| やってられない(03/9/30-165) そろそろ野球シーズンも終わりに近づいた。それにしても野球は対人関係を考える上でも興味深いスポーツだ。まさに、グループダイナミックスそのものだと思う。日付は忘れたが横浜ベイスターズの試合だった。相手は巨人、ピッチャーは三浦である。ランナー1塁でセカンドゴロ。「しめたダブルプレーだ」と思いきや、なんとセカンドがエラーをした。確実にダブルプレーだったはずなのに、ノーアウト1・2塁になってしまった。これは相当な違いである。100万円儲かるのと損するのとの違いほどではないだろうけれど…。すくなくともピッチャーは「おいおい、しっかりしてくれや」という気持ちになる。しかし、カッカしていても仕方がない。気を持ち直していこうじゃないか。敵はチャンスとばかり「送り」に出た。バントで1アウト2・3塁を狙っているのである。しかし、ここで相手もヘマをやらかすのである。バントはうまくいかず、キャッチャーだったと思うが、すばやく3塁に送球してフォースアウト。しめしめバント失敗である。その上、ボールを1塁に投げれば2アウトとなる。みんながそう考えたに違いない。ところが、ところがである。何と3塁から1塁へのボールが暴投になる。これで2塁に走っていたランナーは3塁へ走る。暴投で命拾いしたバント失敗のランナーも2塁へ走っていく。何のことはない。これで、「送りバント」成功と同じ結果になってしまったではないか。いやはや、ピッチャーががかわいそうやで。ここまできて「切れるな」と言っても無理な話だ。神様じゃないんだから…。人間は危機的な状況になると悪い方へ悪い方へと走ってしまう。こんな状況でも気持ちを抑えなければならないのだから、ピッチャーって厳しい商売だわね。案の定、そのあとすぐに清原にガツーンとやられてしまった。こんなとき、試合後に関係者たちはどんなフォローをしているのだろうか。ちょっと聞いてみたいなー。 |
| 母の思い出(03/9/29-164) わたしが小学校4年生のときだったと思う。当時は福岡県の行橋市に住んでいた。その年はじめて日本脳炎の予防注射を受けた。記憶が正しければ場所は中学校の体育館だった。注射はやけに痛かった。それから家に帰ろうとしたのだが、その途上で気分が悪くなってしまった。吐き気や動悸がしてきたのだ。青ざめた顔になっていたと思うが、とにかく自宅には着いた。そして玄関先で倒れてしまった。もちろん母は驚いて、そのままわたしを病院に連れて行ってくれた。ただ、そのやり方がすごかった。母はぐったりしたわたしを、何の迷いもなく背負ったのである。4年生のわたしがどのくらいの体重だったかは分からない。母は小柄で150cmを少し超えた程度だったと思う。その母が子どもを背負って歩いていくのである。その距離は少なくとも2kmにはなるだろう。その当時とてタクシーはあったに違いない。しかし、それを呼ぶ電話がなかったことは確かである。また、経済的にも豊かでもなかった。橋に至る上り坂を越えて、ゆっくりゆっくり歩いていった。母の年齢は30歳代の前半だったはずだ。母親の愛情は本当に強い。自分にできることは何でもする。それがわたしの母親であった。その当時はどこの母親もそうだっただろう。とにもかくにも、こうした光景を背景に、母親の愛情を今でも思い出す。母は47歳で亡くなった。 |
| ユニフォームの力(03/9/28-163) さまざまな仕事にユニフォーム(制服)がある。普通は近所の優しいおじさんなのに、警察官の制服を着ると、ちょっぴり怖そうに見える。いつもはおっちょこちょいに見えるのに、白衣を身につけると頼りがいのある看護師さんになる…。そう言えば、野球の選手なんか何万人の観客の前でユニフォームを着てプレイする。こんな衆人環視の中で平気なんてすごいなーと思う。野球選手だって恥ずかしがり屋もいるはずだ。それでも球場では、当然のこととして気にならなくなれるのだろう。見る方だって、それが当たり前だと思っている。世の中にはコスプレというものがあるらしい。いわゆるコスチューム(制服)を着て遊ぶんだそうな。わたしなんか、そんなのって想像しただけで顔が赤くなる。しかし、野球の選手や看護師などは仕事だから、どんなに恥ずかしがり屋の人でもそれができるのだ。初めのうちは抵抗があっても結局は慣れてしまうだろう。そう言えば、今ではわたしだってスーツを着ることが多い。これも、ある種の制服なんだな。制服といえば心理学者 Zimbardoの実験を思い出す。彼はスタンフォード大学に「刑務所」を作る。そこで学生たちに看守役と囚人役を割り振って、その影響を見たのである。監視人はより強権的で支配的になっていく。これに対して囚人たちは卑屈で抑圧的になる。また反抗的になるものも出てきた。人々は制服を身につけることによって、その立場に応じた行動をする。あるいは期待されているように振る舞ったのである。その際には「恥ずかしい」といった気分は消えている。この実験を題材に「エス」という映画が作られ、昨年公開された。実際の実験と比べるとかなりオーバーな内容ではあった。ともあれ役割と地位、そしてそれに伴うユニフォームは人を変え得るものではある。 |
