散っていたら、子どもたち自身が「自分たちってかわいそう」と思ってしまう。それを言うなら、「やっぱり入学式に似合うのが桜ですよね。子どもたちも桜を見ればとても喜びますものね」じゃないだろうか。「喜ぶ」ということばを使っても、入学式に咲いてなければ「喜ばないじゃないか」と言われるかもしれない。でも、そこがちょっとばかり違うんですよね。今月の12日に行われた附属中学校の卒業式は雨だった。ある大先輩のお話によると、少なくとも過去52年間で初めての雨だったそうだ。そこで「残念ながら雨になりました」と言ってしまっては、本当に落ち込んでしまう。「みんなと別れるのが悲しくて空も泣いてます。でも、式場は晴れ晴れといきましょう」。こっちの方がずっといいなと思いませんか。ことばで遊んでいるだけだけれど、そのことばが大事なんですよね。そうそう、だからこれからも附属中学校の卒業式は晴れてほしいんですよね。だって、歴史の中でたった1回だけ雨の卒業式に関わることができたのですから。記録保持者のままでいたいじゃあないですか。 |
| 社会的コスト(04/03/23-340) 子どもが就職することになった。F市で学生生活を送っていたが、任地は関西方面である。1,2ヶ月は研修ということで住まいが確定しない。そこで荷物を一時的に熊本に持ってくることになった。ただし、家も狭いのでトランクルームを借りることにした。そこまでは何のこともなく決まった。ところが、それからが大変だった。まずは、保証人である。私が保証人になることは、当然のように決まった。ところが、保証人は借りる人間と同居していてはいけないという。住民票が同じだとまずいのだ。もちろん息子とは同居してはいない。だからこの問題はクリアできたが、親でも同居してると保証人になれないのである。その上、契約は本人と交わさないといけないという。たとえ親であっても代理の役割が果たせないのだ。だから、子どもは契約だけのためにわざわざ熊本に帰ってこざるを得なかった。そこで、まずは仮予約をして帰熊できる日を待つことになった。それと併行して、F市から荷物を運ぼうと、だれでも知っている運送業者に依頼した。ところが、これがまた大変なのだ。行き先の住所が分からないと引き受けられないという。F市に荷物を梱包に行ったときなので、トランクルームの住所を控えていなかった。住所がはっきりしている熊本のわが自宅から数百メートルであること。荷物の行き先はトランクルームであること。住所は○○町であることなどを言うのだが、これが受け付けてもらえない。トランクルームの正確な住所が分からないといけないという。そんなわけで、結局そこは諦めた。最終的には赤帽さんに頼んでようやく一件落着した。そして、子どもも立ち会うトランクルームの契約日を迎えた。このときもすごい。トランクルームを借りるだけなのに、契約書を全部読むのである。だから、30分以上もかかってしまう…。やれやれという気持ちになった。しかし、ここで経験した一連のことが社会的コストなんだなあと思う。契約書にしても小さな字で書かれたものは、ややもすると行き違いがおこりやすい。「言った」の「聞いてない」などとトラブルになる。それを避けるためには、時間をかけて全部読むしかない。時間の無駄のようだが、お互いに納得するための儀式としても必要というわけか。とにかく平和で安全に生きるコストは相当なもである。 |
| 前後関係(04/03/22-339) 週刊文春が話題になった先週の末、またまたテレビのコメントが気になった。テレビ朝日系の朝の番組で、田中家と文春の因縁が話題になっていた。まずは、角栄氏が立花隆氏の金脈論文で退陣に追い込まれたこと。つづいて真紀子氏の秘書疑惑について書いたのが文春だったこと。そして今回は田中氏の長女のことで記事が書かれたこと。これで3代にわたっての確執が生まれたというのである。たしかに言われてみれば、そんな感じもする。ところで、その流れの中でキャスター氏が、角栄氏に関して「逮捕され退陣に追い込まれた」というコメントをした。ここでまた、やれやれと思ってしまうのである。前後が逆なのである。まずは田中氏が退陣する。そして、三木内閣が成立することになる。当時の三木氏はクリーンイメージがあり、田中氏の後継として内閣を引き継いだのである。その三木氏が田中逮捕にOKを出した。いくら検察庁が元総理を逮捕したいと思っても、総理大臣がいわゆる指揮権発動という伝家の宝刀を抜けばアウトである。しかし、三木氏はそうした手段をとらなかった。それでは、ほかの人物が総理だったらどうなったか。あるいは歴史が変わっていたかもしれない。だから、現職の総理大臣が「逮捕されて辞めた」のではない。すでに退陣していた田中氏が逮捕されたのである。放送に関わる人々は、こんな小さなことにも気を配ってほしい。文字に残る新聞などは、そのあたりは慎重になると思うが、放送は文字通り「放りっぱなし、送りっぱなし」になりがちだ。十分に気をつけましょう。とにかく影響力が大きいのだから…。 |
| 「上り」と「下り」(04/03/21-338) JR九州は3月1日から「上り」「下り」という表現を止めたはずだ(熊本日日新聞 2.25)。なかなかけっこうな決断である。地方から都へ行くことを上るといっていた。昔は京都が都だったが、いまは東京である。南からでも、北からでも東京に行くのが上りというのである。熊本と大分を結ぶ豊肥線は九州中部を東西に横断している。大分が豊後で熊本が肥後。だから豊肥線と呼ぶ。これはどちらが上りかというと「熊本行き」である。名前は「豊」が先にきているが、都は熊本がとった感じ。まあ、熊本は昔は九州第一の町だったこともある。とくに戦前は軍都としても栄えていたようだ。郵政関係はほとんどが熊本にあった。NHKもJOGKが熊本で、福岡はJOLK。熊本の間にHIJKの4局が入ってようやく福岡局である。因みに東京はJOAK。3文字目が開局順になっているのである。Jは日本だろうとはだれでも思う。Oは単にスムーズに読めるようにつけられたと聞いたことがある。だから意味はないんだそうな。Kは何だったか、聞いていないか忘れてしまった。ご存じの方がいらっしゃったら教えていただけるかなあ。ともあれ、「上り」「下り」といった表現はまさに中央集権根性丸出しだ。そのうえ、「お上りさん」などといって、東京から遠くに住む人間を茶化すこともある。どうもいかんですなあ。記事から推測するとJR九州だけの決定のようだ。ぜひともほかの会社でも見習ってほしい。 |
