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味な話の素
No.8 2003年12月号 (227-257)
 

本年は大変お世話になりました。来年もいい年でありますように
父の思い出(03/12/31-257)
 父は戦時中、中国の青島で生活していた。いわゆる引き揚げ者で、昭和26年に試験を受けて税務署員になった。その後は八幡を経て行橋、伊万里、福岡と転勤を重ねた。福岡の後は長崎、武雄とつづく。さらに門司へ移り、最後は八幡で定年を迎えた。最初と最後が八幡である。父は酒もたばこもやらなかった。酒は体質的に受け付けなかった。ビールをコップ1杯飲むと湿疹ができるほどであった。たばこは体質と関係があったとは思われない。ただ吸うことはなかった。しかも、これといった趣味も持っていなかったように思う。その中で、私が刺激を受けたこととして2点は挙げられる。ひとつは日記をつけていたことである。昔の青年によくあることだが、父は文章を書くのが好きだった。若いころは作家になるのが夢だったようだ。いわゆる文学青年である。その当時としては、それほど珍しいことではない。私も高校1年生のときから日記をつけはじめた。これは父の影響が大きい。もう一つはラジオの英語会話を聞いていたことである。父の英語は最後まで本物にはならなかった。しかし、とにかく朝早くからラジオをつけて英会話を聞いていた。当時の講師は松本亮氏だった。どんな脈絡で出たのか思い出せないが、army blanketやflood victimといった単語が松本氏の顔とともに浮かんでくる。それに刺激を受けてはじめたのが芹沢栄講師の「基礎英語」だった。これはかなりユニークで、4月はほとんどの時間を費やして「発音記号」を勉強した。「これをマスターすれば、どんな綴りでもちゃんと発音できる」。それが嬉しくてたまらなかった。父は「ラジオで勉強しろ」などとは言わなかった。しかし、知らぬ間に影響を受けていたのだと思う。その父は人前で話すことが大の苦手だった。その私が講義や講演をする職に就いた。たばこは30代はじめに止めたが、私はたばこも吸った。酒は父の分まで飲んでいる。そんなこともあって、若いころは違いだけが目立っていた。しかし50代を迎えたこのごろは、けっこう似てきたのではないかと思いはじめた。風貌だけでなく、対人関係のあり方についても…。
世間知らず(03/12/30-256)
 今月の21日に「樹木とデコレーション」と題して書いた。この時期になると木に電飾をつけて喜んでいるが、生き物である樹木にとっては迷惑ではないかという内容である。最後の部分に、「この件を問題にする人はあまりいないみたいね」と付け加えておいた。先日、そのことを家内に話してみた。すると即座に、「えーっ。それって以前から問題になってるのよ。あなたが知らないだけよ」と言われてしまった。自分では批判を聞かないものだから、つい「問題発見」と思い込んでいた。なんとも世間知らずであることよ。あのコラムをお読みになった方の中にも、そう思われた方が多いのだろうか。まあ、大学の中で息を吸っていると、やっぱし世の中が分からなくなるのかなー。ともあれ反省させられた。なにせ、家内に言わせると、私なんぞ「世の中知らず」で態度も不遜らしい。タクシーに乗ってもふんぞり返っているという。かなり前になるが、家内とスーツを誂えにデパートへ行ったことがある。採寸してもらって帰るときのこと。「お店の人と話をするときの態度がよくない。いかにも客だぞといった顔して、またふんぞり返っていたわね…」。本人としてはそんな気持ちはないのである。しかし、知らぬ間にそうした雰囲気になっているに違いない。社会関係の修羅場を体験していないからかな…。なにせ、私は「対人関係の心理学」をやってることになっている。自分が世間知らずであることを認識し、大いに反省しよう。家内には「人間ウォッチング賞」をあげようかな。
もう一回ペットボトル(03/12/29-255)
 「ペットボトル」の話は次第にエスカレートする。こんなこともあった。講演中にふと舞台裏の方を見るともう1本ペットボトルが置いてある。「あれはどう見ても予備だな」と確信する。するとこれをまた言い出したくなるのである。さっそく、「じつは、あそこにペットボトルが見えるんですよね。あれって、私のために用意されてるんじゃないかと思いますよ」。こんなことを言ってしまうのが私なのである。そして、それを聞いた事務局の方が演台まで持ってきてくれた。イヤー大成功である。また、同じような話をしたら、わざわざ担当の方が3本ばかりペットボトルを追加で買ってこられたこともある。帰りがけのことだから、これはもう持って帰るしかない。ありがたや、ありがたや。そして、またまた事態はエスカレートする。あるところでは2日間の勉強会の初日にペットボトル物語をした。その翌日である。何と演台に乗っていたのは2リットルと1リットルの水。それに500ミリのミルクコーヒーにお茶に水。なんと、合計5本の4.5リットルである。これには参ってしまった。みなさん、私がどんな顔をするか待っていたような雰囲気だった。しかし。こちらも負けちゃあおれない。とっさに「いあやー、ありがたいことです。でも、これを入れて帰る袋がないじゃないですか」。思わず叫んでいましたよ。そして、本当に丈夫な袋をいただいて持って帰ったのでした。それにしても、あのときは本当に重かったなー。
ペットボトル物語はつづく(03/12/28-254)
 昨日、講演で2リットルのペットボトルを準備していただいたことを書いた。しかし、しかし話はもうしばらくつづく。まずは、2リットルをせしめてすっかり味を占めた。ところが「敵も然る者」である。あるところへ2週間連続で出かけることになった。最初にいつものように「どうせなら2リットルがいい」と話しておいた。そのつぎの週である。な、なんと演台の上には500ミリが4個並んでいた。500(ml)×4(本)=2000(ml)である。ちゃあんと2リットルをご準備いただいたわけだ。いやー、参った参った。これは間違いなく私に対する「挑戦」である。そこで「負けてはならじ」とばかり、まずは40分くらいで1本を飲みきった。おかげで話し中に動くと胃の中で「ちゃっぽん、ちゃっぽん」と水の音がした。そして2本目の蓋を開けた。だから、これは持ち帰り品としてゲットである。しかし、後の2本をどうするか。その対策を頭の中で考えつづけた。そんなことで、そのときの講演内容はいい加減…。もちろん、これは冗談ですよ。しかし、妙案は浮かばなかった。それではどうしたか。講演終了後。「あー1本は飲んじゃった。もう一つは蓋を開けたので持って帰りますね。さてさて、残りが2本か。まあ、せっかく準備して下さったのですからもう1本はもらっちゃうか」。なんのことはない、「ちょうだい」とおねだりして持って帰ったのである。いやはや、1本取られました。ご担当者の皆さんは残りの1本で乾杯でもされたかしら。「あの心臓に毛が生えたような吉田も全部は持って行けなかったね…。わっはっはー」。それはまるでお酒のように美味であったろう。まさに勝利の酒宴であるかのように。