| 周りを見ると(03/9/27-162) エレベータに乗る。ときには混み合っていることもある。そんなときふと思う。「わたしって、この中で最年長なんだろうなー」。そうなのだ、気がついてみるとわたしも50の半ばである。どう考えてても人生の残りの方が圧倒的に少ない。とくに街中のビルにあるエレベータでは若い人の方が多い。改めて自分が年をとったことを感じるのである。もう50といえばかなりの年なのに、その割には風格もないし大したことないなーと思う。まあ、仕事も学生がお客さんだから、気持ちは20代である。それにしても昔の人はすごいなー。熊本にもゆかりの深い夏目漱石が亡くなったのは49歳である。また織田信長は本能寺で果てたが、このとき満47歳だという。歴史に残る英雄だ。そんなことを言うときりがないか。あの坂本龍馬や高杉晋作に至っては33歳なのだ。だから、そんな英雄と自分を比べるのが無謀なだけだと気づくのである。それにしても人生ゴムひも論だそうな。寿命が延びた分だけゴムひものように人生の区切りも長くなったという考え方である。たとえば昔なら15歳で元服、まさに大人である。それが今では大学生がモラトリアム世代などと呼ばれている。20歳を超えても自立しているとは言いがたい。モラトリアムとは「支払猶予期間」という意味である。社会に出て責任ある仕事をするのを先延ばしにする若者の生態をついて「モラトリアム期間」などという。もちろん若い人のことだけではない。われわれ自身が未だに青年期程度の自覚しか持っていないのではないか。何ですって、青年期だなんて厚かましい?まあ、そりゃあそうですけどね。ともあれ、もう少し風格のある態度とそれに見合った仕事をしなければと思うこのごろではあります。もう周りは自分より若い人が圧倒的に多いのですから…。 |
| 駐車場のおもしろさ(03/9/26-161) めでたく本日で退院となる。朝早く病院のベランダに出て鼻から空気を吸う。空気がこんなに濃かったかと改めて知った。今のところまだはっきりしないが、臭覚も回復してくるだろう。再びいわゆる5感が楽しめる。そう思うとワクワクしてくる。病室から駐車場が見える。朝は7時過ぎから車が入り始める。車から降りるのを見ると女性がけっこう多い。車の免許取得率は分からないが、大多数の人々が免許を持っているのだ。わが家だって、4人のうち免許を持たないのは家内だけである。彼女はみんなが取れといっても頑なに拒否しつづけている。とにかく車は恐いという。わたしも説得するのをあきらめた。それはさておき、駐車の仕方がおもしろい。慎重なタイプ、ブーッとバックしたらそれっきりの人。どちらかというと荒い人の方が巧いように見える。実際もそうだろうと思う。しかし、それが曲者なのだ。この手の人はいわゆる過信タイプで、自分が失敗するわけがないと思い込んでいる。もちろんそれは事実なのだが、そこが危ないのだ。なぜなら、巧くいくのは100%ではないからである。不幸な条件が重なれば深刻な結果を引き起こす可能性はゼロではない。駐車くらいでは、重大事故が起きるわけではない。しかし駐車の仕方を見ると、その人の車に関する自信の程度が伺われるのである。それは、「飛ばしても大丈夫」「少しくらい飲んでも心配するな」なんて気持ちにも繋がっていくのだ。一方では、慎重すぎる人もいる。同乗者を降ろして誘導してもらう。それでも、いったん降りて気にくわなかったのか、もう一度やり直す人もいる。上から見ていると、それで移動した距離は数10センチだけだ。その神経質ぶりには思わず笑ってしまう。しかし、安全第一を考えるなら、このくらいの慎重さがあっても悪くない。こうした人は女性や年配の男性に多い。病室から駐車場を見ていると、まあ慌てずにいこうよという気持ちになってくる。こんなこと言ってるが、入院が終わると、またセカセカ走りまくる生活に戻ってしまうだろう。休暇は取っているが、さっそく仕事場に出かけるのは見え見えである。もうすぐ最後の朝ご飯が来る。ともあれ、病院のみなさん、お世話になりました。 |
