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味な話の素
  No.10 2004年2月号 (289-317)
 

おもしろ答案(04/02/29-317)
 期末試験も終わり、学生のみなさんは春休みとなる。この試験の採点をしていると「おもしろ答案」に出会う。内容が面白いものもあるが、どうしても誤字が目につく。この「味な話の素」をスタートして間もないころにもネタにした。昨年5月14日に、「講」「業」を取り上げている。今回もグランプリとはいかないが、ちょっと笑ってしまったものをご紹介しよう。まずは、「注在大使」。「駐在」が正解だが、音に引っ張られてこうなったんだろう。ワープロの打ちミスのような間違いである。もっとも、最近のワープロなら前後関係も推し量るから、これは出てこないだろう。今回の情報源はすべて「手書き」の答案である。たしかに大使は日本人のために「注意深く在って」ほしい。また、「間に受ける」というのも面白い。「真実」だと思ってしまうのだから「真」がただしい。相手の話に「間」があって、それを「うーん、間がいい」と納得する場合はこんな表現になるかもしれない。「反乱」。これは熟語としては間違いではないのだが、文脈から「氾濫」であるべきところで誤って使ってしまった。さらに、「通感」はいかがだろうか。痛みを感じるほどだから「痛感」するのである。これだと「感電」したみたいだ。なんと、「親聞」もあった。これにはいささかショックを感じた。もちろん「新聞」でないといけない。最近の若者は新聞離れが進んでいる。答案にはこの表現が2回以上使われているので、たまたまミスではないだろう。まあ、友だち同士の「噂」なら「親聞」になるのかもしれない。かなりよく見かけるものに「不可決」がある。正しくは「不可欠」、「欠く可から不(かくくべからず)」である。あの漢文の「レ」点を思い出す。高校時代だったか、漢詩などを謎解きのように下から読んでいったものである。もちろん、「欠かすことができない」という意味である。「不可決」だと、「決めてはいけない」になってしまう。そうそう、「放道」や「報導」もあった。「報道は言いたい放題で責任を取らない」なんて思ってると「放道」と書いてしまうかも。また、「報道は人を啓蒙し、方向を示すものだ」と考えるなら「報導」になるか。このほか、「果題」というのもあった。最終的には「実になる」問題であればいいかもしれない。そうそう、試験答案ではないが「 慣れあい」という文字にも出合った。これは「馴れ合い」が正解だ。何度も会っていれば「慣れ」てはくるが、「馴染み」過ぎてはいけない。学生の答案をネタに、いつもより多く書いてしまった。人の間違いを使うなんて趣味がよくないと言われるかなあ。まあ、そう本気にならずにことばの勉強として読んでいただければと思う。「人の揚げ足を取るところを見ると、『味な話の素』もネタが切れたな」ですって?なんの、なんの、ご心配はご無用ですよーっ。まだまだテーマはごまんとございます。はい。3月もお楽しみに…。

集団止考(04/02/28-316)
 マクナマラ氏に関するストーリーは25日で区切りがついた。しかし、彼もメンバーであったケネディ政権にまつわる話は止めどなく続いていきそうだ。これからお話しするのは、社会心理学でGroup Think≠ニ呼ばれている現象の物語である。この英語は直訳すると「集団思考」である。そう聞くと、「なあんだ、集団で考えることか」ということになるが、本当のニュアンスは、それとはかなり違っている。ジーニアス英和(SHARP電子辞書)には載っていない。日本語には小田原評定≠ニいうことばがある。あれやこれやと意見が出て、話が決まらない会議などのことを言う。また、船頭多くして船山に上る≠ニもいう。指図する人間が多すぎて、統制が取れない。一人は右といい、もう一人は左、さらに三人目は…。その結果、船が山に上ってしまう。そんなとんでもないことになるという皮肉である。英語にもToo many cooks spoil the broth.≠ニいう表現がある。調理人が多すぎてスープを駄目にするといった意味である。とにもかくにも、集団になるとなかなか決着がつかなくなる。それどころか、とんでもない意思決定が行われる。そんな否定的な面が露わになる…。この点では洋の東西を問わないようだ。もちろん、三人寄れば文殊の知恵≠ニいうくらいだから、みんなで知恵を出すことも大切だ。英語では二人で満足するようで、Two heads are better then one.≠ニ言うそうだ。しかし、とにかくこれから始まる物語は「集団止考」とでも訳すべき現象である。あるいは、ことばの遊びをすれば、「集団死考」「集団誤考」「集団虚考」「集団崩考」「集団破考」「集団壊考」「集団薄考」「集団愚考」…。しかし、私としては本日のタイトルにした「集団止考」あたりが「名(迷)訳」だと思うのだが、いかがでしょうか。今日は、内容まで進まなかったけれど、このつづきはきっと参考になりますよ。

情報犯罪(04/02/27-315)
 昨年末に「佐賀銀行がつぶれる」という趣旨のデマが流された。電子メールが使われたという。その結果、取り付け騒ぎが起こってしまった。竹中平蔵金融・経済財政担当相まで否定の記者会見をするほどの事態になる。佐賀銀行では、このためにで450億から500億円程度が流出したのではないかという。警察には「信用毀損」の疑いで告発した。最終的には20代の女性が発信源として特定される。警察は女性について書類送検したという。本人としては「悪意はなかった」と話しているらしい。それにしても、450億円の流出である。驚いて銀行に走った人のストレスや費やした時間を考えると無形の損害も相当なものだろう。軽い気持ちや冗談が大変な迷惑をかける。そんな世の中になっているのである。とくに、電子メールなどを使うとあっという間に情報が広がる。自分の行動がどれほど他人に影響を与えるか。そのことをじっくり考えて行動しなければならない。ところで、同じような「事件」として有名なものに1973年の豊川信用金庫取り付け騒ぎがある。このときは、信用金庫に就職が決まった女子高校生と友だちが電車の中で交わした会話がきっかけになった。このころは、携帯やメールなどはなかった。主要なコミュニケーションの手段は電話や口コミだったが、最後には無線まで使われた。その経過を詳細にフォローした社会心理学の研究もあるほどだ。Yahooで「豊川信用金庫」「うわさ」のセットで検索すると20件ほどの情報が上がってくる。ともあれ、今回の「事件」は情報による犯罪行為ということだ。お互い、軽率な行動には気をつけましょう。
移動体睡眠(04/02/26-314)