| 心理学の弁明(04/03/20-337) その本を読みはじめたのは1987年3月29日である。発行日が3月20日で、25日に生協で買っている。購入後すぐに読みはじめたことになる。読了が5月3日で、ほぼ1ヶ月かけている。193ページの新書だから、おそらく「信号待ち用」の本として少しずつ読んだに違いない。その書名は「天気情報の見方」。著者は当時の気象庁予報部長の立平良三氏。岩波新書黄版368、480円也。この本は私にとって忘れられない本である。まずは、以下の抜粋をお読みいただきたい。「雷雲も予報を難しくする主犯のひとりである。明日、関東地方のどこかで(原文は点で強調)雷雨があるかどうかは、かなり正確に予報できる。しかし、関東地方で全面的に雷雨になるということは滅多にないことである。だから、たとえば東京都に限定した場合は、なかなか「雷雨あり」と自信をもって言い切れない」(p25)。「気象庁の発表する天気情報は…一部にせよ一見似たような予報が素人でも出せることは事実である。…たとえば、航空機のパイロットやコンピュータ技術者の場合は、その技術に素人が手を出す余地はなく、…。しかし、天気予報の場合は、明日の天気予報のようにプロとアマの差が的中率などで詳しく比較して初めて明らかになる…。おまけに、その的中率なるものは、…きわめて誤解を生じやすい代物なのである」(p146)。「明日予報を採点して、連日100点を取ることは何十年後かに可能になるかもしれない。しかし、『曇り時々雨』などという予報が当たるとしても…、明日の昼休みに降るかどうかは断言できない」(p193)。もう字数が多くなってしまった。タイトルの「心理学の弁明」まで到達できなかった。このつづきはまたにしよう。ただし、私が何を言いたいのか、ちょっと考えていだだけますか…。 |
| 揚げ足取り者へのアドバイス(04/03/19-336) 高校の同窓生ネットはなかなか楽しい。昨年それがあることを知って、10月に登録した。現在ではメンバーも120名を超えている。交わされたメッセージは2000年の6月にスタートして5600件にも達している。自宅で見る Yahoo メールを窓口にしているが、ほとんど毎日のように目を通す。そんな中でも投稿が多く、とても面白い文章を書く T 氏がいる。その彼からメールが届いた。わたしが3月8日に書いた「さくひょうせん」についての情報である。南極観測船のことを話題にしたのだが、船の名前を「宗谷丸」と書いていた。これが正しくは「宗谷」ではないかというご指摘である。いやーさすがにわが世代である。ご本人は事実確認はしてはいないということだった。だとすると、あの小学校時代の記憶が蘇ってきたにちがいない。そのときの響きが「宗谷」だったのだと思う。人間ってとにかくすごい。小さなことでも違和感があったりして、「そうだったかな」と直感的に感じることがある。そんなときは正しいことがけっこう多いものだ。だれもがそんな経験をしていると思う。かくいうわたし自身がメールの指摘を見た瞬間に、「たしかにそうだったよな」と反応したのである。組織におけるミスや事故も、こうした教訓は生かした方がいい。「うん?」「ちょっと待てよ」。そんな気がしたら確かめてみることだ。「ああ、やっぱりおかしいと思ったんだよな」。あとでこんな後悔をしてもしようがない。それにしても、T 君にもわが「味な話の素」を覗いてもらってるとのこと。まことにありがたい。ご本人はメールの中で「揚げ足取りのようですが」と遠慮されている。しかし、それどころか、誤りを正していただいた貴重なメッセージである。何はともあれ生来の粘着質で書きつづけており、自分では過去の内容を見ることはほとんどない。そんな感じでやっているので、こうしたご指摘はまことにありがたいのである。ところで「揚げ足取り」というのは、「相手が蹴ろうとして揚げた足をとる」ことである。それで相手を打ち負かすわけだ。するとこれはお互いに勝負をしているもの同士に起きる現象である。このコラムで取り上げる方は私なんぞ相手にしてもいない。とすると、これは「揚げ足取り」にはならないのかもしれない。それじゃなんだ。犬の遠吠え? |
| China, China, China(04/03/18-335) いまやアメリカは中国を意識している。これは、New York Times をネタにこの欄でも何回か取り上げた。今日もそのつづきになるか。今年の1月をふり返ると3週間連続で中国に関する大きな記事が載っている。 まず、11日はChina's Car Culture Hits a Rut、では中国の自動車文化の爆発を伝えている。昨年の販売台数は200万台を超えたそうだ。車が増えすぎて、上海ではメイン道路から自転車を閉め出したという。私は1992年に中国へ行くチャンスがあった。そのときは、北京も上海も、そして西安も自転車であふれていた。それが3年ほど前にいったときには道路の主役は自動車になっていた。中国人はベンツのような高級車好みで、アメリカ車には抵抗を示すという。つづく18日、 Will China's Economy Be the Next Bubble?となる。