ペットボトル物語(03/12/27-253)
 いつのころからか、講演にはペットボトルが準備されるようになった。中身は水であったりお茶だったりする。いずれにしても、私はペットボトルが大好きだ。なぜなら、講演中に飲みきれなかったら持って帰れるからである。「えっ、そんなせこいことする人いない」ですって。でも、せっかくなんだものね。だれも文句は言わないでしょう。いずれにしても、以前は水差しが定番だった。しかし、これを持ち去るわけにはいかない。なにせ備品なのだから。お話をする際には、いつもこのことを言う。あらかじめ宣言しておけば、なおさら持って帰りやすい。それに、「けっこうおもろいこというおっさんだ」と思っていただける。それだけで場も和む。あるとき、それに加えてあることが頭に浮かんだ。そこで、それもまた口に出していった。「ですから、どうせ準備していただけるのでしたら2リットル入りがいいのですよね」。さすがに、これは笑ってもらえた。ところが、これで収まらないから世の中は面白い。あるところからリピートで講演を頼まれた。最初の講演から数ヶ月後のことである。いやー、会場に行って驚いた。なんと演台の上には2リットルのボトルが鎮座ましましていたのだ。これには私が笑ってしまった。そのときは蓋を開けて少しだけ飲んで、わが家に持ち帰った。家族で分け合った飲んだことは言うまでもない…。それにしてもありがたいと思う。まずは、私の冗談に乗って下さったこと。まさに、笑いには笑いで応える精神が素晴らしい。また、私自身がそれで喜ぶだろうと思っていただいたこともありがたい。「あいつは口ではあんなこと言ってるが、それは笑いを取るだけに違いない。本当に2リットルなんぞを準備したら、『何と常識を知らない連中だ』と思うんだ」。そんな気分でおられたら、2リットルの準備などされなかっただろう。そのように私を見ていただいたことに感謝したくなったのである。
人間国宝(03/12/26-252)
 人間国宝:これは「重要無形文化財保持者」の通称である。それでは「無形文化財」とは何か。「演劇・音楽・工芸技術その他の無形の文化的所産で、歴史上または芸術上価値の高いもの。そのうち特に重要なものを重要無形文化財として国家が指定」する(広辞苑)。そして、「これを高度に体現できる者または正しく体得しかつ精通している者を、保持者として認定する」(広辞苑)。これに対するものに「有形文化財」がある。こちらは資料などを含めて、いわゆる形のある「物」ということになる。
 「いまや、わが日本には多彩な『無形文化財保持者』がおられます。さらに名誉なことにはわが町から、またしても新たな無形文化財保持者が生まれました。それはみなさまご存じの玉根木 桐太郎先生です。先生は、なんと『玉葱』を『包丁1本』でお切りになるのでございます。お聞きしますと、お母様がタマネギ切りの名人でいらっしゃったとのことです。そうした環境のもとで小学校のときからタマネギを切り続けてこられたのであります。まさにわが町の誇りでございます。しかも、本日はすでに無形文化財保持者としてご活躍の橋 餅吉さまにもお見えいただいております。先生も、今ではほとんど見られなくなったお箸の正しい持ち方を伝えておられます。その器用な箸捌きは見事というほかありません…」。
 これは、かろうじて残っている新聞と呼ばれる印刷物に掲載された記事の一部である。日付を見ると2□18年3月24日になっている。なぜか2の後に続く部分の数字が虫に食われて読むことができない。歴史的な価値のある新聞であることを考えると残念だ。ところで、本日は西暦2077年12月26日(日)である。
人の口(03/12/25-251)
 フセイン元大統領が見つけ出された。ニュースによると、側近からの情報が決定的な手がかりになったという。おおよその場所は見当をつけていたかもしれない。しかし、それにしても広大なイラクの中から一人の人間を捜し出す。それは運動場で一匹の蟻を見つけるほどむずかしいのではないか。「人間は一人では生きていけない」ことを改めて感じてしまう。人は生きていくために、かならずだれかと関わりをもつ。そして、「人の口に戸は立てられない」のである。人は自分の知っていることを、ついつい言いたくなるもののようだ。その程度は人によって随分と違っているけれど…。そう言えば「天下のスピーカー」とあだ名が付いた人もいた。こういう人には「あなただけにしか言わないのよ」「だれにも言っちゃあだめよ」などと念を入れておけば効果的である。まず翌日のは情報が漏れているはずである。こんなわけで秘密が秘密でなくなってしまうのだ。どんなに大切な情報も人の頭の中に入った途端に漏れ出していく。ところで、こうした性向は洋の東西を問わないようだ。英語では "People will talk" と言うらしい。じつに簡単明瞭で分かりやすい表現だ。「人ってとにかく喋っちゃうもんだ」。そんなニュアンスかしらね。もう口に戸など立てる以前の話なんですよね。
年齢給廃止と国民年金(03/12/24-250)