 私はどこでも寝られる。枕が替わると寝付けないという人もいるが、私にはそんな悩みはとんとない。昼寝だって、ものの10分でもできるし、それで頭はすっきりする。まずは5分と経たないうちに寝付いている。海外に行ってもわが家と変わらない。しかし、そんな私にも大いなる弱点があった。動いている物に乗っているときは、まるで眠れないのである。電車もバスも飛行機も…。もちろん、海外に行くときなどは最終的には寝ているが、それとてもきわめて浅い眠りである。ところが、これも修行が可能であることに気づいた。このところは、バスや電車、そして飛行機でも眠れるようになったのである。はっきりした理由は自分でも分からない。しかし、ともあれ目を閉じてみるといつの間にかうつらうつらするようになってきた。年をとって体が慢性的に疲れはじめたのかもしれない。なぜなら、以前は目をつぶっても、なかなか寝付けなかったからである。しかし、それができるとなると、また楽しくなってくる。ただ、移動体で眠りたいためにバスや列車に乗りたくなる…。それはともあれ、眠りはじつに快感そのものだ。目が覚めたとき、脳みそが搾られたような気がする。これが何というか、若干の痛みのようなものを伴った心地よさを感じるのである。世の中には眠られない悩みに苦しんでいる人もいるようだ。その点では私は恵まれている。それが、ベッドの上だけでなく、「動体動体睡眠」もできるようなったのだから、なおさら嬉しくなる。ありがたや、ありがたや。
マクナマラ氏の追っかけ(04/02/25-313)
 23日のつづき。さて、マクナマラ氏が登壇する米日財団のシンポジウムの入場券は確保できた。当日はワクワクしながらニュースカイホテルに出かけていった。会場は満員の大盛況だった。わたし自身はまん中よりもやや前の方に席を確保した。少し落ち着いてから周りを見渡す。すると、かなり近くに顔見知りの方がおられることに気づいた。附属中学校におられた福富裕昭先生だった。どちらが先だったか忘れたが、「先生も来られましたね」といった会話を交わした。先生は「マクナマラさんは、われわれ世代の思い出ですよね。何が何でも、このシンポジウムには参加したかったんです」。先生は年休を取って来られていた。ご専門は社会である。子どもたちに伝える生の情報をゲットするまたとない機会である。その点で、このシンポは先生にとってこの上なく大切な意味を持っていたと思う。それと同時に、「マクナマラと聞いて、居ても立ってもいられなかった」という気持ちそのものが、よく分かるのである。マクナマラ氏のイメージにはケネディが繋がっている。あのダラスで暗殺されたケネディに…。さあ、いよいよ始まりだ。シンポに参加するメンバーが私の横を通っていく。ちょうど通路側に座っていたが、シンポジスとは後ろから前のステージへ、にこやかに歩いていく。あー、あのマクナマラ氏が確かにいた。大感激である。いまから考えると、福富先生も私も「マクナマラの追っかけ」だったのである。キャッキャ叫んだり、花束を持っていたりはしなかったけれど…。あれから10年を越えた。いまでは、発言の内容は忘れてしまった。しかし、その日の興奮したイメージは、私の心から未だに消えていない。
ことばのプロ(04/02/24-312)
 先週の土曜日21日のことである。朝6時45分ころのニュースで、芥川賞、直木賞の受賞式を伝えていた。まずは遠目に4人が立っているシーンが映る。それから、金原ひとみさんがアップになりスピーチが流れる。つぎは綿矢りささんだ。「本を買ってくれた」と聞こえた。「ああ、若いなー。芥川賞を取るんだからことばの達人なんだろうけど…。挨拶で『くれる』はないよなー」。そんなことを思う。画面下のテロップにも「くれた」と表示される。耳の不自由な方々にも、そうした言い回しをしたことが伝わるだろう。もう少し話はつづく。「読んで下さった…」。今度はちゃんと「下さった」との表現だ。「うんうん、これならおじさん世代も納得」。そう安心していたら、テロップは「読んでくれた」である。ちょっと、ちょっと。それはないよ。せっかくちゃんとしたことばを使ってるのに、これでは誤解されるでしょうが…。テロップを唯一の情報源にしている人たちには、「下さった」が伝わらないじゃないの。「くれた」と「下さった」は違うんです。こうしたところには十分な配慮をしてほしいと思う。それがことばのプロというものでしょう。そう思っているうちに、スピーチは直木賞の江國香織さんに移っていった。そして、全体を見渡すシーンになってこのニュースはおしまい。ところで、壇の上には羽織袴の男性もいたのだが、あれってだれなのかしら…。司会者?いやいや冗談は止めましょう。直木賞の受賞者である京極夏彦さんである。彼は挨拶をしなかったんだろうか。アップはまるでなし。やれやれ、男じゃあ絵にならんのでしょうかね。ニュースの真実って何なんだろう…。そんな思い出いたら、別のニュースで女性アナがまた変なことを言った。その日の夕方5時43分のことだ。中継地のアナウンサーを呼び出す際に、「○○さん、今日はどんなことをお伝えしてくれるんでしょうか」だって。それって、「お伝え」なら「いただける」だろうよ。まあ、身内のアナウンサーだから「伝えてくれる」が正解でしょう。ことばのプロさんたち、しっかりしてね。
マクナマラ氏との遭遇(04/02/23-311)
 さて、ここまで数回にわたってマクナマラ氏を話題にした(前回は19日307回目)。元アメリカ合衆国の国防長官である。その人にわたしは会ったことがあるといったら信じていただけるか。何を隠そう、あのホワイトハウスで…。うーん、そこまで言うとだれも信じてくれないだろうな。そうなんです。そんなことあるわけないですよね。しかも、「会った」なんてのも本当じゃあないんです。まあ、軽い冗談だと思って下さい。しかし、少なくとも1メートルほどしか離れていないところで彼を「見た」のは真実なのであります。それって、どこだと思いますか。東京、それとも京都、あるいは大阪…。いえいえ、その場所は熊本なんでございます。それは、いまから12年前の1992年5月19日のことでした。(社)熊本青年会議所が米日財団国際シンポジウムというものを誘致したのです。会場は熊本のニュースカイホテルでございました。手元にそのときの資料が残っています。左の青字の部分をクリックしてみて下さい。これを見ると熊本日日新聞の50周年記念事業であったことも分かります。もう資料を見た方はお気づきのはずです。そうです、右上に載っている人物こそ、話題のマクナマラ元国防長官なのでございます。そのときの興奮はいまでも思い出すことができます。それは、もうシンポジウムをPRしている新聞を見たときからはじまっていました。「あのマクナマラ氏が熊本にやってくる」。当然のことと言いましょうか、気がついたときには入場整理券の申し込みはがきを書き終えておりました。はい…。
美しい手と年金の話(04/02/22-310)