この内容はすでに3月12日に書いたが、1980年代後半の日本では皇居の土地がカリフォルニアより高いと言われていたと伝える。1990年代中盤は、タイやインドネシアでバブル発生。東南アジアの奇跡といわれて投機家や多国籍企業が投資しまくったのである。1990年代後半にはアメリカでITバブル。そして、今度は中国の番というわけだ。なんと、最近の日本経済の好調は中国バブルのおかげという。時代も変わったものだ。そして25日は、 China's Leaders Manage Class Conflict Carefully.マルクスが生きていたら、広東は現代のマンチェスターだと思うだろう。こんな文章で始まっている。まあ、体制は社会主義だが、いまや貧富の差が拡大し、階級間の葛藤が生まれているというわけだ。しかも、労働者の賃金は低く、宿泊施設なども最悪だと伝える。もはや、不公平さが激しくなりすぎて無視できなくなっているという。さすがにつぎの週まではつづかなかったけれど、とにかく China, China, China なのである。 |
| 発言の責任(04/03/17-334) この2日ほどは、高橋選手の落選で大騒ぎだった。オリンピックのたびに話題になる選考だが、いつも素人としては「やれやれ」という気分になる。かなり前には水泳でも似たようなことがあった。だれが見ても「これなら仕方ない」「ルールだから納得しよう」。こんな決め方をすればいいのに…。とにかく最後までワケありの議論をするから混乱する。もともと、違う場所を違う時期に走るんだから、正当な比較なんてできっこない。それでも、これとこれとこのレースで日本人で1番ならOK。あるいは、1年といった期間を決めて、その時間順3位まで。もっと専門的な基準があるのなら何でもいい。とにかく、こんな宣言をしていれば文句ないだろう。完全な納得は無理でも、諦めざるを得ない。そして、わざわざ「苦渋の決断」なんてする必要もなくなる。それとも、専門家は素人を寄せ付けないほどの目をお持ちなんだろうか。ともあれ、いつまで経っても同じことが繰り返される。もっと過去に学んでアクションをとりませんか。それはそうと、決定の日の朝、テレビで選考の予想をしていた。その中でジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「高橋」を入れていた。その理由が「高橋選手と○○選手は、おなじ小出監督の指揮下にある。だから年齢的にチャンスがある○○選手のほうに降りてもらうんじゃないか」というもの。これじゃあ、まるで小出さんは陸連と通じているのかと思ってしまう。少なくとも、決定後の放送を見る限り、そんな関わりはまったくなさそうだ。あるいは陸連がそんな判断をするんじゃないかと氏が推測したのかもしれない。それなら、それで陸連に対して失礼でしょう。そんな判断基準で決めるなんてないですよね…。その上、この番組の終わりに訂正があった。小出氏は高橋選手と○○選手の共通の指導者ではないんだそうな。いやー、ことばで飯を食ってる人としては最悪だな。自分の発言がどのくらいの影響をもっているかを自覚してもらわないと。それはそれは何百万人が見ているんだから。しかも、みんなが終わり間際のお詫びまで見てるとは限らないんですよね。事実を押さえず発言するなんてプロではないなあ。 |
| ネクタイ(04/03/16-333) 少し前のこと。ホテルでネクタイの締まり具合を見た。大きな鏡に自分が写る。その瞬間、ネクタイって何のためにあるんだろうと疑問が浮かんだ。わたしは、表から見える部分と下に隠れる部分の長さがかなり近いのが好きだ。あるとき、下の方が長くて正面から見えている人出合ったことがある。「意識的にそうしてるんですか」なんて聞けなかったけれどどうだったんだろうか。とにかくこのネクタイ、少なくとも実用的には何の役にも立っていないように思える。しかし、私なんぞはいつの間にかネクタイありの方が当たり前になっている。大学でも昔に比べると教員にもネクタイ派が増えたような気もする。われわれが学生のころは、それこそタオルを腰に巻いた教師もいた。S先生なんぞは、そんな風体の上に、酒の臭いをプンプンさせていた。その当時は、それで通っていたのである。学生たちも「豪傑」だとおもしろがっていた。まあ、古き良き時代というべきか。それはともあれ、とにかくネクタイは当たり前になってしまった。あまりにも当然のことになり、なぜネクタイをするのかも分からないまま営々と続けている。はじめは必然性があったのか、単なる飾りだったのか。その歴史を遡ると面白いだろう。起源はネアンデルタール人というものまである。はたまたセックスシンボルという説もある。それはともあれ、ここで言いたかったのはネクタイの歴史でもない。それは、「当然」のようにしているものを、ときにはふり返ってみるのも必要ではないかということである。もっとも、そんなことを言い出すと、世の中ふり返ることが多すぎて、寝ることもできなくなるかもしれないけれど…。 |
| カネボウ物語(04/03/15-332) カネボウが経営的に厳しくなった。カネボウといえば明治時代にルーツをもった古い会社である。私としては鐘淵紡績という名前をよく憶えている。大学入学後の教養部の授業で「経済史」を受講した。もっとも、講義名については確たる自信はない。しかし、教師のお名前とお顔はきちんと憶えている。当時は助教授だったと思うがK先生である。この先生にはきわめて特徴的な行動パターンがあった。授業開始後ほぼ30分で教室に来られるのである。当時は30分を経過して教員が来ない場合は「自然休講」となっていた。古き良き時代の慣習だったのだろう。とにかく、そんなことでK先生はとても厳格に30分を守られていたのであろう。とにかく、この授業の場合、「ひょっとしたら休講」などといった期待をもつものは一人もいなかった。ただし、25分くらい遅れて教室にやってくる学生はいたけれど…。