 先日のニュースによるとトヨタは年齢給を廃止するとのこと。いろんな評価の観点も準備されているらしく、最高では1000万円くらいの差が出る可能性もあるらしい。それが生涯賃金だったか退職金だったかは聞き逃してしまった。おそらく後者だろう。まあ、どちらにしても、年齢に応じて収入も多くなるというこれまでの常識が通用しなくなるのである。年長であるが故に尊からずというわけだ。もちろん、いい加減な仕事をしても、年だけとれば給料は上がるというのはいただけない。その人の貢献に応じて待遇が違ってくるのは当然である。ただし、世の中は程度が問題だ。人は先が見えないと意欲を失う。少しは安心できなければやる気がでないのである。もっとも分かりやすい実例が国民年金ではないか。いま若者で保険料を払わないものがドンドン増えている。「どうせ自分たちが年寄りになるころは年金なんて払ってもらえない」。そんな不信感があるからと金を払う気にならないわけだ。その心理は年齢給廃止の不安と似てはいないか。若いうちは給料は安い。ときには「もう少しくれてもいいのに」と思う。しかし、それでも一所懸命に働く。それはなぜか。これから先、いい人と巡り会う。そして結婚すれば子どももできるだろう。その子どもが成長して教育費がかかりるころがやってくる。しかし、そんなに心配することはない。そのときには、そこそこに昇進もして、それなりの収入が保証されているだろう。だからこそ、いま必死で働くのである。こうして年齢給は将来に対する「安心」を与えていた。それがなくなろうとしている。そうなるとどうか。「どうせ将来は分からない。適当にやっとくか」となる。これでは大いに困るだろう。あるいは、「しっかりやった方が得に違いない」と考える者もいるだろう。しかし、それがそのまま所属している組織への所属感に結びつかない。「条件がよければ、いつでも変わるぞーっ」。こんな気持ちで仕事をすることになる。こうした意識は組織への忠誠心を失わせる。もちろん、仕事の評価はきちんとしなければならない。年を取りさえすればいいというのは明らかにおかしい。しかし、年功をまったく無視して強い組織が存続できるのか。年功は将来の夢を与える大きな道具だったのではないか。
栄枯盛衰(03/12/23-249)
 相変わらずの「テレビっ子」、いや「テレビおじさん」をつづけている。この時期になるとかならず見ていたような気がするCMがある。それがこのごろ見なくなったのではないか。あの「プリントゴッコ」だ。理想科学社という名前の会社が出していたと思う。この製品は市場を独占しつづけていた。一時的には類似品が出回ったが、まったく歯が立たなかった。わたしも20年くらい前に他社製品を買ったが、できばえは今ひとつだった。1年か2年で使うのを止めた記憶がある。とにかく「プリントゴッコ」は別格であった。そんなこともあって製造元も強気で値引きなんぞは金輪際やらなかったと思う。この会社は、もともと「ガリ版」という素朴な印刷技法の専門メーカーだったはずだ。油紙に鉄筆で文字を書く。それをインクをべっとり塗ったローラーで押しつけながらプリントしていくのである。どう表現したらいいのか、文字に直すとあの謄写版のイメージが伝わらないなー。この説明では、本物を知らない若者にはイメージもできないだろう。まあ、いいや。ともあれ、その後は輪転機に進化し今日に至っている。原紙もコピー感覚で作ることができる。こうした製品を作っているから、会社としてはなんの問題もなく存続しているんだと思う。ただし、それでも「プリントゴッコ」は大きな売り上げだったに違いない。しかし、その売り上げは急落したのではないか。それはカラープリンタが登場したからだ。来年の年賀はがきはプリントゴッコ製が少なくなっているに違いない。まさに栄枯盛衰、永遠に繁栄するものはない。あのソニーも自社開発のトリニトロンのブラウン管にこだわって、液晶で出遅れた。そこで液晶は韓国のサムソンと提携するという。あー、先を読むことの難しさよ。
携帯トラブル(03/12/22-248)
 電車やバスの中で携帯電話を使う人がいる。東京ではモノレールでも話してる。車内のアナウンスも統一が取れているわけではない。「ご遠慮下さい」というのもあるが、「最小限に」と表現しているところもある。前者は柔らかくではあるが禁止している。後者は「ほんのちょっとはいいよ」というニュアンスがある。そうなると、だれもが「ああ、ちょっとはいいんだ」と話し始める。「ちょっと」の基準は人によって違っている。いずれにしてもマナーの問題だ。「自由」は人間の基本的な権利として保証されなければならない。それを謳歌するのは素晴らしい。しかし、それは「『他人の自由』を侵害しない」という前提のもとでの話。「自分だけ自由が欲しい」というのではお話にならない。こうしたマナー違反が若者に多いというのは間違いだ。大声で商売の話をしているおっさんも少なくない。おばさんだって相当なものだ。先日なんか山手線内で車掌に注意されても話し続けているおばちゃんがいた。気にしてる様子は微塵もない。バスの中で取引相手にしている会社の悪口を実名入りで話してたおっさんもいた。まったく、開いた口がふさがらない。こうして世の中はマナー違反が当たり前になる。子どもたちもその様子をじっと見ている。無意識の教育である。これを下手に注意すると危険なことが起こるかもしれない。日本はそんな世の中になってしまった。縁起でもないことだが、いつの日か「携帯トラブル殺人事件」なんて起きないだろうなと心配になる。注意されてかっとなったとか、うるさくて頭にきたとか…。そうなるとマスコミも世間も大騒ぎとなる。どこのワイドショーでも事件がトップに取り上げられるだろう。そして、「規制」が話題に上るかもしれない。こうして、自分たちの「自由」を自分たちの手で潰していく…。電車やバスの中にまで「防犯カメラ」が設置されたりしてね。まさに「監視社会」の到来である。それは「自由」の対極にあるものなのに、「自由」に振る舞った結果としてやってくる。まことに皮肉としか言い様がない。

樹木とデコレーション(03/12/21-247)
 12月になると街のネオンも美しくなる。ホテルやデパートにもクリスマスツリーを形取ったライトが点滅している。まことに美しい。いつのころから、本物の樹木も電球で飾られるようになった。これまたいい雰囲気である。しかし、それって樹木はどう思っているんだろうか。冬になると寒いのだから、暖房器具をつけてもらったようなものである。だから、心から喜んでいる…。そうなんだろうか。季節はずれの暖かさ、あるいは暑さに困ってるんじゃないでしょうね。それに、樹木だってお日様が照ったり夜になったりが必要じゃないんだろうか。なにせ電照菊というものだってあるくらいだ。あれは、明るさで菊を騙しているんだ。朝も晩も分からなくしたら、人間ならおかしくなるでしょうに。それなのに、木や花は電気で飾って「ああ、きれいだ」なんて喜んでるのだ。いやー、柄にもなく自然保護者もどきの主張をしてしまったかな。私なんかとても自然を愛してるようには見えないだろう。「おまえ、格好つけて何を言ってんの」と笑われるかもしれない。しかし、それにしても、この件を問題にする人はあまりいないみたいね。まあ、みんなが喜んでるんだから、「堅いこと言うな」と怒られますかね…。

井戸端会議の後は(03/12/20-246)