 前々回の20日にニュースキャスターの庶民感覚について書いた。そのことで、昨年のある日曜日に見た放送を思い出した。世相の問題を取り上げる情報番組である。新しく着任した近藤剛日本道路公団総裁がゲストでインタビューされていた。この間、男性キャスターは必死で総裁に迫っていく。しかし、横の女性は一言もしゃべらないのである。まるでお飾りの人形のようだった。それからゲストが替わった。今度は坂口力厚生労働大臣と谷垣禎一財務大臣の二人である。話題の中心は年金になった。そのとき、女性アナウンサーがフリップカードで説明する。それが大写しになったそのとき、女性の美しい手が見えた。白いマニキュアを塗ったその爪の長いこと。おそらく流行の最先端を走ってるんだろうなと思う。ただし、そのときの話題は年金なのである。これから老後を迎えようとする庶民はどうなるのか。こんな不安に充ち満ちた話をしているときに、まるで白雪姫のような麗しき手を見せられるのである。これって、少なくとも庶民的な手じゃあないよね。もちろん、ささくれだった手を見せろなんて言うつもりはない。しかし、なんか、プロとして勘違いしてるんじゃないのかなあ。そんな気持ちになってしまうのである。そういえば、石原慎太郎氏が東京都知事に初当選したときもひどい対応をした例がある。開票作業が進んでいるときのことだった。候補の一人である桝添要一氏にインタビューしていたアナウンサーが突然それを切ったのである。そして、「ただいま、石原慎太郎氏の当選確実が出ました」だって。その後は石原事務所にカメラが回ったと思う。もうあの桝添氏には何のフォローもなし。これって何なの…。もう当たり前の礼儀なんてあったものじゃないんだよね。それが変だと言うことすら気づいてないのかしら。そうだとすれば、恐ろしい。
価格決定権(04/02/21-309)
 数日前に「ジャパネットたかた」さんを話題にした(18日306回目)。こうした分野が成長するのを見ていると、素人ながら時代の変化を感じざるを得ない。今日では、モノた販売する側が価格決定に大きな力を持っているのである。その典型は100円ショップだろう。経済学は知らないが、価格はコストの合成したものではなかったのか。まずは、需要があればモノをつくる。その際には、はじめに原材料の価格があって、それに労働した分が加わる。それから、製品を倉庫に置いていたり、輸送したりする必要があるから、そのためのコストがかかる。そして、小売店の利益もプラスしなければない。最終的には、これらを加えて価格が決まっていたんだと思う。だから、モノの値段は製造から販売までにかかった経費の結果だった。ところが100円ショップは、「はじめに100円ありき」なのだ。最初から売値が決まっているのだ。それを絶対目標にしてモノがつくられる。ここでは、モノを売る方が価格を決定しているのである。その昔は、何と言ってもメーカーの力が強かったと思う。「この価格で売れ。イヤならお宅には卸さないよ」。こんなことを言うと、独占禁止法違反なんだろうが、とにかくそうした力関係はあったはずだ。こんな関係に猛然と挑戦したのがダイエーの中内氏だった。カラーテレビを巡る大手電器メーカーとの戦いは歴史にもなっている。大メーカーに対抗してダイエーブランドのカラーテレビをつくったほどである。命名の理由は知らないが、ダイエー・ブブの呼び名で扇風機などもあった。それは流通業界がメーカ主導の価格決定に影響を与えはじめた最初の試みだったのではないか。そのダイエーが苦しんでいる。中内氏も去った。そして、「ジャパネットたかた」が10周年を迎えるという。これも時代の流れか。
お詫びができない(04/02/20-308)
 一昨日の18日のこと、また車でテレビを聞いていた。テレビ朝日系のニュース番組に竹中金融・経済財政担当相が出た。内閣府が年率に換算するとGDP成長率が年率7%もの成長になるという発表をした。そのことに関連したインタビューだった。何せ朝方からテレビの速報が出るほどの大ニュースなのだ。「これで景気が回復するか」などと性急な質問。おそらく聞いているキャスター自身がそんなこと夢にも思ってもいないはず。どう見たって賢そうな人だもの。それでも、何も分かっていない「庶民」の代表として聞いてくれているにちがいない。まことにありがたいことだ。「そんな発表を聞いても、庶民は実感していませんよ」と追い打ちをかける。その証拠として「町の庶民の声」を VTR で流す。「うーん、そうなんだあ。政府に騙されてはいけないんだ」と考え込む。そして、「失業率が5%もある中で、回復の兆しと言われたって…」と隣の男性も声をかける。それに、竹中氏が答える。ところが、その話がつづいている途中で画面は突然にCMへ替わってしまった。夕方の5時34分ごろである。何という失礼なことするんだろう。人に話をさせておいて、いきなりカットするなんて。しかも、CM後には「先ほどは失礼しました」の一言もなし。つぎの話題は「いまでも牛丼が食べられるところがある」んですって…。あーあ、これって子どもの教育にも悪いよなー。失礼なことしても知らぬ顔ですますんだから。みんなが見ている仕事をする人はもっと当たり前の感覚を持ってくださいよ。ところで、あのキャスターの報酬は「景気が回復するかどうか気が気でない」ほど庶民的なのかしらね。
マクナマラ氏の後悔(04/02/19-307)
 まだつづくマクナマラ氏の話題。このところ引用している New York Times のマクナマラ氏に関する記事を読んでいくと、後半に記者と交わした会話が載っている。「どうして人々は自分が犯した過ちを認めたがらないんでしょうか」「それは、カソリック教会でも、会社組織でも、非政府組織でも当てはまることです。そして、とりわけ政府組織はそうなのだす。わたしは、厳しい問題も避けて通らないという信条を持ち続けてきました。自分が敬服し、仕事を共にしてきた人ぴとと言い争うのは不愉快なことです。しかし、議論はしなければならないのです…」。「かつて政府の仕事にかかわった重要人物で、外圧なしに過去の過ちを認めた人間はほとんどいない」と記事はつづく。「秘密や本音は墓場まで持って行く」なんて歌舞伎まがいの大げさな表現を使う人がいる。こうした発想は洋の東西を問わないようだ。われわれは、とにかく間違いを認めたがらない。とくに政治にかかわる仕事をしている人は…。まあ責める方も、その正直さをほめるよりも、これでもかと輪をかけて責めまくる。だからなおさら誤魔化そうとする悪循環に陥ってしまう。こうした中で、その例外がマクナマラ氏だと記者の Samantha Power は書いている。国防長官在任中、彼の妻や息子は潰瘍に悩まされた。1981年に亡くなった妻は「ストレスが原因だったにちがいない」とマクナマラ氏は語る。重い責任を持って仕事をすると、その家族も大変なのである。最後に記者はつぎのように締めくくる。「伝統に従って、マクナマラ氏は決して謝罪はしてこなかった…。しかし、彼は政策の過ちを認めるというホワイトハウスのルールを破ったのである。氏は映画の中で言う。『わたしは自分の仕事に大きな誇りを持っている。ただ、その仕事の過程でいくつかの過ちを犯したことについては非常に残念に思っている』と…」。マクナマラ氏87歳。重い重い締めくくりではある。
テレビショッピング(04/02/18-306)