| すごい労働(03/9/25-160) 昨夜になって先生から診察を受けた。鼻に詰めていたガーゼがすべて取り出された。そのときは目から火が出た。本当は火ではなく、反射的に出たのは涙だった。それにしても強烈な痛さだった。手術時よりも、麻酔が切れた後よりも厳しかった。しかし、それは回復のための試練であり儀式なんだ。そう思うと、それはうれし涙に変わっていた。そして、めでたく金曜日の退院が決まった。ただし、予定していた附中2年3組の授業は延期せざるを得なくなった。さて、入院も5日目である。この間、病院のみなさんの仕事ぶりには感心させられている。看護師の方々が24時間スタッフ・ステーションにいるのは誰でも知っている。しかし、もちろん漫然といるのではない。とにかく絶え間なく何かをしている。それにお医者さんもすごい。われわれは、外来で診てもらってそれでおしまいのことが多い。それこそ3分診療なんて悪口をたたく人もいる。しかし、それは外来での1コマに過ぎない。じつは見えないところでの仕事が山のようにあるのだ。入院するとそのことがよく分かる。まずは朝も早くから入院患者を診る仕事がある。もちろん外来とも並行しているのだろう。さらに手術もする。それも1件だけではすまない感じだ。手術は緊張もするはずだし、ほとんど立ちん坊である。そして、それが終わると記録や術後の説明、経過の確認とつづく。しかも、まだまだ仕事は終わらない。わたしが手術をした日なんぞは、担当医の先生は夜中にもスタッフ・ステーションにおられた。昨夜だって、ガーゼを取ってもらったのは午後8時ころである。もちろん決められたローテーションがあって、24時間年中無休ではないはずだ。しかし、それにしてもすごい労働量だと思う。看護助手の方々も一生懸命に働いておられる。一人の患者に対するサービスの質と量と種類はすごいものがある。われわれはできるだけ健康を保ち、病院にお世話になる回数を減らすことを考えるべきだと思う。もちろん、好きで病院へ行く人はいない。わたしだってそうだ。しかし、とにかく自分の健康を自分で真面目に守る気持ちにならないと、いい医療もできなくなるのではないか。病院ではそれほど過密・過重な仕事がつづいている。 |
| テレビなし宣言(03/9/24-159) 今日も鼻にガーゼが入ったまま。人間の適応力には感心する。妙なことだが、口で息をすることにも馴れてきた。もちろん気持ちがいいわけではない。しかし、「手術」を受けたのだから当然だと思うと耐えられるのだ。後はわが体力を信じて回復を待ちましょう。とにかく、われわれの世代にはじっとしておれない人間が多い。何日か休みがつづくとムズムズしてくる。そして気がつくと仕事部屋にいる…。これがお決まりのパターンである。わたしも土日に平気で研究会を入れたりする。1970年代の「モーレツ社員」の亡霊を引きずって生きているのである。今回の入院に際して、息子からメールが届いた。「ゆっくり治療に専念しろ。休暇を出している間は退院できても家で寝ていろ。油断すると、すぐに仕事場へ行くんだから…」。まあ、そのお見通しぶりには参ってしまった。じつは休暇を取ってはいるが、その最後の日は附中で授業をする予定を入れているのだ。もっとも今日もガーゼがとれなかったから、この授業の実現は極めて危うくなってきた。金曜まで入院がつづく可能性が強い。これが素人の予想である。ともあれ、わたしにとって入院は立派な「休養」である。ところで、入院してからテレビを見ていない。部屋にはカードを使うテレビが置いてある。昔は希望者だけ借りたりしていたが、サービスも進んできたようだ。今やテレビは常識なのだ。カードは1000円で何と1500分も見られるんだそうな。しかも、残りがあれば10円単位で払い戻すという。すごく良心的な設定だ。しかし、それでもカードをすぐに購入する気にはならなかった。いつもテレビの情報に曝されっぱなしである。病院にいるときくらいはテレビ情報から離れてもいいだろう。そんな心境である。そのかわりにラジオは持ってきた。これで社会的な情報にはちゃんとついて行ける。テレビを見ていないこと自身がまた楽しくなってくる。 |
| 爽快手術?(03/9/23-158) 因果な体質だ。子どものころからアレルギー性鼻炎などと言われてきた。一般には「蓄膿症」という病気のようだ。これって名前が悪いよね。それに古くさくもある。「副鼻腔炎」と聞けば少しは病気っぽくなるかな。そのせいで子どものころから鼻づまりの傾向にあった。40歳ころにとうとう臭いまでしなくなった。聞くところによると鼻茸なるものができているという。お医者さんお勧めに従って1週間ほど入院して切除した。局所麻酔だったので、「グジッ、グジッ」という音が聞こえた。ハサミで切りちぎっているのである。そのときは20分ほどで終わったような記憶がある。取り去られた鼻茸なるものを見て、いささか驚いた。まるでブドウの粒のようだった。ブドウよりはかなり小さいが、とにかくこれがどっさり「生えて」いたのである。どおりで臭いなどしなかったはずだ。おかげで、その後はすっきりと生活できるようになった。しかし、畑そのものを根治していないから、鼻茸さんはまたしても生えてくるのである。そのうちまたしても臭いが怪しくなった。その当時、オーストラリアに出かけることになっていた。滞在が6ヶ月に及ぶ。外国で臭いがしないのは危険ではないか。こんな思いから今度は開業医の外来で切ってもらった。右と左を2回に分けて手術したのである。これが1996年のことになる。そして、またぞろ臭いがバイバイしはじめた。時代が変わったのか開業医からは薬で治すことをすすめられた。