 少し前に井戸端会議について感じることを書かせていただいた。だれかさんたちは、井戸端会議の代わりに授業参観でしゃべってる。そんな話だった。だから皆さんは授業参観には興味がないのかと思ってしまう。そして、その後の学級懇談会こそが目的なのかと納得する。ところがどうして、そんな予想も見事に裏切られるのである。なにせ授業が終われば、一目散に逃げ帰ってしまう。まさに蜘蛛の子を散らすとはこのことだ。それどころか忍者もどきで消えてしまうものもいる。あるいは羽が生えて空に飛んでいったか…。どうしてこうなるのか。それはぼんやりして残っていようものなら何かをさせられるからだ。とくに学年はじめの授業参観後はすさまじい。役員決めがあるのだ。とにかく「逃げるが勝ち」の世界になってしまう。そして、逃げ足の遅い要領の悪いものが嫌な役回りを押しつけられる。あるいは「好きな人」がお役目を引き受けるとささやかれる。自分たちの子どもが通う学校のことなのに、どうしてこうなるのか。井戸端会議の話はまだまだ続きそうやで…。

科学的発想のつづき(03/12/19-245)
 岩波講座「思考」の読書メモでPopperの提言を取り上げた。そのポイントは「確証は不確実だが反証は可能だ」ということであった。仮説に関して、すべての条件について検討することはできない。だから、それを「否定」する事実を探すことが重要だという発想である。わたしなんぞは「うーん、なるほどおもしろい」と叫んでしまう。ところが、話はこれで終わらないのである。だから世の中はむずかしい。けれども、またおもしろくもあるのだ。Popperの発想を否定したのは、その弟子のLakatosだった。ここで問題になるのは、科学的な仮説を完全に「否定」することができるかどうかである。それが簡単ではないのだ。そこには、「検証の方法が妥当である」という大きな前提が必要になるという。これを「補助仮説」と呼ぶのだそうな。ここには分かりやすい例が挙げられている。それは、もうすぐ1000円札でご登場のわが野口英世博士に関わる話だ。彼は「黄熱病の原因は病原体である」との仮説のもとで研究を進めた。しかしながら、彼はそれを突き止めることはできなかった。だから、「黄熱病は病原体によって起きるものではない」と結論できるか。実際は、その原因は細菌ではなくウイルスだった。しかし、野口が使っていた光学顕微鏡では発見できなかった。ウイルスがそれほど小さかったからである。この場合は「目的の病原体を光学顕微鏡で発見できる」という前提が間違っていたのだ。やれやれ、むずかしいものだ。こうなると補助仮説が間違っていないことをどうして証明するんだろうか。このあたりは、確率的というか常識的に見ればいいというのが一つの結論のようだ。たくさんのデータを取って自分たちに納得できる結果が出れば、まずは仮説をOKにしようということだろう。「とりあえず、これでいこう」というわけである。もちろん、いつも補助仮説のことを気にしながら考えていくことが求められる。そのうち、補助仮説を否定する発見がなされるかもしれない。そのときはそれを修正すればいい。いつも、そうした姿勢と構えを持って生活することが重要なのだろう。けっこう時間をかけて岩波講座「思考」を「読んで」きた。それも今回で一応のおしまいとしたい。

早飯の看護師さん(03/12/18-244)
 食事をしていると家内がよく言う。「もっとゆっくり食べなさいよ」。人間ドックでも糖尿病対策のために「ゆっくり食べましょう」と言われる。たしかに弁当だってあっという間に食べているような気がする。因みに、わが家はいまでも「愛妻弁当」である。あー言っちゃった。この年になって「愛妻弁当」なんて表現するかいな。まあ、それはともあれ、とにかく私は早飯食いなのである。しかし、その私が驚く人たちがいる。それは看護師さんである。ほんの少し前、看護師さんたちと夕食をご一緒させていただいた。和食のフルコースだった。少しずつ美味なるものが出てくる。一つひとつを楽しみながら箸をつけていく。ところがまだ食べきれないうちに次がやってくる。しかし、周りの皆さんを見ると、料理はすっかりなくなっている。きっと驚いた顔をしたのだろう。私が言う前に、「私たち、早いでしょう」とにっこりと笑われた。どうも職業病らしいのである。ぼんやりしていたら食事も取り損なってしまうとのこと。いやはや健康を進める病院なのに、そこで働いている方々はまことに不健康というわけ。「紺屋の白袴」という。「医者の不養生」ともいう。本当に大変ですね。健康には十分にお気をつけ下さい。

安全とSARS(03/12/17-243)
 人間が生きている限り事故やミスは起きる。どんなに完璧な方法を考えても「事故やミスの悪魔」はわれわれを襲ってくる。東海村での臨界事故事故も、設備が悪かったわけではない。いまでもあの装置を使う限り臨界事故は「絶対に」起きないはずである。しかし、ヒューマン・ファクターという人間の要因によって、事故はあっという間に起こってしまうのである。この世の辞書に「絶対安全」という言葉を載っけてはいけないのだ。安全の確保は永遠の戦いである。エラーやミスは絶え間なく人間を狙って挑戦してくる。人間はあらゆる病気に挑戦し、その多くを克服してきた。しかし、そんなことで安心していると、今度はAIDS が攻撃を仕掛けてくる。そして、治療法の開発に躍起になっているうちに、今度はSARSが現れる。こうしたウイルスがどこからどうして生まれるのかは知らない。しかし、とにかく確実にSARSはわれわれ人類を襲ってきたのである。安全もこうした状況と似ている。智恵と工夫とお金をかけて事故やミスの原因を取り除く。そう思った途端に、敵はまた新たな攻撃をしてくるのである。考えてみれば、地球上に生命が誕生してから何億年もの時間をかけて試行錯誤を経ながら人間に進化した。しかし、その人間にもガンなどを含めたプログラムミスは起きるのだ。絶対安全などありえない。まずはその前提に立って安全を確立するために戦って行かねばならない。
水に流す(03/12/16-242)