 祝日の2時ごろだった。テレビをぼんやり見ていたらテレビショッピングなるものが始まった。前々から聞いていたジャパネットたかたの番組である。あの王監督の顔をトイレに使ったという「事件」でも新聞に載っていた。ジャパネットたかた風に仕立てていたらしいのだ。特製トイレの販売といったパロディにしたのだろう。ともあれ、これまでも高田氏の顔をほんの数秒くらい見たことはあった。しかし、もともとこの種のものはほとんど興味がない。だから、いつもはすぐにチャンネルを変える。しかし、なぜかその日は、噂の番組を見てみるかという気になった。すると、これがけっこう面白い。新聞だったか、高田氏の声がキンキンで人を引きつけると書いていた。どうもそんな感じなのである。ともあれ、あれもこれも「安いっ」と言う気になってくるから大したものだ。デジカメあり、掃除機あり、はたまたカラオケまで登場する。カラオケなんて購入者の絶賛インタビューまで付いている。評判どおりの高田氏であった。それにしても、はじめから終わりまでCMみたいなものって番組といえるのかしら。まあ、これも時代の流れなんだろうな。こうした販売方式の活況を見ていると親父を思い出す。昔は通信販売といえば、けっこう怪しいものがあったようだ。内容までは忘れたが、親父の父親、つまり私のおじいちゃんなんぞは、通信販売で大いに損をしたらしい。「やっぱり物は見て買わないと」。これが父親の口癖だった。いまでも、インターネットショッピングの中には詐欺同然のものがあると聞く。もちろん、テレビでやってるものは、放送局も審査して、それなりに責任を持つのだろう。いずれにしても、最終的には購入者の判断力が問われることになる。
マクナマラと日本空襲(04/02/17-305)
 また、元米国国防長官マクナマラ氏に絡んだ話。一昨日のつづき。New York Times によると、モリス氏のThe Fog of War≠ノは、日本の67都市に対する焼夷弾爆撃が出てくるらしい。そのとき、マクナマラ氏は空軍のルメイ将軍のもとで働いていた。モリス氏は、アメリカ政府が戦争に勝つために作成した恐るべき報告書を発見している。それに関連した質問に、マクナマラ氏は答える。「善を行うためには、ときとして悪行も覚悟すべきなのだ」。氏の記憶によれば、「東京では1回の空爆で10万人の市民を焼き殺した。男も女も子どもたちも」。一連の空襲で、最終的にはほぼ90万人の市民が命を失うことになる。モリス氏は、マクナマラ氏がそのことを認識していたかどうかを問いかける。「わたしは、それを推進する機構の一部だった。ルメイ将軍はこんなことを言った。『もしこの戦争に負けたら、われわれ全員が戦争犯罪人として追求されるだろう』。わたしもそれは正しいと思う。私たちは戦争で犯罪的な行為をしていたのだ」。モリスの質問はつづく。「どうして、負けたら悪になり、勝てばそうならないのか」。その回答は、きわめて単純だ。勝利者は歴史を書き、法的な説明責任は逃れることができるから…。そこから、New York Times はベトナム戦争へと話題を転換する。それは、マクナマラ氏が中心的な役割を果たした戦争である。ともあれ、日本の都市を空襲していたときに、米軍の責任者が自分たちの行為が戦争犯罪に当たると認識していたのである。「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのだ。英語にもこんな表現があるそうだ。Loosers are always in the wrong.
安全知識と安全意識(04/02/16-304)
 「組織の安全」は私にとって大事な研究テーマである。今日まで、私はグループ・ダイナミックスという領域で仕事をしてきた。グループダイナミックスは日本語で集団力学と呼ぶ。文字通り直訳である。Dynamics が「力学」にあたる英語であることは、大学に入ってから知った。ともあれ、グループダイナミックスの目的は、「集団との関わりを通して人間を理解する」ことである。そんなわけで、組織で起こるミスや事故を人間的な側面から防止するための研究は、グループダイナミックスの研究そのものである。もちろん、「ミスや事故」がなければ組織は安全だというわけにはいかない。組織では不祥事が起きたり不都合なことを隠蔽するといった問題が指摘されたりする。それらは、結果として組織の存続を危うくする。その意味で、これらも組織の安全にかかわる問題である。こうした視点から、わたし自身も前世紀末から「組織安全学」の必要性を訴えてきた。その甲斐があってか、この領域で原稿を書く機会も多くなった。現在も、中央労働災害防止協会の「働く人の安全と健康」に安全を中心にした6回シリーズを連載中である。1月号から6月号まで掲載される。身近にこの雑誌がある方はぜひお読みいただきたい。ところで、そんなわたしの頭に浮かんだ1対のことばがある。それは、「安全知識」と「安全意識」である。安全に関する「知識」がなければ、安全を確保しようがない。そんな組織は危なくて仕方がない。しかし、「知識」があっても事故は起こり得る。そこに、「知識」を安全のために生かす「意識」が必要なのだ。そして、もちろん「意識」だけでもまだ十分ではない。「意識」が「行動」になってはじめて安全が実現するのである。「知識」は教えればいい。しかし、「意識」はそうはいかない。そこには人間関係や仕事に対する責任、誇りなどがかかわってくる。さらに、それが行動化するにはもう一歩必要だ。そのためにどうすればいいか。いつも、そんなことを考えている。
アカデミー賞からの道草(04/02/15-303)
 3日ほど前に、ケネディ政権のラスク国務長官と聞くと、いつもパンのラスクを思い出すことを書いた。なぜか、学校の近くには文房具屋さんとお菓子などを売っているお店がある。場所によっては、その両方を兼ねているところもある。わたしが小学校のころもパンをよく買うお店があった。そこのおばさんはとても優しい人だった記憶がある。なにせ、朝からニコニコしていて、顔を見るとほっとしたものだ。ところが、どういう巡り合わせか、おじさんはごっつう恐い感じの人だった。無駄なことは一言も言わないぞという雰囲気にあふれていた。「このおじさんは、一生に一度くらいしか冗談を言わないんだろうな」。わたしは密かにそう信じていた。ある日の朝、いつものようにお店に入った。その途端、出てきたのはおじさんだった。いやー、やばい。そうは思っても引き返すわけにはいかない。そんなことすれば、二度と出入りできなくなる。おどおどしながら「ラスク下さい」と声を出した。それを聞いたおじさんが耳を疑うようなことを言ったのである。「ラスクを食うと、はラスクよ」。な、なんということ。「腹がすく」と「ラスク」をかけたのである。それを言ったのが、あのおじさんなのだ。これ以上ないような下手な駄洒落ではあった。それを聞いたわたしは、その瞬間に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「このおじさんは、一生のうちで1回しか言わない冗談を言ったんだ。あー、すみませーん…」。それは昭和30年代の物語である。どう考えても、おじさんはお亡くなりになっているはずだ。その後の人生で、わたしの予想どおり冗談を言われなかったかどうか、それは分からない…。とにもかくにも、わたしはラスク国務長官とあのラスクがいつも重なり合うのである。つぎは、マクナマラ国防長官へ話を戻す予定だ。ここで進行中の物語は前の「あらすじ」が分からないと繋がらないかもしれない。前回は4月12日、本コラム300回の日だった。
ぐうぬし(04/02/14-302)