ようやく始まる授業もきわめて特徴的だった。先生は教卓の椅子に座られて、ノートのようなものを取り出される。それから、10分から15分だったか、とにかくそのノートを一気に読まれるのである。学生は、せっせとそのままを筆記し続ける。それから一区切り付くと、内容についての解説が始まる。この繰り返しで授業が終わるのである。その授業で「鐘淵紡績」だの「鐘淵化学」といった名前を頻繁に聞いた。もともとは明治から始まる古い会社であること、労働争議があったことなどを聞いたことが印象に残っている。子どものころに、「かーんかん、かねぼう。かーんかーん、かねぼう。あーかちゃんのときから、かねぼう毛糸」と唱うコマーシャルがあったことも思い出していた。何と言っても「紡績」だったのである。そのうち、カネボウ化粧品やらカネボウ・ハリス・ガムなどといった名前も聞き始めた。多角化していったのだろう。そして、毛糸の時代はおわり、「バルカン」や「エロイカ」といった男性化粧品も知られるようになっていく。細かい事情は知らないが、ともあれあのカネボウが苦境に陥った。また懐かしき会社が厳しい冬を迎えている。ところで、K先生は、その後に本を出されたことを知った。あのノートの内容がそのまま本になっていたようだった。あれって、なんだったんだろう。おかげで、速記のようなスピードでノートに字が書けるようにはなった。しかし、いまこんな授業やってたら学生評価は最悪だろう。K先生、あの時代でよかったですね。 |
| 「集団止考(guroup think)」(04/03/14-331) アメリカのヤフーで group think を検索すると、39,800,000件も上がってきた。いやー、こんなの見たことがない。それだけ関心が深く研究も多いということである。ともあれ、ケネディ政権のピッグス湾からの攻撃は大失敗に終わった。あれだけ叡智を集めたかに思える人々の集団がどうして信じられない決断をしたか。それを分析したのが Janis であった。 先月、マクナマラ氏の物語から始まった物語は、ようやくケネディ政権の「集団止考」にまでたどり着いた。さて、Janis によれば、まとまりのいい集団であるからこそはまってしまう落とし穴があるという。それは大きく分けて3つに分けられる。まず、自分たちの集団の力を過大に評価することである。第二は、閉鎖的な心理状態に陥ることだ。そして、一致への圧力が働くことである。最初の「自集団の過大評価」は「不敗の幻想」を生み出す。「われわれが間違うわけがない」という過信である。また、「自分たちこそ正義」だという強い信念も支配的になる。こうした過信はお互いのまとまりが強く信頼関係があるだけに、ますます強化される。だから、疑ってみることなど夢にも思わない。本日は、第1の落とし穴の話題だけでおしまいにしておこう。 |
| 丸山のCM(04/03/13-330) 丸山選手がパットというんですか、ボールを打とうとしているとき、女性が看板をもってる。そして、ギャラリーがワーッと騒ぐ。それで、丸山の気持ちが乱れる。そんなCMがありますね。女性がもっている看板には本来は「静かに」とでも書いてあるんでしょう。いくらゴルフをしたことがないといっても、そのくらいは推測できます。ゴルフってのは、それほどナーバスなスポーツなんですね。それこそ真剣勝負という感じがします。そしてうまくいけば大歓声になるというわけですね。いかにも緊張感あふれる雰囲気が伝わってきます。それとは対照的に、野球なんぞはちょっとやかましすぎるんじゃないかなと思います。ピッチャーだってボールの一球一球に心を込めて全力で投げる。どうにかして打たれまいとします。打者はそのボールを待ちかまえて必死で打とうとするわけです。日本の球場では、そのボールの走る音が聞こえません。たった一度だけでですが、サンフランシスコで大リーグを見に行ったことがあります。ジャイアンツとブレーブス戦でした。印象的なのは日本みたいに鳴り物入りで大騒ぎなんてしていなかったことです。もちろん、いい当たりが出ればにワーッという歓声が起きるのは自然ですよね。ともあれ、わが国ではもう少し緊張感を楽しみたいと思う。高校野球時代からワイのワイのが当たり前になってしまっていますよね。だから、選手たちも諦めているのかもしれませんが、あれじゃあ真剣勝負の味はほとんど感じられません。それが日本の野球文化なのでしょうか。ちょっと寂しいな。。 |
| 中国のバブル(04/03/12-329) またぞろNew York Times からの話題。見出しはつぎのバブル(崩壊)は中国か≠ナある(1月18日号)。海外からの投資が進み経済は絶好調。それいけやれいけというわけである。このところ日本の経済が上向いてきたと報道された。なんと、その最大の要因が中国向けの輸出というのだ。わが国は低賃金に対抗できずに海外生産にシフトせざるを得なくなった。「水は低きに流れる」というが資金も同じ性格を持っている。その代表が中国であり、そのためにわが国で空洞化が深刻化し、経済が駄目になった。これが、今日まで聞いていたストーリーだった。ところが、その中国のおかげで日本経済が元気になりそうだというのである。まことに皮肉な話ではある。ともあれ、New York Times の記事の中でも日本はバブル崩壊の先例として引用されている。日本がバブルに浮かれていた1980年代終盤、皇居の地価はカリフォルニア全部の土地よりも高いといわれた。1990年代の中頃には、東南アジアの奇跡とばかり、投資家や多国籍企業がタイやインドネシアに金を注ぎ込んだ。そして、90年代後半には、アメリカで、インターネットやテレコミュニケーション業界でバブルが発生した。そのとき株価は永遠に上昇し続けるように思われた。しかし結果は最悪の形で終わるのである。いずれの場合もバブル崩壊によって、何百万もの家族が蓄えを失い、多くの失業者を生み出した…=B話には聞いていたが、バブルで騒いだのはわれわれだけではないようだ。東南アジアもアメリカも日本につづいていたのだった。そして今度は中国ではないかと、New York Times は予想する。 |