 水は素晴らしい力を持っている。まずもって人間は水分に充ち満ちている。それを補給するために、水がなければ生きていけない。そして、手に油が付いても体が汚れても、水があればきれいになる。手にウンちゃんがついたって、水で流せば元通りというわけだ。日本人は問題があっても簡単に「水に流す」そうとする。本当に水は素晴らしい…。だからといって安易に水を使うのはいかがなものか。すぐに「水に流してチャラに」するような誤魔化しはやめにした方がいい。ところで、わが国では水は永いこと只だった。私たちの周りには水があふれていたのである。世界中には水が宝のように高価なところもあるというのに。いつのころだったか、タンカーが中東へ油を求めて出かける。日本から出港する際に水を入れて行ったらどうかというアイディアがあったと聞いたことがある。それが実行されたのかどうかは知らない。しかし、日本はそれほど水に恵まれていたのである。それが今ではどうなったか。ペットボトルで水が売られる時代になってしまった。あー嘆かわしい。まことに残念な話であるが、もはや水の大国に戻ることは不可能な気がする。それは絶滅した動物のようなものだ。しかし、諦めてしまえば物事はますます取り返しがつかなくなる。少なくとも、これ以上は状況を悪くしないための方策はないものか。
遅めの朝食(03/12/15-241)
 県庁所在地のホテルに泊まったときのこと。朝食は向かい側のレストランだった。よくある話ではある。和食を頼んだがなかなかこない。周りを見るとまだ待っていそうな顔をした人がけっこういる。すぐ近くのカウンターに2人が個別に座ってる。この二人の前にも水があるだけ。見える範囲でも4組は待っている。しかもこれらの人たちは私より早く来ていた。そのうち、ある人は時計を見始めた。うーん、じれてるんだ。そう思った途端に不安が高まる。私の分は彼より遅いはず。じゃあ、まだまだ待つな。幸いにもこの日は時間的には余裕があった。しかし、一般的には朝食は時間との競争で食べることもある。だからもう少し手際よくしてくれなければ客のストレスはたまるばかりである。ともあれ、私の後に入ってきた初老の夫婦が和食を頼んだ。そこで時計を見て時間を計ることにした。そのうち、ようやく私のところに朝食がきた。三点セット。ご飯とみそ汁、そしてお皿1枚。これに、鮭・卵焼き2個・高菜・コンブ・大根おろしが乗っていた。まあお茶を加えると4点か。いずれにしても、時間がかかるようなものではない。先ほどのカウンターの客よりも早くきた。「いいのかなー」と思ったが、注文が違ったのかもしれないと思いながら食べ始めた。しかし、少し後に彼らに届けられたのは和食だった。後ろ向きではあったが、「ごめんなさい」と心で謝っておいた。それから、あの夫婦にも和食がやってきた。時計を見ると12分経過していた。日本人は怒らないなー。それにしても、なぜこうなるのか。働いている人たちは一生懸命に見える。決してさぼっているわけではない。そうなるとやっぱしシステムというかやり方が悪いんだ。舞台裏のことは分からない。無駄を避けるために余裕を持って準備していないとか。それならそれでいいと思う。宴会でも残飯王国というのは決していいことではない。しかし、それならそうで、そのことをはっきり宣言したらどうか。あるいは「10分ほどかかります」と唱ってはどうか。世の中には常識というものがある。ビジネス関係の人々はホテルの朝食はバイキングか5分以内には来るもんだと期待しているものだ。このときは2泊だったので、翌日もチェックしてみた。2日目は洋食を頼んだ。こちらはすんなり5分くらいできた。しかし、私は和食を注文した人に注目していた。やはりこの日も時間がかかった。なんと所要時間は15分だった。たまたま日曜日で、ビジネス客は少なかった。しかし、それにしても、やはり人的問題ではなく,システムなんだ。なぜって、スタッフ4人は前日とまったく違っていたのだから…。
「新発想」の深慮遠謀(03/12/14-240)
 数日前、パイロット万年筆のキャップレスを話題にした。コマーシャルの最後に「新発想」と言ってるのはちとおかしいんじゃないかという話だ。それは、パイロット自身が過去にキャップレスを出していたからである。このことを若い人に話した。やはりというべきか「キャップレスのCMは見たような気がする。でも、以前にもキャップレスがあったなんて知らない」と言う。そこで、私はまた調子に乗って、自分もそれを愛用していたことを伝えた。その上、懐かしさもあって、また買ってもいいなという気持ちになっていることも話した。その途端に、「まさかっ」と思わず叫びそうになった。ひょっとして、こうしたことを仕掛けるためにパイロットは、わざわざ「新発想」ということばを使ったのではないか。その昔、キャップレスを知っていた連中は、「前にもあったのに『新発想』なんておかしい」と思った瞬間にキャップレスが頭に残る。そして、そのことを人にも言いふらすのである。同じ年代のものたちには、「なー、過去にもキャップレスはあったよな。それを新しい発想などというのはおかしいと思わないかい」と話しかける。もうその行為自身がPR行動ではないか。その上、過去を知らない若者たちには、自分は過去に愛用していたと自慢するのである。それもまた大いなる宣伝活動ではないか。さらに、ノックしたときの音も素晴らしかった。ちゃんとカバーがあってインキ漏れもしなかった。すごい技術力だ…。もう勝手にコマーシャルしてくれるのだ。そこまで読んで「新発想」としたのかしら。そうだとすれば、そのすごさには敬服する。しかし、同時に怖さも感じる。
科学的発想(03/12/13-239)
 久しぶりに岩波講座「思考」の話。この本は科学的発想と反証可能性についても言及する。仮説を証明しようとする傾向、いわゆる確証バイアスと科学的発想についての議論もおもしろい。科学的な理論は普遍的な真理を追求する。しかし、そのすべてを実証することは不可能である。例えとしてあげられているのは「すべてのカラスは黒い」という仮説だ。いま生きているカラス全部を調べられないのは言うまでもない。しかもすでに死んでしまったカラスについては調べようもない。さらに、これから生まれるカラスもいる。これに対して仮説を否定する証拠を探すことは可能である。白いカラスが1羽でもいればいいのだから。それが見つかったときには仮説を修正することになる。なるほど、科学的研究は仮説の反証を求めて何千里ということなんだ。人間はどうしても確証するような方向で物事を進めたがる。そのような発想では科学は進歩しない。そうでない事例を探すことこそ重要なのである。こうしたことを主張したのがPopperという研究者で、これは反証可能性の理論と呼ばれているらしい。この考えのポイントは「確証は不確実だが反証は可能だ」という点にある。しかし、せっかく信じていたいのに、1個でも例外があると「さよなら」というのも悲しい話だなあ。
流れに抗せず(03/12/12-238)