 また、間違いであってほしいと思うことが聞こえた。私は、車でテレビを聞いていることが多い。昨日の夕方6時40分ころだった。NHKで阿蘇で火事があったことを伝えていた。どこかのお宮だったと思う。その中で、「ぐうぬし」という音が聞こえた。「えっ」と思ったが、それだけのことである。しかし、それはどう考えても「宮司(ぐうじ)」ではないか。たしかに「神主(かんぬし)ということばはあるが、「宮主?」は聞いたことがない。運転中のこと、聞き違いの可能性はゼロではない。しかし、やはり気になるので取り上げてはおこうと思う。ともあれことばのプロは、ことばのプロに徹してもらいたい。このごろは、日本語を知らない感じのアナウンサーもけっこういる。それはもう見栄えだけで売ってるんじゃないのといいたくなるタイプもいる。そこはプロとしてきちんと教育していただきたいものだ。もちろん、人間にミスはある。それならそれで、間違ったら訂正するなり謝るなりすればいいのである。ところが現実には、そのまま放ったままのことがけっこうある。私が小学生のころである。NHKのニュースに今福さんというアナウンサーが出ていた。何をどう間違ったかはまるで記憶にない。もう、数十年前のことだから当然である。しかし、あるとき今福さんは何かをいった後、「ごめんなさい」と謝ったのだ。そのことが今でも忘れられない。子ども心にも、テレビで「ごめんなさい」と聞いて違和感を覚えたのかもしれない。しかし、それはとてもいい印象として記憶に残っている。今でも、眼鏡をかけた優しいイメージの今福さんを名前まで思い出すのである。あの白黒テレビに映った今福さんを…。過ちを率直に認めること。それはとても大事なことなのだ。そのことで、信頼感が増すことも大いにあるんだよなあ…。
トイレ再考(04/02/13-301)
 先月、男子トイレの秘話を書いた(1月19日276)。それを読んだ息子曰く「お父さん、あれは品がなくてまずいよ」。いや、もちろん上品ではないけれど、それもまた現実描写を旨とする「味な話の素」にとっては必要なのであるよ。それが証拠に、ある女子学生からも「勉強になりました」とのコメントをいただいたのだから…。そんなこんなしているうちに、熊本県内にある中学校のトイレで、また面白いコピーに出くわした。「あせらず、さわがず、もう一歩前へ。心おだやかに、ひとしずくたりともこぼさぬように」。これもまた、読めばその気になって前に進むから効果満点なのだ。ところで、以前から若い人が便器の前に進みすぎるのが気になっている。それはもう、腕の部分が朝顔にくっつくほど近づくのである。「朝顔」って、男子の小用便器のことですので、念のため。その理由は、どうも隣の者から見られたくないためのようだ。もちろん対象物は言うまでもないが、はっきり書くと、また息子から非難されるからやめとこう。若者たちと比較すると、われわれの世代はけっこうおおらかだ。「見るなら見ろ」という感じで用を足している。もちろん、隠すべきものは隠した方が上品なんだろう。ただ、あそこまでくっつくと、衣服が心配になるほどだから、それはまたやりすぎではないかと思ってしまう。それにしても、トイレの数分間にも、さまざまなネタが転がっているものだ。ついでに、あまり気づいていない情報を…。あのストーンと下まであるトイレはかなり注意が必要だ。液体が下まで滝のように落ちたらどうなるか。そうです、かなりの跳ねが生じるのである。あるとき、旅館で浴衣を着てトイレに行ったとき、下駄を履いた足にぴちぴちと跳ねてきたのである。いやー、知らないところで、けっこういろいろなことに気づくもんだ。いつもはズボンをはいているから分からないだけのこと。みなさーん、気をつけましょう。ところで、休日に家族で「ピソリーニ」に行った。ピザとパスタがなかなかおいしかった。店ではかなりの人数が働いていたが、見渡す限り全員が男性だった。女性といえば、駐車場入り口で車の整理をしていた人だけである。これって、何か意味があるんだろうか。それはともあれ、店のトイレに感動してしまった。小用便器の下手前にちゃんとカバーが付いていたのである。文章では伝えにくいが、とにかくこれなら飛んでこないかなという感じで安心した。やっぱしその欠陥に気づいた人がいるに違いない。うーん、それにしても、この手の話は品がないかなあ…。
おかげさまで 300回
アカデミー賞(04/02/12-300)
 今年のアカデミー賞に関連した情報を伝える日本のテレビはThe Last Samurai∴齔Fだった。何といっても「侍物語」である。わが国で評判になったのは頷ける。なかでも渡辺謙の助演男優賞へのノミネートは話題になった。英語では supporting actor と言うんだそうな。なるほど…。ところで、ドキュメンタリー部門では、The Fog of War≠「う映画が注目を浴びている。プロデューサーであり監督でもあるEroll Morris の最新作だ。昨年暮れの New York Times で紹介されていた。それに刺激されて Morris 氏のホームページへ行ってみた。そして、ついつい深入りしてしまう。理由は簡単だ。映画の副題とも言うべきものが、
Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara≠ニなっていたからだ。わたしはこの Robert S. McNamara(写真)という名前に反応してしまうのである。若い人にはイメージすることさへできないだろうが、ケネディ政権からジョンソン政権時代に国防長官を務めた人である。ケネディ大統領とラスク国務長官、それにマクナマラ国務長官の3人が話しているところを撮った写真がある。その写真には、マクナマラ氏は後頭部しか写っていない。しかし、わたしはその特徴ある髪型を見た途端に彼だと分かった。もちろん、初めてその写真を見たときのことだ。そうそう、ラスク国務長官の顔も懐かしい。その写真を見るたびに小学校時代を思い出す。いまでもバターを塗った上に砂糖をまぶしたパンはあるだろうか。これをラスクと呼んでいた。ここまで書いて辞書を見た。何と広辞苑に載っていた。「ビスケットの一種。パンを薄く小さく切り、卵白と混ぜた粉砂糖を塗って再び焼いたもの」。わたしの思い出では食パン1枚の大きさのものだから、「薄く小さく」ではなかった。それはいいけれど、またまた、けっこう書いちゃった。しかも、まるで本題に入っていない。しかし、今日はここで閉めよう。なんたって、わたしもそんなに「暇」ではないのです。いずれにしても、この話は、そこそこのシリーズになりそうな予感がします。もちろん、いつものように脇道に逸れながら…。「そんな悠長な」と思われる方は、先行ロードショーにお誘いしましょう。Yahoo アメリカの http://www.apple.com/trailers/sony/thefogofwar.html をご覧下さい。日本空襲の模様やマクナマラ氏の映像が見られます。ただし、画面は小さく予告編程度です。また、http://www.errolmorris.com/ もどうぞ。(Photo:http://www.defenselink.mil/specials/secdef_histories/bios/mcnamara.htm)
新幹線の構想(04/02/11-299)