わたしとしては鼻茸君を取って欲しいと思った。そこでいくつかの病院に当たったのだが、どこもが根治をすすめる。しかし、そのためには最低2週間は必要だと言われる。格好つけるつもりはないが、今のわたしには2週間の休みはとても取れない。そうこうしているうちに、状況はさらにまずくなってきた。そこで、また新しい病院にご相談した。お医者さんは根治を前提にしながらも、まずは鼻茸を取ることを了解していただいた。それなら1週間以内ですむのだ。もちろん、即座にその話に乗った。それが昨日の手術になったのである。今回はハサミではなく内視鏡のついた電気カミソリのようなものを使うと聞いていた。本物がどうなっているのか目隠しされていたので分からない。しかし、その音は爽快とも言えるものだった。「シャリシャリ、シャリ…」。まるで草刈り機でそこいらの草を徹底的に刈りまくるという感じである。これなら完璧なんだろうと嬉しくなった。ただし、後で見るとその分だけ出血もあり、麻酔が切れた夜には顔全体が「痛いなー」という感じになった。それでも痛み止めは飲まなかった。息子に「気力で痛み止めは飲まんかった」と自慢したら、「また馬鹿なことして」とたしなめられた。ともあれ、手術は無事に終わった。お医者さん、看護師のみなさんをはじめ病院のみなさまにお礼を申し上げます。 |
| 子どもの成長(03/9/22-157) いつも身近に見ている子どもは、その成長に気づかないことも多い。人の子はあっという間に大きくなる。それはコマの飛んだ映画を見るようなものである。それに対して自分の子どもは毎日見ているから、その変化に気づきにくい。映画の1コマ1コマを順に見ていくと、どこがどんなに変わっているか分からない。人間は1/24秒くらいではたいした運動はできないのである。さてさて、今日は「手術」の日である。鼻にポリープができて臭いもしない。それを切除するのが目的だ。もうこれは立派に持病であり今回で3回目になる。最初は1週間入院した。次は「外来」でということで、切ったらそのまま家に帰った。そのときのこと、自宅で横になろうとしたら、詰めたはずのガーゼが口から出てきてしまった。当然のことながら、「おいおい、こりゃあいかんぞ」となった。そのとき高校生だった息子が病院に電話してくれた。「もしもし吉田ですが、手術後のガーゼが口から出てしまいました。今から『行かせます』のでよろしくお願いします」。この「行かせます」には笑ってしまった。ガーゼがさらに口の中にずれ込みそうになったほどだ。まだまだ子どもと思っていた息子だが、第三者に対してはちゃんとした言い回しをしている。それなりに社会通念というか常識を備えているのである。子どもたちは親だけの力で育つものではない。先生や近所のおじさん、おばさん、それに友達などなど、いろんな人たちによって育てられていくのである。ともあれ、「手術」の朝にこんなことを思い出した。 |
| 共学、供学(03/9/21-156) 昨日は附中の教育実践研究会だった。はじめて土曜日に開催するということで、ご参加の方がどのくらいになるか気になっていた。まずは結果から言えば400名を超えるご参加を得た。PTAのみなさんにも、受付、接待、駐車整理等にご尽力いただいた。こうした方々と附属教員の身内も加えれば、附中に500以上の人々が集ったことになる。そう考えると改めて感激した。ありがたいことである。お休みの日であっても来ていただけるのだ。どなたも本気でいらっしゃったに違いない。いやいやことばは慎まねばならない。そんな言い方をすると、平日の研究会にご参加される方は「偽物」みたいじゃないですか。もちろん、そんなつもりではございません。ただ、たくさん来ていただいたうれしさを表現したかっただけなのです。その点はご容赦を…。ところで、校内で出会う多くの方が「勉強になった」とおっしゃって下さった。今回は「研修システムの構築」といった副題もつけていたので、こうしたお声を聞くと、またまた嬉しくなってしまう。しかし、こうした研究会を通して、わたしどもも「勉強」させていただいていることは言うまでもない。研究会は人と人との相互作用があって成立するものだ。われわれが一生懸命に努力しなければならないことは当然である。しかし、それを盛り立てて、新しいアイディアや考え方を提供していただくのは参加者の方々だ。そんな意味で、研究会は「共学」の場なのだと思う。文字通り、「共に学ぶ」のである。さらに「供学」と呼んでもいい。お互いが「与え合う」という気持ちを込めて…。ともあれ、昨日は「共学」と「供学」の心を実感した一日であった。この発想は、すでに「教育」「共育」「供育」というキーワードにして、この欄で取り上げた。それを「共学」にまで広げてみたのである。ところで、本日は故あって朝の10時過ぎに「入院」した。少しばかり日常生活からお別れできるかもしれない。現在、午前11時を回ったところ。そんなことを言いながら、1時間も経たないうちにPCを取り出して、この文章を書いている。こちらの「病気」は「入院」しても治らない…。 |