 熊本城の南側に長い塀がある。この塀はなんというのかインターネットで調べてみた。何と「長塀」だそうな。じつに分かりやすい名前だ。直線に築かれており、長さは242mもある。わが国の城郭では最長だという。その前に坪井川が流れている。その水は決して美しとはいえないが、その中を大きな鯉が何匹も泳いでいる。何気なく見ると、ほとんどの鯉は流れとは反対方向に泳いでいた。そうなんだな、流れるままだと永遠に流される。また、獲物だって上から流れて来るんだろうから、流れに反対の方が楽に食べられる。そう言えば、飛行機だって風上に向かって走って飛び上がる。うん、うん。なかなかよくできているものだと感心した。まあ、「その程度のことで喜んだりして」なんて笑われるかもしれない。でも、面白いではありませんか。自然はよくできているよね。やっぱし流れに抗して生きていかんとあかんのかなー。その昔、向坂逸郎という経済学者が「流れに抗して」という本を書いていた。あの社会党の理論的バックになった人だ。九大の教授も勤めたことがある。実際にその本を読んではいないが、「権威」や「権力」に立ち向かった彼の歴史がが書いてあるのだろう。その点、私はどうかいな。正直なところ、私は「流れに抗せず」の精神でここまできた。よく言えば「自然体」、悪く言えば「主体性なし」の浮き草か枯れ葉である。まあ、それでも今日までやってこれた。だから、50代も半ばになって、いまさら鯉になることもないと思う。枯れ葉なら、ひょっとしたら大海にも出会えるかもしれない。流れに抗する鯉さんは、大体そのあたりの水しか知らないでしょう。ずっと上流の水源地に行けるわけでもないしね…。

うんこといじめ(03/12/11-237)
 人間は、だれでもしていることなのに、それをいじめの材料にする。学校での「うんこ」などは、その最たるものだ。女子の場合はトイレの形式はひとつしかない。これに対して男子トイレは「大」と「小」があるのが普通だ。だから「大」に入っているときは「大」をしているに決まっている。子どもでは、「大」に入っているだけでいじめになることがある。わたし自身、小学校時代にお腹が痛くなることがけっこうあった。そのときにトイレに行くのはかなりの勇気がいった。「あーっ、うんこしてる」と騒ぐ者がいるのである。人間はだれだって「ウンちゃん」をする。それなのに、それが嘲りや笑いの対象になる。むしろ、ウンちゃんをしない方が不健康じゃあないか。しかし、それでも学校ですると「うんこしい」といじめになる。やれやれと思う。大人になるとむしろ居直ることもできる。トイレから帰って聞かれもしないのに「あー、さっぱりした」なんて言う人がいる。「わざわざ言わなくても」とは思う。ともあれ、自分も同じことをしてるのに、それをネタに人をいじめるなんて理不尽もいいとこだ。ささいなことだが、そんなことで人をいじめるなんて最低である。いじめをするのは、やっぱりどこかに弱さがある。自分が強ければ心の余裕も持っている。つまらないことで人を差別し、いじめる必要などこれぽっちもない。そうしたことを子どもたちに伝えていこう。そして、われわれ大人たちも同じようなことをしていないか。十分に反省もしながら生活していきたいと思う。

「新発想」キャップレス(03/12/10-236)
 最近、パイロット万年筆がキャップレスのCMを流している。最後の部分で「新発想」と出てくる。これには「おやっ」と思われた方がいらっしゃいませんか。だって、いつのころだったか、パイロットはキャップレス万年筆を作っていた時代がある。昭和40年前後だったのではないか。わたし自身がその万年筆を買って使ったことがある。ボールペンならほとんど常識のノック式である。なかなかの発想だった。ボールペンとは違って液体のインクが蒸発しないようにどうするか。蓋の替わりになるカバーに大いなる工夫が凝らされていたに違いない。しかもノックしたときに「カキッ」と音がした。これがまた何とも言えないメカニックな感じがしたことを覚えている。いつの間にかキャップレスが市場から消えたときに、何か理由があったんだろうと思った。もちろん販売が伸びなかったからだろう。しかし、何となく惜しい気がした。だからCMを見たとき、「おーっ、再びご登場ですな」と懐かしさが先に来た。そして、また買ってもいいなという気分になった。私って、けっこう万年筆好きなんですよ。安物のインチキ風も入れれば、現在でも5本くらい持っている。日記はずっと万年筆で書いてきた。買う気は満々とになっていた。そのときに、CMのラストに「新構想」ときた。反射的に「それって違うでしょ。昔も出してたじゃない」と思わず叫んでしまった。もちろん、それで購買意欲を失ったわけではないけれど…。街に出かけたら文房具屋さんをちょっと覗いてみようかな。
育てるリーダーシップ(03/12/09-235)
 世の中には素晴らしい能力を持った人がいる。こんな人は仕事ができて周りからの評価も高い。しかし、しかしである。力があると思った人が去ったとき、大きな問題が起こることがある。部下が育っていないのである。そんな人は、仕事ができるだけに、まるで無知に見える部下たちにイライラする。仕事を教える時間を取るくらいなら自分でやってしまう。そちらの方が正確で速いのである。仕事はトントン拍子に捗っていく。だから、その上役にも「うまくやっている」と見えてしまうのである。じつは、そこに落とし穴があるのだ。リーダーは自分の仕事がきちんとできることが求められる。しかし、リーダーは部下を育てるというもう一つの大きな役割を担っているのである。自分だけが華々しく行動して高い評価を受けても、部下が育っていなければ、給料の1/3は返してもらわなければならない。教え方も重要だ。まだまだ初心の部下に、自分ができることをさらりとやって、「こうするんだよ」なんて言う。部下はその手際のよさに驚くとともに、一体どうしたのか分からない。それほどスピーディなのだ。相手に伝わらない教え方をしても、それは教えたとはいえない。部下の側に立てない人は、リーダーとしてはやはり問題だ。少しは忍耐強く部下を育てよう。ともあれ、部下や後輩をうまく育てるのも給料のうちだと言うことを忘れないようにしたい。

現代版井戸端会議(03/12/08-234)