| 500円×450万人(04/03/11-328) ヤフーの情報が盗まれたと大騒ぎになったと思ったら、今度はジャパネットたかたさんだ。本当にこの世の中は大変になってきた。ヤフーの場合、450万人の個人情報が盗られたという。なにせDVDなどになるとギガ単位で情報を記録できるのだ。いわゆるCD1枚に百科辞典が入るというので驚いていたが、その容量も急速に大きくなる。まずもって1メガのフロッピーディスクがでたときにたまげた。「たまげた」といえば、「びっくりして玉が上がってしまうことに由来している」なんていった人がいた。「玉って何のことですって」。いやいや詳しくは説明できませんが、「玉」ですよ。しかし、これは大嘘だ。だって、漢字では「魂消る」と書くんだそうな。魂も消えてしまうほどの驚きということなのである。それはともあれ、mega はギリシア語で「巨大」という意味らしいが、単位としては100万倍を表す。それでびっくりしていたら、つぎはギガときた。giga もギリシア語で「巨人」、なんと10億である。英語では数値の区切りが1000単位で変わる。3桁ごとにコンマを入れるのはそのためである。まずは千でthousand。その1000倍が百万の million。milには1000という意味があるようで、1000の1000倍ということか。そう言えば1mmは1mの1000分の1である。20001年をミレニアムの始まりと大騒ぎしたことも思い出す。millennium は1000年間である。さて、million の1000倍は10億で、billionとなる。さらに1000倍は兆になる。trillionだ。tri は接頭語で「3つの」「3重」といった意味がある。100万の100万倍なんだけれど、3と何か関係があるかしら。とにかく、恐ろしいほど大量の情報がディスク1枚に入ってしまう。しかも、あっという間にコピーができる。昔の窃盗は物を盗むことだった。だから盗まれれば現物がなくなる。それが今日では、情報だけが盗まれるのだ。本物のディスクは以前のままでそこにある。だから盗まれたことにさえ気づかないのだ。あな恐ろしや。ヤフーは「被害者」全員に500円相当の金券を送るといっていた。それだけで、郵送代込みで40億円近くになるらしい。本当に後始末も大変である。 |
| 揚げ足取りの教訓(04/03/10-327) 毎日新聞の「教育の森」にガンでなくなった小学校の校長が取り上げられた。今年の1月21日である。神奈川県茅ヶ崎市にある浜之郷小学校大瀬敏昭校長のことが書かれていた。写真は遺影を置いた机らしきものと授業中の模様を撮った2枚。遺影の方はよく見えないが、もう1枚はとにかく若い。見ようによっては30代でもおかしくない感じなのだ。ガンを背負いながら命の大切さを教え続けた。残念ながら1月3日に亡くなられた。後になって、熊本出身であることを知った。ただし、出身は長崎大学である。また、熊本日日新聞でも取り上げられたことも人から聞いた。さらに、2月27日にはNHKでも特集するというPRを見ていたが、残念ながら番組は見逃してしまった。ところで、記事には校長先生の年齢が書いていないのである。とにかく若そうな先生の年齢を知りたくなった。そこでホームページを捜してみると「茅ヶ崎タウンニュース」に載っていた。享年57歳である。そこで早速、記事のちょんぼぶりを書こうと思った。そのつもりになって、念のため記事を読み直した。すると、はじめの概略部分に年齢が書いてあるではないか。本文だけを見たために気づかなかったのである。ちょんぼは私の方だった。いやはや、揚げ足を取るつもりが独り相撲でこけるところだった。「あーっ、年齢を書いてないやー」といった思い込みがちょんぼしかけの原因である。年齢などは本文に書いてあるはず。そんな先入観もあったに違いない。ともあれ、わたしにとっては大いなる教訓となった。今日の重点はちょんぼの方にあったため、大瀬先生の仕事ぶりについて触れなかった。その点は申し訳ないが、詳しくは「茅ヶ崎タウンニュース」などを参考にしていただきたい。とてもユニークな学校経営と授業をされた先生のようである。 |
| 訂正にホツ(04/03/09-326) 先月27日にオウム真理教教祖に対する第一審の判決があった。予想どおり、マスコミは朝から大変な力の入れようだった。その日の10時15分ころには、裁判官が判決文を読み上げているところだった。NHKのラジオでも裁判の途中経過を記者が伝えていた。記者が裁判長の事実認定について報告している。その中で、「昭和26年にオウム真理教に改称し…」と言うのが聞こえてしまった。一瞬のことだったが、どう考えてもそれはない。正確なことは知らないが、それは昭和62年の間違いだろうと思った。その報告が終わった後、アナウンサーが引き取った。そこできちんと、「昭和62年ですね」と訂正した。いやー、その一声を聞いてホッとした。人間だれでも間違うことはある。大切なのはその後の対応である。ちゃんと訂正すればそれでいいのだ。そこが欠けると文句が出てくるのである。しかし、それにしても昭和26年だなんて、ちょっと桁違いの年である。メモには「62」と書かれていたと思う。本番で読み誤ったに違いない。何分にも世間の注目を引くニュースである。その緊張感がミスを引き起こしたということか。そのとき、ご本人は気づいたのだろうか。それとも、アナウンサーから指摘されても、その意味が分からない状態だったのか。このあたりは、ヒューマンエラーの問題として研究したくなる。 |