| 3Kと3D(03/9/20-155) ニューヨークタイムズを見ていたら、日本人が言う3Kについて書いてあった。今年の6月26日付である。その中で3Kを英語で3Dと表現していた。最近はあまり聞かなくなったが、きつい(Kitui)、汚い(Kitanai)、危険(Kiken)な仕事を避ける傾向をさしていた。こうした仕事は外国人にしてもらおうという風潮が高まった時期もある。ニューヨークタイムズは、日本が未だに閉鎖的だと指摘する。そして、このままだと、日本は衰退すると心配してくれているのである。その記事の中で、3Kが3Dと翻訳されていた。まずは、Difficultである。一般的には「むずかしい。困難な」と訳されるが、これが「きつい」に対応するだろう。2番目はDirtyである。これがそのまま「汚い」という意味になる。最後はDangerousである。これも「危険」そのものを意味している。まあ話題としてはこれだけのことである。それにしても、こんな言い方をされて、アルファベットの「K」は嘆いていることだろう。いやいや「K」さん気を落とすことありません。「K」の付く字でプラス志向のことばもたくさんありますよ。たとえば、「向上意欲」や「改善意識」はどうですか。これらがなければ人間は成長しません。「改善」なんて、企業の努力もあって「KAIZEN」という英語にすらなっているんです。「危機意識」だって大切です。「今のままがいい」「何もしない方がいい」などといっていてはいい人生は送れません。過度の危機意識は困りますが、適度の危機意識こそは、個人も組織にとっても欠かせないのです。ほうら、ちょっと見たただけなのに、すばらしい「K」もあるでしょう。 |
| 会話好きの運転手さん(03/9/19-154) タクシーに乗ると話し好きの運転手さんがいる。わたしが「人と話をするのは嫌いだ」なんて言えば、ほとんどの人は信じないだろう。しかし、20分くらいはじっと考えごとをしたいこともある。講演で出かけるときには、どんなスタートを切ろうかと思いを巡らすこともある。これはタクシーの中で話のネタを作るなんていい加減なことをしているのではない。ちゃんと準備はしていても、「昨日の事件を口火にしようかな。この前はあの事例がけっこう生かせたな…」などと考えるのである。まあ、そんなときに運転手氏から、あれやこれやと話しかけられると閉口する。たしかに孤独な仕事でもあり、声もかけたくなるのだとは思う。しかし、そこはそれプロ意識を徹底していただきたいものだ。もちろん、話し好きの客だっているに違いない。そんなときは、大いに受け答えをして客を喜ばせればいい。大切なことは、相手によって柔軟に行動を変えうることである。話したい客が乗れば会話のエンタテイナーとなる。そして、寡黙な客には静かな仕事師に変身する。それは、およそ接客を仕事とする方々に求められる共通の力だろう。デパートや電気店でも、説明を聞きたい人もいれば、つきまとわれると嫌だという人もいる。そのどちらにも気持ちよく買い物をしていただくことが大切なのである。宮本武蔵ではないけれど、対人サービスには二刀流が求められている。 |
| 二つの意見(03/9/18-153) 先日のこと、NHKのアジア&ワールドを見ていた。フィリピンで露天商が手入れを受けていた。道路で不法に商売をしているのを取り締まっているわけだ。警察が来るのを察知してうまく逃れた人たちもいる。生活があるからみんな必死である。そのニュースをアナウンサーが締めくくる。「世論は二つに分かれています」。そうかなーと思う。不法な商売を取り締まれという声と、困った人をいじめるなという意見の二つがあるのだろう。それは分かる。しかし、賛否両論が50%対50%になっているのだろうか。その言い回しからは、「世論が二分されている」ように聞こえるのである。このあたりはきちんと押さえておかないと事実を誤って受け止めてしまう。そうした危険性があるのだ。こうした報道はことばにも注意しながら見たり聞いたりしたい。街角でのインタビューなども要注意だ。「○○について、どう思いますか」といったたぐいのものだ。まずは何人に聞いたのか、どんな基準で人を選んだのか。時間は何時頃か。こうした状況を押さえないと、人々の偏った意見だけを聞かされることにもなりかねない。第一、昼間に東京の街中を歩いている人って、一般の代表とは言えないでしょう。もっとも夕方の新橋駅前でも同じことですが…。ともあれ、情報を見る目と聞く耳はいつも鍛えておきたいものではある。 |