 昔は井戸が生活用水の要だった。洗濯も井戸の周りで行われる。そんなとき主婦たちの間で話の花が咲く。たわいのない噂話もあっただろうし、生活に関わる重要な話も話題に上った。今で言えばワイドショー的な情報からニュースまで、それはそれはにぎやかだったはずだ。しかし、今では周囲に井戸などは見なくなった。少なくとも私の身の回りではまったく見当たらない。お彼岸にお参りするお墓には夏でも冷たいほどの水が取れる井戸はあるけれど…。そうそう、附中の写生大会で熊本城に行ったときには井戸があったっけ。ただし、覗いてみると鉄板が張ってあって、井戸であるかどうかすら分からなかった。かくして井戸端会議はわが国の歴史から消滅した…。と思いきや…。な、なんと井戸端会議は授業参観の廊下で生き延びていた。いやはや、先生たちは張り切って準備して授業してるのですよ。いつもよりは踏ん張って教材作成にも時間をかけてるんです。あーそれなのに、保護者のみなさんは廊下でおしゃべりとは。子どもはその姿をよく見てるんです。こんなことでは、子どもに「授業中は先生のお話を聞くんですよ」なんて言えたものじゃないでしょう。こうした小さな積み重ねが子どもの気持ちに影響していくのです。大抵の私語は、ご本人たちとしては小さな声でお話ししてるつもりなんですよね。ところがどっこい、それが周りの者にはやたらとうるさく聞こえるものなんです。ともあれ、授業参観ではちゃんと授業を見て下さいね。

反証(03/12/07-233)
 さて、久しぶりに岩波講座「思考」の話題。「科学編」とも言えるところを読んでみた。「2−4−6問題」というものがあるらしい。Wasonと言う研究者が提起した。これらの数字は、あるルールにもとづいて作成されている。そのルールをできるだけ速く発見するのが課題である。被験者は「正の整数3つからなる組」をつくり被験者に提示する。実験者は、それが「法則」にあっているかどうかを、「イエス」か「ノー」で答える。質問は何度でも可能である。これは自然の法則を探す科学的研究の性質に似ていると考えられる。さて、あなたはどのような質問をしていくだろうか。この場合も「確証バイアス」が効いてくるという。つまり、「はじめの数字に2を足して、また2を…」と推測したとする。すると被験者は、「4,6,8」や「1000、1002、1004」などと聞いていく。その反証となる「1,2,3」や「6,4,2」などはほとんど思いつかないというのである。じつは、実験者が設定した法則は「数字が小さなものから大きなものへと並んでいる」という単純なものだった。これがなかなか発見できないのだ。なるほど、なるほど。ここでも「逆転の発想」というか「裏からものを見る目」の必要性を強く感じる。物事の性質についてすべてを調べることはできない。となると、仮説を反証するアプローチが大切だと言うことである。たとえば、「2,4,6の偶数の集まりだ」と思ったら、そうでない「1,3,5」で聞いてみる。答えが「イエス」なら、「偶数仮説」はあきらめなければならない。そうなると、「単に数値が大きくなっているだけか」という仮説が生まれる。それなら思い切って「6,4,2」という減少パターンで聞くことになる。すると当然「ノー」と返ってくるから、「減少」仮説も否定される。ともあれ、正攻法と併せて裏から攻めることも忘れてはいけない。うーん、こうしたものの考え方は、子どもたちにも興味深いものになると思う。ものの見方・考え方、そして判断の仕方を伝えるおもしろい課題である。

横断歩道をふさぐ自転車(03/12/06-232)
 今日の話題は、文字だけではイメージしにくいと思う。そこをどう表現するかが私の課題である。あなたは信号待ちをしている。前にある信号は赤だが、横は青である。まあ当然のことである。あなたは道路から少し離れたところに立っている。そのあなたの前を横切るように青信号の方向には人が進んでいく。ところが、その人たちが横断歩道ではなく道の端っこを渡ろうとするのである。横断歩道より道路側の方だ。じつに危ない。「どうして」と思ったら理由があった。その横断歩道をふさぐように自転車の人物が赤信号で待っているのである。自転車が横断歩道の前で通せんぼしている状態なのだ。だから、みんなは横断歩道の部分を歩くことができず、自転車を避けて道路側に寄っていくことになる。自転車の人物はそのことにまったく気づいていないようだった。いやー、困ったことだと思う。人が見えていない。自分も見えていない。けっこう分別のありそうな身なりをしていたのだけれど…。分かっちゃいないんだよなー。しかも青信号に変わった途端に猛スピードで走り去っていった。自転車は車両であり、歩道を走るにしても歩行者優先でいてほしい。ときどきすごいスピードですれ違われてひやりとすることが少なくない。

お気軽におたずね下さい(03/12/05-231)
 飛行機でスチュワーデスが安全設備の説明の後に言うセリフ。Please feel free to ask our flight attendants.「何かございましたら、お気軽に客室乗務員におたずね下さい」というわけだ。この言い回しは以前と違っている。それまでは、Don't hesitate to ask us.だった。「ご遠慮なく私どもにおたずね下さい」という趣旨は変わらない。ただ、Don't は、否定形で避けた方がいいと考えたのだろう。何となく「するな」というニュアンスがあるからだ。柔らかく言っても「しないで下さい」という感じになってしまう。ともあれ、ことばは気持ちで違ってくる。相手の立場をどう考えるかで言い回しは変わる。それはあちらの国だって同じことなのだ。それにしても、このごろは「スチュワーデス」も使わなくなってきた。現在では、flight attendant ということだ。機内では客室乗務員と呼んでいるようだ。これは男性も乗務することや性と職業を固定しないという考え方をもとにしているのだろう。ちょっと余計なことだが、女性乗務員の中には、かなり聞きづらい英語の人がいますね。もう少し発音の教育をやってもらえないかしら。中国の飛行機なんぞ、かなりの線を行ってるような気がしますけど…。ところで、最初のスチュワーデスは看護婦資格を持っていたというお話、ご存じでしたか。機内サービス時には白衣を着ていたんですって。
ニコニコの裏側(03/12/04-230)