| さくひょうせん(04/03/08-325) 今月の始まりの日、日本テレビ系の番組を見ていた。その中で、ツアーの紹介をしていたのだが、北極行きの商品で「さくひょうせん」という音が聞こえた。「それって、『さいひょうせん』じゃないの」と直感的に思った。そこで画面を見るとはっきり「砕氷船」と書いてあった。しかし、それには「さくひょうせん」とルビまで振ってある。たしかに「さくひょう」ということばはあるかもしれないが、それは「削氷」ではないか。船は氷を「削る」のではなく「砕く」のである。ちなみに広辞苑に「さくひょう」は見あたらない。これを読んだのはタレントの K 氏。かなり前のことだが、この人の講演を聴いたことがある。そのとき、理学部出身とか言ってたような記憶があるのだけれど、気づかなかったのだろうか。「うん?おかしい」と感じたときに声を出す。あるいは、「与えられた台本(報告)がすべて正しいとは限らない」。こんな気持ちがミスを防ぐのだと思う。それは、どんな世界でも同じことだ。ところで、北極といえば思い出す。私たちが小学生のころ、南極観測のヒーローは「宗谷」だった。いやいや、船は女性名詞だったか。それならヒロインということになる。ともあれ、その宗谷が巨大な氷の海に閉じこめられて身動きできなくなったことがある。そのとき助けてくれたのはソ連の砕氷船(さいひょうせん)オビ号だった。それから何十年か経った昨年、思いもよらず宗谷に対面したのである。それは、東京出張の際に、「ゆりかもめ」に乗って「船の科学館」に行ったときのことである。そこに宗谷が係留されていたのだ。子どものころ映画で見た宗谷かと思うとじつに感慨深いものがあった。子どものころのイメージからすると恐ろしいほど小さかった。鉄板はリベットで留められているところから、相当に古い時代の建造だ推測された。そんなことを考えながら、小学校の体育館で南極大陸観測の記録映画を見たことも思い出していた。映画制作のスポンサーは太洋漁業だったような記憶がある。また、その映写会は伊万里市の山下薬局がサポートしてくれたのではなかったか。その息子の山下文雄君は私の同級生だった。山下薬局は3階建てだったか、当時の伊万里では最も高い建物であった。そして、彼の家にはテレビがあった…。あー、いけない。「さくひょうせん」の話題から逸れすぎてしまった。ところで、この日の番組の終わりに、前の週の分だろうか訂正メッセージが流されていた。「アルミの毒」に関わるもので、「その当時アルミはなかった」といった内容だった。さてさて、「さくひょうせん」も訂正ありかしら。ちょうど1週間後の今晩は予定あり。あの番組は見られないと思うけれど…。 |
| ピッグス湾事件(04/03/07-324) 4月3日からのつづきである。なんとしてもキューバ革命を潰したい。その考えが大統領就任間もないケネディの頭を占領した。そして、1961年4月17日未明にキューバからの亡命者による部隊がピッグス湾(Bay of Pigs)に上陸したのである。地図の南側に矢印がついている地点 である。現地ではコスチノス湾と呼ばれていた。その後、無謀きわまりないと酷評される侵攻作戦の始まりである。部隊は約1、500人から構成され、訓練も十分に行われていたという。弾薬もふんだんにあったらしい。これに対して20、000人のカストロ軍が迎え撃った。この戦いの詳しい経過はインターネットで多くの情報が得られる。ここでは、作戦が惨憺たる失敗に終わったことだけを知っておけばいいだろう。最終的には攻撃開始から72時間後の4月20日朝には、カストロが勝利宣言をする。ケネディ自身は就任してから数ヶ月後に、「敗北宣言」をせざるを得なくなってしまったのである。この作戦には
CIA が関わっていた。小説や映画の世界ではスパイ機関が陰謀を企てるストーリーに満ちあふれている。しかし、現実の政府転覆などに政府機関が関わっているというのだから驚きである。それこそ、平和に過ごしてきたわれわれのナイーブな発想なのだろうか。ともあれ作戦自身は、専門家が見れば「どうしてこんな戦いを仕掛けたのか」と疑いたくなるような杜撰なものだったらしい。ケネディ家を取り上げたテレビ・ドキュメンタリーでは、ケネディの友人が「トウモロコシ畑にゴルフボールを打ち込むようなもの」と評していた。ゴルフをしたことがない私としては、その正確な意味は分からない。しかし、「とてつもない馬鹿な作戦だった」と言いたいことだけは容易に推測できる。こうして、ジャニス(Janis,
1983)が「集団思考(Group Think)」と名付けた現象が生まれた事件が起きたのである。私の翻訳では「集団止考」となる。(map:http://www.lonelyplanet.com/mapshells/caribbean/cuba/cuba.htm) |
| ターミナル新八代(04/03/06-323) 来週3月13日には九州新幹線が開業する。東海道新幹線のスタートは1964年10月だから、ほぼ40年を経過して南九州に新幹線が走る。博多までの山陽新幹線は1975年3月の開業だったから、それからでもほぼ30年である。その前に新大阪から岡山まで山陽新幹線として一部開業をしている。これが1972年。その当時の岡山を知らないが、いまでは堂々たる風貌の駅前になっている。博多開業後は通過駅になると心配した人もいたと思う。しかし、私にはしっかり発展しているように見える。そうなると、今回もターミナル駅の発展を期待したくなる。起点はどちらか知らないが、北のターミナルは新八代駅だ。JRでも「新八代〜鹿児島中央」と表現している。やはり北(東京寄り)をスタートにしているから起点は新八代か。それはそれで、長年にわたって親しまれた西鹿児島駅も鹿児島中央駅と改名する。その新八代だが、新幹線開業で岡山のようになるのだろうか。熊本に住んでいて余計なこと言うなと叱られるかもしれない。