| 満塁ホームランの必然性(03/9/17-152) プロ野球で、ときたま満塁ホームランが出る。ひいきのチームが打ったときは神様がいるに違いないと思いたくなる。それとは反対に打たれてしまうと、「なんて馬鹿なことするのか。ヒットなら我慢もするが、ピッチャーのアホーっ」と罵倒したくなる。しかし、わたしは「満塁ホームランって必然的ではないか」とも思う。じつはわたしはプロ野球で満塁ホームランを見たことがある。バッターは4番だ。まずは4番に回るまでに満塁にしてはいけない。ピッチャーなら当然の気持だろう。ところが、これが精神に微妙な影響を与える。「いけない、いけな」と思っているからこそ、皮肉にもそれが現実になる。そして、迎えた4番である。こころの中で「ホームランだけは避けなければ」と言い聞かせる。そこで気持ちを持ち直して1球目を投げた。大振りだ。その調子とばかり2球目を投げる。なんと、これも大振り。いやはや心許ない4番ではある。そこで、あとはゆっくりと…。ピッチャーはそう思ったかもしれない。しかし、何といっても4番だ。甘い球は要注意。3つはボールを投げられるという余裕が裏目にもなる。どうにかして振らせようと思っているうちにボールが3球つづいてしまう。こうなると満塁だからストライクを投げるしかない。そして、その玉をガキーンとやられてしまったのである。わたしも満塁ホームランを打たれるなんて、バッテリーが愚かなんだと思っていた。しかし、本物を目の前で見て、あながち偶然でもなさそうな気がしたものだ。ピッチャーとバッターのかけひきの流れ中で必然的に満塁ホームランが生まれるのである。 |
| 自分の物(03/9/16-151) 世界で一番の金持ちは今年もビルゲーツなんだそうな。まあ、とにかく資産が5兆円を超えるというから、気が遠くなるような金持ちだ。というよりも、どのくらいすごいのかさえ分からない。その彼がハンバーガーが好きだと聞いたこともある。もっと豪華な食事もできるんだろうが、好きなものは好きというのもいいな。それにしても、彼くらいの金持ちになると、もう自分のお金だと言っても使い切れないのではないか。その分は、結局はないのと同じだ。何せ使えないのだから…。もっともアメリカなどでは、それを寄付することが頻繁に行われる風土がある。ビルさんも慈善事業だっか、相当な額を寄付するというニュースを見た記憶がある。まあ、所有物はそこそこにしたおいた方がいいかもね。たとえば世界の全部をくれると言われたらだれもが困るだろう。どう考えても、一生のうちに全部の地域に行くこともできない。どこもが自分の持ち物だというのに、それをすべて見ることすらできないのだ。自分の持ち物である世界中の町で1泊ずつしたい。そんな希望も叶わない。なにせ100年生きても36,500日しかないのだ。わずかに、3万程度の町にしか行けないなんて…。あー、こんなことを考えると頭が真っ白になってしまう。そして心から安心するのである。「世界が自分のものでなくてよかったー」。自分の持ち物は自分でコントロールできる量と範囲が何よりである。そして、物は少ない方がいい。そんな気分になっている。そう考えて、わたしは数年前から身辺整理を続行中である。自宅でも仕事場でも物を中心に整理をすすめている。しかし、その目標も簡単には達成できない。なにせ、書類ひとつとっても絶え間なく洪水のようにやってくる。だから身辺整理もままならない。世界といえば、先週土曜日にNHKの海外ネットワークを見ていた。その中で、放送局のABCが劣化ウランをインドネシアからアメリカに持ち込んだというニュースがあった。アメリカの警備体制をチェックしたわけだ。それはいいのだが、ニュース導入の際にアナウンサーが「その一部終始をお伝えします」だって…。それって「一部始終」でしょう。ベテランのアナウンサーなので驚いた。ことばのプロなんだから、しっかりして下さいよ。 |
| 早いモン勝ち(03/9/15-150) 理系ほどではないが、われわれ心理学もアイディアが勝負である。新しい視点やことばも先に提案した方が勝ちというわけだ。その点ではインターネットも役に立つ。公式ではないにしても、この場でアイディアを出しておけば、「それって、わたしも言ってたのよ」くらいの自己主張はできる。それほど大したことではないけれど、このごろテレビのCMを見ていて「先を越されちゃった」とガックリした。それはNTTドコモのCMである。姉弟が海に出かける。弟はサーフボードに乗って遊んでいる。それを姉がカメラ付きの携帯で撮って父親にメールで送る。それを見て親父が言う。「100年早い…」。わーっやられた。わたしも大げさな表現が大好きで、何かというと「100年早い」だの「100年前から」だのと表現している。これからは、それを使うと「あー、それってドコモのCMのまねでしょ」なんて言われてしまいそうだ。ああ、いやだ。ただし、わたしはもっと大げさに「それって縄文時代から」なんて言い方もしている。これはまだあまり使われていないだろう。そこで、この際は、「弥生時代から」「奈良時代から」「平安時代から」「鎌倉・室町時代から」「江戸時代から」「明治時代から」「大正時代から」などと全部を登録しておこうかな…。なんとも研究とは関わりのない低レベルの話ではありました。 |