 さたさて、前回は新幹線をつくるために海外から借金したことを話題にした。その後の日本は「それいけ、やれいけ」の経済成長で豊かになっていく。1961年に借りた資金も1981年5月15日には完済と相成った。いわば20年ローンだったのである。ともあれ、1959年には新丹那トンネルで起工式。それからというもの、オリンピックに間に合わせるために、まさに夜も寝ないような仕事がつづいた。当時は「突貫工事」ということばをよく聞いたものだ。造船所でも、海外からの注文が多いのは、日本が納期を守るからだという話もあった。とにかく、何が何でも決めた日に間に合わせるのである。最終的な総工費は3800億円だったという。今では常識だろうが、新幹線と在来線とではレールの幅が違う。在来線はその幅が1067mmである。これを「狭軌」といっている。これに対して新幹線は1435mmと広く、文字通り「広軌」と呼ぶ。ただし、広いといっても国際的には「標準軌道」である。九州では西鉄大牟田線の電車は「広軌(標準)」を採用している。また、熊本を走っている路面電車も広軌」である。信号を渡るときにどのくらいの幅か実感できて楽しい。ところで、新幹線の構想は、東京-下関-朝鮮半島を結ぶ「弾丸列車計画」にまで遡る。そして1940年の帝国議会で、「広軌幹線鉄道計画」が立てられた。すぐにも着工の勢いだったが、当時は戦争のまっただ中である。最終的には戦況の悪化で中断を余儀なくされる。すでに用地買収も始まり、「日本坂」「新丹名」「東山」の三つのトンネルは着工済だったという。開業当時は東京-大阪間は4時間かかった。現在はのぞみで2時間32分と相当にスピードアップした。
新幹線と借金(04/02/10-298)
 来月、九州新幹線が一部開業する。熊本から鹿児島まで56分だそうな。現在が2時間30分だから、その速さには驚いてしまう。ところで、新幹線が東京-大阪間で開業したのは1964年10月1日のことである。東京オリンピック開会式の10日に照準を合わせていた。それから「ひかりは西へ」のかけ声の下、1972年には岡山へと伸びる。さらに博多まで繋がったのが1975年であった。この路線は山陽新幹線と呼ばれる。現在はJR西日本の管轄だ。そのため、博多駅にはJR九州とJR西日本が同居している。九州新幹線ができてもスタート地点は博多になるのだろう。地理的には北九州の小倉は九州だが、いまさら、「ここから九州新幹線」というわけにもいかない。しかし、面白いよね。これから何十年も経てば、そのことを知っている人がいなくなる。未来の子どもが聞くかもしれない。「お父さん、どうして小倉は九州なのに、新幹線はJR西日本なの」。あるいは、テレビのクイズ番組で「新幹線小倉駅はJR九州ではなくJR西日本が経営しています。さてどうしてでしょう」なんて問題が出されるかもしれない。すぐに答えられるお父さんや回答者は「もの知り」と尊敬されるだろうか。じつは、ここで話題にしたかったのは別のことである。書き始めたら脇道に逸れてしまう。悪い癖である。そこで、本題に入ろう。最初に新幹線がつくられたとき、建築資金の一部を世界銀行から借りたことをご存じだろうか。その額は1961年の時点で8000万$当時のレートで288億円の借金をしたのである。同じ年、小学校教員の初任給が11,400円(戦後値段史年表 朝日文庫)である。平成14年の東京都の場合、20万を超えているようだから、現在では6000億円くらい借りたことになるだろうか。景気が悪いとはいえ、日本は「経済大国」。若い人は、わが国が海外援助することはあっても、援助されるなんて夢にも思わないだろう。しかし、ほんの40年前、と言っていいかどうか分からないが、日本はお金を借りないと新幹線も作れない国だったのである。
200億円のダイオード(04/02/09-297)
 青色発光ダイオードの特許問題で、発明者に200億円の支払い命令が出た。法律の関係で、あのアメリカでも見られない高額判決だという。ハンバーグ店のコーヒーでやけどして何億円。肺ガンで亡くなった責任を取れとたばこ会社にウン十億円請求。何せ訴訟社会のアメリカのこと。弁護士は ambulance chaser と呼ばれているらしい。「救急車の追跡者」なんて言えば聞こえがいい。しかし、真意は救急車に乗った人間は何らかの事故やトラブルに巻き込まれている可能性が強い。そこで、それを追いかけて、「こんな目にあったあなたは訴えるべきだ」「あなたなら○○万ドルはとれる」なんて唆すのである。そんなことだから、200億円程度の支払い命令で驚くお国ではないと思いきや、どうもそうでもないらしい。あちらは契約がしっかりしていて、そんな高額な判決なんてあり得ないのだそうな。これにはかなり驚いた。それも、文化というか法律のちがいのようだ。今回の事例は両者が控訴して2審までは決まり。おそらく最高裁まで行くのではないか。素人としては、最終的な額は200億円より下がるのではないかと予想するが、どうなるか。それにしても裁判官もいろいろ考えるんだろうな。発明によって会社が得る利益総額が1208億円と判断した。そこで、原告が得るべき利益は600億306万円になるという。この際、それほど正確な数値が分かるわけがないと思うのだが、どうだろうか。600億円にくっついた306万円というのが、まことに滑稽である。われわれ庶民に身近な1万円で考えると、51銭に当たる。「そんなもん、ないのと同じじゃん」とはいかないのでしょうね。およそのところで600億でもよさそうに思うんですけど…。いやいや、その基礎にはすっごい理屈と計算式があるに違いない。まあ、法律の世界ってそんなモンなんですよね。まことに、ごくろうさん。それに、裁判の印紙代が4000万円ですって。これまた絶句した…。ところで、先日の授業で学生に、「もし来週の試験で、『200億円というキーワードで自由に述べなさい』という問題が出たら、『書けるぞー』という人はいるかい」と問いかけた。その反応に驚いてしまった。なんとほんのちょっぴりしか手を挙げなかったからである。私にとっては、200億円の判決よりも、挙手した学生数の少なさの方が衝撃だった。もっと時事的な情報にも関心を持って欲しいな、みなさん。
あくまで高校へ(04/02/08-296)
 先日この欄で取り上げた、高校生が学校以外で勉強しないというニュースを授業で話した。私は、「まあほとんどの子どもが高校生なんだから、全員が勉強に興味・関心を持つなんて期待できないだろう」と、まあひとつの仮説を提示した。これに対して、学生からは自分の経験も踏まえた意見が出てきた。「高校で部活にはまってると勉強時間はとれない」「いつもはしなくても、テスト前にはちゃんとする」「勉強以外にも楽しいことがたくさんあるから」。まあ、いろいろな解釈があり得るものだ。それぞれの考え方がそれなりに当たっているのだろう。しかし、とにかく高校生は大変なんだ。ほとんど全員が行くからドロップアウトも多くなる。義務教育ではないから留年や落第の可能性も出てくる。どうしてもつづかないときは退学することもある。それでもやはり高校は卒業したい。そんな中で通信制の高校は魅力的なようだ。とくに単位制だと、学年ごとでうまくいかずに留年ということもない。きちんと単位を取っていけばいいのである。しかし、通信制の場合も試験やレポート、スクーリングがある。当然、それには合格しなければならない。ところが、これがまた一苦労なのである。すんなりいかないのだ。それならどうするか。そこで、サポート校というものが登場する。これは正式の学校ではなく、ある種の私塾のようだ。いわゆる正式な学校である通信制高校の単位が取れるようにサポートするのである。それでも、それでも、とにかく高校を卒業したい。そんな気持ちでみんな頑張っている。それは、94%が高校生という時代だからだろうか。それとも、社会が高校を卒業することを期待しているからだろうか。