しかし、いまのところ、八代にはほとんどプラスがないような気がする。なにせJR九州としては、1秒でも速く鹿児島に着くことをアピールしたい。その努力の結果、熊本-鹿児島中央間は最速で1時間を切るのである。現在のツバメだと2時間30分かかるから、恐るべき短縮効果だ。因みに熊本と八代間が現行の特急で20分。新幹線の新八代-鹿児島中央間が34分である。合計すると54分。ということは、1時間を切るためには乗り換え時間が6分以下になる。これは、きわめて短い。在来線と新幹線の乗り換えには歩いたりエスカレータに乗ったりとけっこうな時間を要する。それがどうして、こんなに短時間で可能になるのか。若者ならいざ知らず、お年寄りは対応できない気がする。ところが、そこにはものすごいカラクリが潜んでいるのである。つまり、熊本方面からやってきた電車は、新八代駅の新幹線ホームにグーンと上っていくのである。そして、その停車ホームの前に新幹線が待っているのである。ちょうど私鉄電車で特急から普通に乗り換えるときのイメージである。かくして、乗り継ぎ時間は何と3分になる。向かい側で待っているのだから、それで十分というわけだ。そこまでして、新幹線とのつなぎの効果を最大限に上げる見事なアイディアである。すごいなあと感心してしまう。ただし、そうなると新八代駅は何なんだということになる。在来線の特急から降りた乗客たちは一目散に新幹線へ走り込む。あるいは鹿児島方面から来た人は、その逆のことをする。ホームで土産を買う暇もない…。八代のみなさんには不吉な予測で申し訳ない。この予想がはずれたときは、私は喜んでお詫びしたい。 |
| ホームページ初体験物語(04/03/05-322) このホームページも数だけはかなりのものになってきた。本格的にホームページにスタートしたのは表紙でもお分かりのとおり、昨年の4月10日である。そして、29日には「味な話の素」を始めた。しかし、わたしのホームページ歴はもう少し遡る。それは、附属中学校の校長になった一昨年のことである。技術科の糸山先生が教師を対象に講習会を開催された。そこではじめてホームページづくりの基本的なノウハウを教えていただいた。その際は、表紙と2つの評論を掲載したページをつくった。初心者は目立ったことをしたがるものだ。このときも、表紙に電光掲示板のように動く文字を入れた。その内容は、「いよいよ始まるホームページです。顔写真は入れません。知らない人から顔を見られているかと思うと夜も眠れません」。そして、メニュー欄に「雑文を2本書きました。是非お読み下さい」と書いた。もちろん「雑文」は謙遜ですよ。きちんと読んでもらいたい文章を入れたのですから…。まあ、それはともあれいまでは懐かしい思い出になった。その後、高校の同窓の新年会で中学校時代から同じだった丹君からアドバイスを受けた。「吉田君、ホームページには顔写真を入れなくっちゃあ」。「うーん、そうなんだなあ」とは思った。ただ、引っ込み思案の私は、どうもまだ踏み切れないままである。附属中学校の授業の模様を伝えていただいたものには遠目の写真が載っている。Scrap Book の新聞にもぼんやりと写ってはいる。それが精一杯と言うところである。なあんか、恥ずかしいんですよね。心臓に毛が生えていると思ってらっしゃるかもしれませんが…。 |
| キューバの首相(04/03/04-321) カリブ海に浮かぶ社会主義国キューバの革命は、1953年にカストロが蜂起したときから始まるとされる。当時のキューバはアメリカの植民地と化していた。その搾取に対して蜂起したのがカストロである。最終的には、1959年に「キューバ革命」は成功する。カストロが32歳の時である。その後、カストロはアメリカ系企業を国営化していった。米ソ対立の構図の中で、フルシチョフのソ連がキューバに救いの手をさしのべた。こうしたことから、キューバは社会主義的な政策をとりはじめる。そんな状況をアメリカが黙認するはずはなかった。1961年1月には、アメリカは国交断絶に踏み切る。革命の始まりから数えると、すでに50年以上が経過した。しかし、カストロ氏は未だに健全である。最近の情報では議長という表現が多いようだが、とにかくその寿命の長さには驚嘆する。お近くにもそんな国があるけれど、一体どうなってるんだろうと思う。それはともあれ、これは「集団止考」(2.28)のつづきである。キューバはフロリダから140〜150Kmほどしか離れていない。東京から伊豆半島くらいの感じらしい。そんなところに社会主義政権が誕生したのである。誇り高きアメリカにとっては、何としても許せない由々しき事態が起きたのだ。とくに老獪なフルシチョフの影響が浸透することは、国の安全にとっても脅威である。どうにかしたい。アメリカ人、とりわけ国の責任者たちは、イライラが募っていったに違いない。そんなとき、颯爽と現れたのがケネディ大統領であった。彼は1961年第35代大統領に就任した。なんと43歳の若さである。彼の就任演説の締めは、人々に歴史に残る感動を与えた。1961年1月20日のことである。And so my fellow Americans: ask not what your country can do for you ― ask what you can do for your country. 国民のみなさん。国が自分たちに何をしてくれるかを求めるのではなく、国のためにわれわれに何ができるのかを考えようではありませんか。いやー、格好いい。 |