| 心と体の対応(03/9/14-149) アメリカにウイリアム・ジェームスという心理学者がいた。「心理学原理」(1890)という岩波文庫の翻訳版もある。彼は体の反応と情動体験について、おもしろい仮説を唱えている。たとえば、われわれは「悲しいから泣く」と考える。しかしジャームスに言わせれば「泣くから悲しい」となる。これは体の働きが心を規定するという発想だ。その当時は奇抜なことを言って目立とうとしているなどと批判もされたらしい。しかし、その後の生理学的な研究の成果を見ると、あながち間違いでもないようだ。わたしも体の動きが先で、その結果として気持ちが高まってくるという事実をしばしば体験する。たとえば、対人関係トレーニングなどで模造紙を使って意見をまとめる作業をすることがある。そんなとき、机を組み合わせて、やや広めの作業台を作る。だんだん気分が乗ってくると、メンバーたちが立ち上がる。机が狭いと座ったままでも模造紙全体が見えるし、手も届く。それができないから、思わず立つことになる。このときは足の筋肉が緊張しているに違いない。そして、この緊張感が「われわれはちゃんと仕事しているんだぞ」と言う信号になって大脳を刺激するのではないか。それが気持ちの高揚にも繋がっていく。そんな気がするのである。背もたれに寄りかかって、「ああでもない、こうでもない」と言ってるうちは、こうした雰囲気は出てこない。わたし自身は生理学的な測定もできない。したがって、このことについては説得力ある根拠もない。しかし、ジェームスではないが、体と心には無視できない関係があるに違いない。筋肉の緊張と心の緊張である。「やってるぞーっ」と言う感覚である。だから、トレーニングには物理的な配慮や心理的な計算が必要になる。 |
| たまたま今日だけ?(03/9/13-148) 学会で大阪に泊まったときのこと。街中のホテルだったが相変わらず早朝に目が覚めた。カーテンを閉めてはいたが窓の外が明るい。ちょっと覗いてみて驚いた。ホテルの向かい側にあるビルの前に数人の若者が座り込んでいる。話もしているようだ。こんな時間にいるということは昨夜の晩からこの状態がつづいているのだろう。「やれやれ親は心配せんのかいな」。しかしちょっと待てよ。ひょっとしたら彼らがこんな行動をとったのは今日が「初めて」なのかもしれない。いつもやってるように考えると悪いかな。さて、また別の日のこと。右折のために信号待ちをしていたら、赤になっても直進車が来るわ来るわ。とにかくしんごうを守らない。「いいかげんにしろーっ」。しかしちょっと待てよ。ひょっとしたら彼らがこんな行動をとったのは今日が「初めて」なのかもしれない。さらに別の日のこと。バスの中で携帯電話をかけるおっさん。あれだけするなと言われているのに。若いものばかりを責められない。このおっさん、他の会社の悪口まで言ってる。その会社に言いつけたるぞ。それはとにかく、「うるさーいっ。電話をやめろーっ」。しかしちょっと待てよ。ひょっとしたら彼らがこんな行動をとったのは今日が「初めて」なのかもしれない。そうなんだよな。頭に来るようなことをする人がいるけれど、そうした行動をしたのは、そのときが初めてだったのかもしれない。そして、それは一度のミスであり、そのあとは同じことをしないかもしれない。私だって、失敗を後悔して二度としないことだってあるじゃないか。たった1回のことで怒らないでよ…。そんなことを思うと、ちょっと気弱になってしまう。あまり怒れないような心持ちになる。いやいや、それって人がよすぎるよ。いけないことはいけないんだから、きっちり怒ろうよ。 |
| 親のこころ(03/9/12-147) ○○が独りぽっちで暮らしている寮の窓をじっと見る。○○はここで丸一年、両親と別れてたった一人で暮らしている。淋しいことだろう。辛いことだろう。不便なことだろう。人一倍身の回りの面倒を見る母親であるだけに、洗濯まで自分でしなければならない今はさぞや辛いことだろう。窓にかかっている干し物のための針金や留め金などをじっと見ていると、いじらしくて仕方がない。カーテンを見る。去年この寮に引っ越すときに見て以来、1年ぶりに見るカーテンだ。ニスがある。これは、はじめて見る。この夏に買ったものだろうか。○○が住む寮の窓をじっとわたしは見るのである。聞き耳を立てると英会話の録音を聞いているところらしい。はじめに講師が英語で言っている。それを○○が繰り返して発音している。先月買ってやったテープレコーダーで勉強しているのだ。自分で望んで親たちのところに来ずに福岡に留まり、一人で勉強のために頑張っている○○なのだ。やがて勉強もすんだようである。バタンと戸をしめる音がした。きっと○○は廊下に出たのであろう。そうすると廊下から階段にかかり、階段の窓からいやでも私の顔にぶつかるはずである。そのとおりだった。まず○○の横顔が見えた。○○は寮のものと何か話をしていた。一言二言話して、○○は階段を下りはじめた。「あっ!」と道雄が言った。その窓の真正面に私の顔があったからだ…。1966年(昭和41年)9月6日。吉田貢の日記である。貢はこの日、長崎から福岡に出張して来て息子の寮を覗いてみたのだ。そのことは子どもには内緒にしていた。そんなやり方でいつも人を驚かすのが好きな人だった。その当時、息子は17歳で高校3年生…。貢は私の父である。 |