 7年ほど前にオーストラリアで6ヶ月間を過ごしたことがある。毎朝3Km近くを歩いて通勤した。ことばでは伝えられないような緑にあふれた道を歩くのは、それだけで気持ちがよかった。その途上で何人かのオーストラリア人と行き交う。そろそろ向こうからやってくる人の顔が認識できはじめる。そのときは、すでに笑顔になっている。そんな気がした。そして、近くになってきてから、にこっと笑って「Hello」である。声に出さないときも、目が笑っている。ある時などは、走ってきた自動車の運転席を何気なく見た。すると車の中から「ニコッ」である。いやー、その愛想のいいこと。こんなこともあった。レンタカーを借りて運転中。信号待ちでふと横を見ると車に老夫婦が乗っている。これまた目があった瞬間に、「ニコリ」と笑顔できた。日本なら下手をすると「眼つけたな」と食ってかかられる。あな恐ろしや…。ともあれオーストラリアに着いてはじめの数日はうまく対応できなかった。しかし、私もけっこう適応性が高い方なのかしら。こちらも負けんぞとばかり、人が会うたびに笑顔を返した。遠くの方から人が来ていたら、頬をゆるめて準備した。しかし、これも民族性なんだろうか。たまたまアジア系の人間と行き交うときには、相手がブスッとしていることが多かった。日本人は能面のように表情がないなんて言われた時代がある。どうもアジア系はそんなところがあるのかしら。しかし、こうも考えるのである。私たちは向こうから来る人が自分に危害なんか加えないと信じている。だから、身構える必要もない。淡々と行き交うだけの話。しかし、世の中は怪しい人間ばかりだとどうなるか。まずは警戒しなければならない。そして、「私は悪い人間ではないですよ」というサインを出す必要がある。だからいつもニコニコなのかもしれない。そんなことを考えると、「ブスッ」としてる方が平和なんかいな。
忘年会と記年会(03/12/03-229)
 また時間が過ぎていく。気がついたら来月は来年なんだ。いつものことながら、やれやれですね。光陰矢のごとし、いや文字通り光のごとし。「光」は日のこと。「陰」は月のこと。だから「光陰」は月日・歳月の意味である。昔の人は光に速さがあって、それが秒速30万Kmなんて知らなかった。50も過ぎた私にとって、いまや「光陰」は「光」のごとしなのである。さて、そんなことで、あっという間の師走と相成りました。そこで忘年会となる。忘年会とは「その年の苦労をわすれるために、年末に催す宴会」(広辞苑)である。いやー、こんなに面白かったのに、一年を何で忘れなきゃならんのかいな。おそらく昔の人は苦労ばかりだったんだろう。だから、それを忘れるために「忘年会」なんぞをやったのではないか。とくに士農工商時代の農民たちは、自分の作ったお米すらろくに食べることもできない生活を送っていたに違いない。今でも、結婚式は言うまでもなく、葬式でも飲んで騒ぐ。その気持も、当時の状況を察すると理解できる。村の祭りだってそうだ。そんなときにしか無礼講ではしゃぐこともできなかったのだ。私たちの世代だって似たところがある。正月はテレビの番組も絢爛豪華だった。いつもは見られない楽しい番組がいっぱい。だから正月は楽しみだったのである。ところが、いつのころからか1年中が特番みたいなものであふれ出した。いつも腹一杯の状態なのだ。その結果、恵まれていることの実感もありがたさも分からない…。私なんぞは、「恵まれ」ていることを自覚しているつもりだ。そんな私としては、楽しかった今年のことも忘れたくない。だから、「忘年会」などよりも「記年会」と言った方がいいと思う。みなさまはいかがでしょうか。
老舗の嘆き(03/12/02-228)
 ひさしを貸して母屋を取られる。自分のモノを貸したつもりが、いつの間にか全部を取られてしまう。本家本元が必死で考えたことも、結局はぶんどられる。よく聞く話である。時計のクォーツはセイコー社が世界に先駆けて製品化した。1969年のことだ。しかし、その構造はきわめてシンプル。そのために、精密機器の技術がなくても時計業に算入できるようになった。それまで時計では聞いたことのなかったメーカーもクォーツを作りはじめた。世界中で日本製のまがい物まで出る始末である。先駆けがその優位性を長く保てないのである。幸いというか、セイコー社はいまでも元気な感じはするけれど…。同じような動きはカメラにも見られる。いまやカメラはデジタルが主流である。気がついてみると、このところフイルムを買った記憶がない。そして、家電メーカーが次々にカメラを出してくる。いやはや、ニコンやキャノンは大変だろう。その昔、私が愛用していたオリンパスだって…。ミノルタもよく知られていた。ここでも老舗というか、専門性の高かった会社が市場を独占できなくなったのである。もっとも、カメラについてもキャノンなんぞは高級機レベルで健闘しているようだ。だから、あまり心配しなくていいのかもしれない。それにしても「時間が安くなった」ことを強く感じる。このごろは、1000円程度でも時計は買える。それでもクォーツだから時間は正確である。私が初めて腕時計を持ったのは高校1年生のときだった。1964年に6000円以上した記憶がある。しかもゼンマイ式だったから、今と比較すれば精度は格段に低かった。私の母は時計を持っていなかったほどだ。本当に時間は「安く」なった。しかし、それは時計の話。われわれは時間を「安く」使ってはいないか。それでは、ちょっと悲しいなあ。せめて、中身は充実した「高価な」時間を過ごしたいですよね、みなさん。
快便・快食(03/12/01-227)
 お食事中の方は後でお読み下さい。もっとも、食べながらインターネットをしてる方なんていませんよね。本日は快便のお話。私は朝から快便派である。1年365日のうち、朝トイレに行かないのは5日もないはずだ。しかも、目が覚めたときから「その気」になってくることが多い。朝食を食べると体の方が反応して腸も動き出すと聞いたことがある。しかし、私の場合は朝ご飯の前に腸が動き出すのである。そこでおもむろにトイレに入る。備え付けの本を読みながら、ゆったりと座る。あとは自然に任せて…。朝も早いから焦ることもない。時間はたっぷりある。しかも、本も読みたいからできるだけ長く座っておきたい。そんなことだから、ときには「終了」しているにもかかわらず、座りつづけることもある。ともあれ一区切りつくまで本を読み進みたいのだ。そんな感じですっきりしてから気持ちよく朝食を楽しむ。そして、快食後にまたしても快便となることもある。いやー、何とありがたいことよ。また本が読めるではないか。この本の部分が新聞に変わることもある。やっぱし、私は活字依存症なんだと思う。それにしても、これは子どものころから身に付いた習慣だ。その昔は「ニッポン式ウンチング」スタイルで、出るまで待っていたこともある。小学生のころだった。その日はどうしてもアウトで、変に焦ったこともあった。足はしびれてジンジンした。それもいまは懐かしい記憶である。ちなみに本日は午前6時11分でした。