| ニューヨーカー、東京で正直≠ノ感謝(04/03/03-320) 1月11日付New York Times 日曜版の投稿欄に上のようなタイトルを見つけた。まずは、Tokyo≠ノ反応した。投稿者はニューヨーク在住の Rosenfeld さんである。今日はその内容をお伝えしたい。「私は1987年から88年にかけて、卒業旅行を日本で過ごしました。その6週間目ころに、財布をなくしてしまいました。その中には身分証明書や緊急用のクレジットカード、そしてかなりの千円札が入っていたのです。日本人からの連絡はまったくありませんでした。私は都心から離れた辺鄙な場所にある賄い付きのryokan≠ノ滞在していました。そこは臭いがするようなところで、学生が経営しているのでした。どうしたらいいか分からず取り乱している私に、旅館の従業員が警察に行くようすすめてくれました。私は、それにはまったく期待していませんでしたが、日本語ができるカナダ人に通訳になってもらって、警察へ出かけたのです。私は根っからのニューヨーカーですが、警察に財布が届けてあるのを知って驚いてしまいました。しかも、中身は完全にそのままだったのです。私はホッとすると同時に感謝の気持ちでいっぱいになりました。おかげで、両親に送金やカードの再発行を頼んだりしなくてすんだのです。これは、日本人がよく言うことですが、私も『面目を保つ』ことができたのでした。私は、自分が行った後からも多くの文化が変わりつつある日本で、あの正直さ≠ヘ未だに残っていることを知って嬉しくなりました」。ほとんど全文を引用した。和食が健康にいいと話題になって欧米では人気がある。そんな話を聞き始めて久しい。それとは対照的に、われわれは肉食を楽しみはじめた。その結果、大腸ガンは増えるは、欧米タイプの成人病は増加するは…。われわれは、何だか自分たちのいいところを忘れ始めているのではないか。受賞は逃したが、アカデミー賞でも日本映画が話題になった。生粋のニューヨーカーが「日本人らしい正直さと親切」に感動している。まだ、そんな美点が残っていると、わざわざ新聞に投稿してくれたのだ。やや遅きに失した感があるが、こうした評価と期待を幻想にしたくないと思う。 |
| 勧善懲悪(04/03/02-319) 家族でドライブしての帰り道。正面に大きな夕日が見えた。「わー、きれい」。家内が感動的に叫んだ。その瞬間、私の口から歌が聞こえてくる。「まーーっかな太陽ー、燃えーているー。果てーない、南の、おおーぞらにー。とーどろき渡る、雄叫びは、正しいものに見方するーう。ハリマオー、ハリマオー。ぼくらーのハリマオー」。そう、「夕日」といえば「ハリマオ」なのだ。それは、われわれ戦後間もなく生まれた世代の条件反射といっていい。ただし、若い方には何のことやらさっぱり分からないはずだ。いわゆる冒険活劇のヒーローである。「冒険活劇」ということば自体が古めかしい。ともあれ、あー、なつかしや。仁丹提供のこの番組、日本で初めてのカラー作品だといっていた。ストーリーなんて忘れてしまったが、あのイメージはいまでも目の前にある。大体、あれが放送されてるころは、わが家にテレビはなかった。もちろん白黒テレビがである。この手の話をし出すと止まらなくなる。それにしてもハリマオのころは、いつも「正義」が勝っていた。まさに、「勧善懲悪物」である。何といっても「正直がイチバン」だった。人が見ていなくても「お天道さんが見ていらっしゃる」というわけだ。ところが、いつの間にか、「世の中そんなに甘くはないぜ」となり、「悪い奴ほどよく眠る」ようになった。「嘘をついてもだまし通せればそれでいい」。こんな世の中に誰がした。これじゃあ、お先は真っ暗ではないか。組織の安全を守る。不祥事を起こさない。そのためには、「正直がイチバン」「正義が勝つ」「お天道さんにはお見通し」。やっぱり、この発想じゃないとまずいよね。約束事や決まったことは、とにかく「愚直に」守る。「正直は気持ちいい」。そうした行動や態度が「格好いい」こととして評価される。そんな風土をつくらなければ…。もちろん、「愚直」さに対する「柔軟さ」も必要だ。ルールは「愚直」に守る。しかし、そのルールそのものは、状況に応じて変える柔軟性ももっている。そのバランスなんだよな。 |
| おもしろ新聞(04/03/01-318) いよいよ旅立ちの春がやってきた。熊本の場合は3月中に桜が咲き始める。ところで、本日の本題だが、先月27日の毎日新聞は面白かった。まずは第1面の「余録」。朝日の「天声人語」にあたるものである。寝っ転がっていたので、いきなり中盤の「東京都の石原慎太郎知事は…」が目にとまり、そこから読んでいった。都知事は「カラス退治に熱心で、…昨年は1万8000羽もつかまえた」そうだ。しかし、「生き物を殺生で減らすのはあまりいい気分がしない」。うーん、同感だな。「カラスがえさ場にしているゴミ集積場の管理をきちんとして、自然のバランスを取るのが本筋ではないか…」。ますます、大賛成。最後まで読んで冒頭に戻った。「カラスの鳴かぬ日はあれど」で始まって、2段目にはこんなことが書いてある。「日比谷公園に梅を見に行った。ベンチに座って、ポケットにあったチーズのかけらをまくと、カラスが数羽飛んできた…」。ちょっと、ちょっとお。そんなことするからカラスが増えるんじゃないの。集積場の管理も大事だけれど、われわれ人間の心の管理もきちんとしなきゃあね。一方で増やしておいて、「殺すのはいかん」と責めても迫力なくなるんだよね。それから2面をめくる。「発信箱」という署名記事がある。この欄は面白くてよく読んでいる。この日はロンドンからの発信だった。イギリスでは東欧から働きに来る人が増えているんだそうな。それが問題化しているという内容である。その中に、こんな文があった。「ロンドンの新聞は『もうすぐ東欧から移民が大量流入する』と騒いでいる」。これって、どう思われます。新聞人が同業者のことを「騒いでいる」と言ってるわけです。あー、そうなのか新聞って冷静な判断ができずに騒ぐこともあるんだ。なにせプロがそう言うんだから間違いない。思わず本音が出たのかしら。わたしは、やっぱし嫌みな皮肉屋なんだろうか。ついそんな思いになってしまった。 |