仕事と家族(04/02/07-295)
 「家族と暮らしながら野球がしたい…」「ワイフが帰ってと言うから…」。こんな理由でアメリカに帰った外国人選手がいた。「やっぱりアメリカ人は違うな」なんて思ったものだ。ところが、最近は同じセリフを日本人が言うようになった。その主人公は佐々木主浩投手35歳。言わずとしれたマリナーズの抑え投手。昨年は体を壊して活躍できなかったものの、大リーグを代表する守護神、人呼んで大魔神である。セイフィコ球場でもDAIMAJIN≠ニいう電光掲示板が輝く場面を何回も見たものだ。マリナーズのホームページでも写真入りで、「本拠地で最高のクローザー去る」と称えていた。その佐々木に帰国を決意させたのは「パパ残って。日本にいて」という長女と長男の一言だったらしい。佐々木は、これに「自分や子どもの気持ちを押し殺してまでアメリカで野球をやっていいのかな」と思ったという。これで放棄した報酬は950万ドル、日本円で10億2000万円になるという。まあ、何ともすごい金額だが、それよりも家族を大事にということなのである。35歳といえば、1968年生まれ、昭和43年である。日本が高度経済成長を突っ走り、形fだけなりとも裕福になったころだ。世界的にはベトナム戦争があり、国内でも学生運動が激しくなり始める時期である。世界観や価値観は揺れ動いていたが、全体として平和を謳歌してもいた。男たちは家庭を顧みず、モーレツに働くことに生き甲斐を見いだしていた時代だった。それに疲れたわけではないが、その子どもたちはグーンと自分志向、家庭志向的になったようだ。まあ、けっこうなことではある。アメリカのUS SPORTS も、"It's a personal situation," said his agent Tony Attanasio. "He wanted to stay home with his kids."と伝えていた。これを見たアメリカ人が「さすが日本人」と思うか、「えーっ、日本人もそんな発想をするようになったの」と驚くか…。ところで、1968年といえば、九州大学に米軍の戦闘機ファントムが墜落したことをご存じだろうか。それは6月2日22時05分のことであった。大学に戦闘機が落ちるなんて信じられないかもしれないが、とにかくそんなことがあった。この話題はいつの日か取り上げよう。
小さなミスと大きな影響(04/02/06-294)
 飲酒運転を取り締まるためのアルコール検知器に不具合が見つかったという。昨年の11月に警察庁が20台程度を購入したらしい。高速警察隊が使うために全国に配備された。メーカー担当者が説明会でチェックしたところ、飲酒していないのに反応が出たという。すでに8件は酒気帯びで検挙していたとのことだ。全国に回っているから、実際の件数はもっと多いかもしれない。警察も困っていることだろう。こういうニュースが出ると、「本当は飲んでなかった」と言い出す人が出てくる可能性がある。これがまずいのだ。そのとき本当に飲んでなければ、「絶対に違う」と言い張っただろう。それを認めたのだから、やっぱり飲んでたことは強く推定される。しかし、筋は筋なのだ。ちょっとでも誤作動の可能性があれば「絶対にあり得ない」とは言えない。しかも、「警官に言われたので、飲んでなかったけど認めてしまった」などと言われれば困ってしまう。だから、こうしたことがあると、第一線で仕事をしている警官はかなわない。検査をしても、「それって大丈夫か」なんて皮肉を言われるかもしれない。ここで大切なのは、そうした誤差のある製品がパスした原因である。機械にはかならず誤差が生まれる。だからこそ、事前のチェックが欠かせないのである。とくに、それまでの行為の信頼が揺らぐような重要な機器は慎重に慎重を期さねばならない。気温が低いところで温かい呼気を検査すると値が不安定になったらしい。それが一部の特性なのか全体の傾向なのかは分からないという。ふるえるような冬でもうだるような夏でも使う物だ。そのあたりもきちんとしておかないと、後で困ることになる。製造した会社はどんなチェックをしていたのだろうか。せっかく築いた信頼がこんなことで壊れてはもったいない。これもまた、「組織の安全」を脅かす事例なのである。
勉強しない高校生(04/02/05-293)
 高校生の5人に1人が学校外での学習時間はゼロ。これは文部科学省が2002年11月に実施した学力調査の結果である。全国の高校3年生から15万8000人を無作為抽出した。全体の8%に当たる大規模なもので、1962年以来40年ぶりとのこと。その年なら、私も中学生だから随分と昔の話である。ともあれ、いわゆる意識調査としてはちゃんとしたものだと言っていい。その中でマスコミに強調されていたのが学校の授業時間以外の勉強時間である。結果を見ると、「まったく、またはほとんどしない」が41%になったというのだ。中学3年生が9%というから、それよりも圧倒的に高い数値である。授業で分からないことがあったとき、「そのままにしておく」が36%いた。これも中3の23%を上回っている。こうした現状を見て、あちこちから嘆きと焦りの声が聞こえてくる。しかし、「ちょっと待てよ」と思ってしまう。2001年度の学校基本調査によると高校進学率は96.9%である(文部科学省)。また海外では、アメリカが88・9%(1997年)、イギリスは70・5%(98年)、フランス88・2%(97年)、そしてドイツは81・9%(97年)だという(Mainichi INTERACTIVE )。わが国の場合は、いわゆる「全入」に近いのである。同じ年齢のほとんどの子どもたちが高校生ということなのだ。そう考えると、授業外での学習を「まったく」しない子が20%程度いたって、それこそ「まったく」おかしくないんじゃないか。これに、「ほとんどしない」を加えて41%になった場合も同じである。同じ年齢だからといって、全員が同じことに興味を持って同じようなことを同じ程度にすると考える方がよほどおかしくはないか。もちろん、一般的には高校生に勉強しては欲しい。しかし、そりゃー、彼らだって興味・関心の対象は違って当然だ。大体、われわれ大人自身がいろいろな仕事をしている。みんなが同じことに没頭すべきなんて考えてもいない。今日もかなり長くなってきた。とりあえず、ここでおしまい。
NOMO, the Great!(04/02/04-292)
 ドジャースの野茂英雄選手がNOMOベースボールクラブを設立し、活動をスタートさせた。不況続きで、企業などがスポンサーになったチームはドンドン減っている。この10年でチームの数は、144から90に減少したのだそうな。そんな中で、野茂選手は、野球クラブチームを設立したのである。本拠地は、社会人野球時代を過ごした大阪府堺市だ。自分が野球で育ったことを強調する野茂だが、私財を投じる行為はなかなかできるものではない。大リーグといえば、今はイチローや松井が目立っている。もちろん、彼らが素晴らしいことは言うまでもない。しかし、こうしたニュースを聞くと、野茂の人間的なスケールは人並みはずれて大きいと思う。とくに、彼は口べたで、笑顔もろくに見せない。その点では「無愛想」といった評価も受ける。まあ、損と言えば損な性格の持ち主である。もっとも、それは外面的な表現力の問題にすぎない。仲間の間では、けっこう話もするんだろうと思う。考えてみれば、彼は大リーグ挑戦の開拓者だった。日本人大リーガー第1号は南海の村上選手ではあるが、はっきり業績を上げたのは野茂だろう。ノーヒットノーラン2回、メジャーで100勝である。これだけをとっても、野茂は野球の世界で歴史に残る人になった。彼はアメリカでも大リーグでプレーできない選手を支援する独立リーグチームをサポートしているとのこと。まあ、要するに人間は、ただ目立つだけではいけないんだなー。こうした人をちゃんと評価することを忘れてはいけない。その点では、私なんか物をつくることもなく、ただ顎だけで仕事をしている。改めて、反省しなくっちゃあならないかも。ともあれ、がんばれ、NOMOベースボールクラブ。東京ドームを目指して…。
Small merit のつづき(04/02/03-291)
 先日、お菓子の景品をつくる小さなメーカーが大英博物館からミニチュア制作の注文を受けたことを取り上げた。小さいが故に徹底できる small merit の神髄発揮物語である。社長も、「人生は金儲けだけじゃない」とはっきり言える。そんな素晴らしさを感じた。今日はその第2弾である。なんと、空気入れ不要の自転車ができたというのだ。もともとタイヤのチューブには無数の穴があるらしい。そのため、半年も経つと空気の2/3が漏れるのという。たしかに、乗ってもいないのに空気がなくなってしまうという実感はある。それなら、空気が漏れないタイヤが発明されたのだろうか。そうではないのである。何と走りながら空気を入れるというのだ。聞いただけでは「ほんまかいな」と大いに疑いたくなる。それはともあれ、すごーい話だ。これは間違いなく世界標準になる…。その発売元はブリヂストンサイクル。まあ、それを聞いたとたん、「なーんだ大企業じゃんか」となる。いえいえ話は最後まで聞いて下さい。本当の発明者は大阪の小さなハブ・メーカーの社長である。従業員は32人だそうな。ハブといえば車輪の中心にある部品で、空港なども世界の中心という意味でハブ空港などという言い方をする。そのハブに工夫を凝らして空気自動注入のタイヤを完成させたのだ。59歳の社長さんは、「大メーカーにできないものを開発すれば、生きる道を見いだせる」と知恵を絞ったのである。自転車ばかりでなく、車いすメーカーからも引き合いがあるとのこと。とにもかくにも素晴らしい。“Small is beautiful”、“ Small merit 万歳!”。それにしても夢があるなー。さあ、こうなると空気入れを製造している会社が大変になる。これまで培ったノウハウを生かして、あっと言わせる新製品を開発していただきたい。世の中、大変だ。
TV-MA=国会中継(04/02/02-290)
 アメリカには、子どもをわいせつ画像や暴力的シーンから守るための基準がある。映画とテレビにはこの制度が規定されており、それぞれ映画 Rating システム、テレビ Rating システムと呼ばれている。因みに、一般人を対象にしたテレビ Rating を見ると、とくに制限のない一般対象は TV-G である。これが TV-PG になると、児童に不適当な箇所があるため、保護者の判断が必要とされる。さらに、TV-14 では、14歳以下の児童にとって問題場面が含まれる。したがって、保護者はかなり注意して判断しなければならない。これ以上のものが、TV-MA で、これははっきりと成人対象とされる。アメリカの場合だと17歳以下は禁止であ。また、TV-PG、TV-14、TV-MA には、どこが問題なのかについて明確にするための記号も付けられる。V(moderate violence)には、やや暴力的な場面が含まれる。S(some sexual situations)が付けば、何カ所か性的描写が入ってくる。そして、L(infrequent coarse language)は、ときおり下品な会話が交わされる。さらに、D(some suggestive dialogue)となると、いくつかの場面でワイセツなことを暗示する会話が聞こえてくる。
 さあて、みなさん。ここまで解説して、いま開会中の国会中継を評定していただきたい。発言者の声が聞こえなくなるほどのヤジと怒号が渦巻いている。「国会は民主主義の顔」なんてだれが言ってるの。こんなんじゃあ、とても子どもに見せられない。話は聞かない。人に話をさせない。大声で叫んで邪魔をする。人を馬鹿にする。下品に嗤う。聞くに堪えないヤジを飛ばす…。どれをとっても「子どもの模範」になることばかり?みなさん、国会中継を評価すれば、TV-MA の L は間違いないでしょう。それにときには、V だって付くこともありますしね。とにかく、あれで「良識ある選良」だと言うんだから、国語辞書を書き換えた方がいいかもしれない。広辞苑では「良識」は「社会人としての健全な判断力」。「選良」は「すぐれた人を選び出すこと。また。その選ばれた人。特に、代議士をいう」となっている。しかし、私の{洪辞煙}によれば、少々ニュアンスが違っているのだ。「良識=社会人にしては非常識で不健全な判断力」「選良=できるだけ駄目な人を選び出すこと。あるいは、そうして選ばれた人。とくに、代議士をいう…」。
知的ワクワク(04/02/01-289)
 何がきっかけだったか忘れてしまったが、授業で「辞典」と「事典」を話題にした。この二つの違いが分かるかどうか聞いてみた。いくつかの授業で試してみたが、学生のみなさんは案外と知らなかった。自信なさそうな顔も含めると、半数以上があやふやな感じだった。そこで、私は自慢げに解説することになる。まずは、「『辞』を使うことばを思い浮かべてごらんなさい」と問いかける。すると、「祝辞」や「謝辞」などが出てくる。「そうでしょう。お祝いのことばが『祝辞』、感謝のことばは『謝辞』なんだよね」。だから、「辞」はことばなのだと説明する。「辞典」は「ことば」についての情報をまとめたものだ。そこで、「国語辞典」や「漢和辞典」「古語辞典」はみんな「辞典」となる。これに対して、「事典」は「事柄」についての情報を提供することが目的になる。したがって、「百科辞典」ではなくて、「百科事典」になる…。おそらく、知らなかった学生には「目から鱗」に違いない。そう思ったのだが、今ひとつ学生の反応が弱い。そこで、またまた私の押し売り精神がむらむらとわき上がる。「ちょっとみなさん。いまのって『なるほどー』って思わないの」。目があった学生はにっこりと「そう思いました」と応えてくれる。「そんなら、もっと感動ーって顔してよ。『それで、どうなるの』じゃなくって、知らないことを知ったときは興奮しようよ。知ることの楽しさを味わおうじゃないの…」。そうなんです。世の中不景気で喘いでいるけれど、ちょっと知るだけでも楽しく充実した気持ちになれる。お金なんていらないしね。それこそが、人生の充実に繋がっていく。そんな信念で、つまらんことにもキャッキャと喜ぶ私です。そういえば、このごろは「何の役にも立たないこと」をネタにした番組もありますね。でも、私の場合は決して「何にもならない」ことではないのですよ。