| おしゃべり禁止令(03/9/11-146) 福岡へ行くために県庁前からバス乗ったときのこと。大声で話している女性たちがいた。まあ、「きゃっきゃ」と騒いでいるのである。わたしは比較的後ろの方に座ったので、それほど耳障りにも感じなかった。ところが、運転手氏は大いに気になったようだ。「携帯電話は他のお客様のご迷惑になりますので、使用はご遠慮下さい」。ここまでは普通の案内だ。その後にオプションが付いた。「大声で話すと迷惑ですから注意して下さい」。ついプッと笑ってしまった。それがどのグループを指しているかはだれにも分かったからである。もちろん、ご本人たちにも…。もっとも、このごろのお嬢さんたちはすごいというか、少々のことではめげない。何せ電車内で化粧しても平気なんだから。そう言えば、少し前にJRに乗ったときのこと。通勤用の向かい合わせシートの車両だった。わたしの対面で高校生くらいだと思うが、私服の女性が化粧を始めた。いやー、見ないようなふりをして見ていたが、すごい変身ぶりだった。それはもう、目はくっきりパッチリ。化粧は文字通り「化ける」ための道具であることを実感した。それはそうと、バスのおしゃべりグループだが、最初に注意されてしばらくはおとなしくしていた。しかし、元々のおしゃべり虫はじっとしていない。植木インターの近くまで来たころ、またぞろ大声で話し始めた。すると運転手氏はまたまた「話し声は小さくーっ」と、今度は怒鳴ったのである。それで、その後はさすがに静かになった。てっきりそう思ってたら、寝ているだけだった…。公共の空間はお互いに他人のことを考える。そんな配慮が感じられなくなってきた。だって、小さいときからマイカーの中でだれにも遠慮せずしゃべってるんだものね。 |
| 学びたい力(03/9/10-145) このごろは「学力低下」が大いに話題になっている。とくに「ゆとり教育」との関連で「学力低下」が問題にされる。よくあることだが、問題になっていることばの定義が必ずしも共有化されていない。「学力」にもいろいろな面がある。一般に現象として目に見えるのは「学んだ力」としての「学力」だろうか。いわゆるテストの点数はその代表だ。それは現在完了形の「学力」である。その前に「学ぶ力」がある。さらにその前に「学ぼうとする力」も考えていい。それは「学習意欲」と言い換えることもできる。「学力低下」という場合、こうした「学ぶ意欲」や「学ぶ力」も低下しているのだろうか。「学ぶ意欲」を高めるには、学校で言えば教師の役割も大きい。教師自身が「学ぶこと」を「楽しいこと」として体中で表現していれば、子どもたちもその影響を受けるだろう。また、「学ぶ力」については、それなりの学びの技術やテクニックもがいるかもしれない。単に丸暗記を競うのではやる気を失い学ぶ力も身に付かない。どうしてそうなるのかといった道筋を立てて考えていくことを教えるといい。もちろん、ときには「丸暗記」もトライして、それをゲームのように楽しむのもおもしろい。子どものころ、お互いに小さな文字の地点を問題に出し合って、そこを探す競争をした。相手が見つけられないような地点を探すのだから、地理的には何の意味もない。それでもけっこうおもしろかった。英語だって、辞書で単語を引くついでに他のところまで目を移してみる。何の役に立つのかなんぞは考えない。それでいいのだ。その結果として発見につながることもある。それはそれで楽しめばいい。高校のときだった、カレッジクラウンでflingを引いたときのこと。例文まで見ていたら、She will fling him over.とあり、その訳が「彼女はわたしを捨てるだろう」となっていた。目的語はhimだから、捨てるのは「彼」ではないか。あるいは日本語の「わたし」を取ればmeだろう。そう思って三省堂にはがきを出した。高校の先生から「辞書の間違いを見つけるともう1冊辞書がもらえる」と聞いていたのである。大いに楽しみにしていたが、先方から「先般himをmeに訂正しました」とのはがきだけが届いた。いやはや遅かったかと悔やんだが、発見は発見だといい気持になった。そんなことで喜べることが楽しい。そうした経験が「学びたい力」に繋がっていく。何とかごまかして「学力」に戻そうとしているが、気がついてみると、「わたしは辞書の間違いを見つけたんだぞ」という単なる自慢話になった。 |
| 楽観的不可知論(03/9/09-144) 子どものころから解決できない難問を抱えている。それは、「わたしが見ていると同じ色に他人にも見えているのだろうか」という疑問である。今日の黒板の色は多くが深緑だ。他の人も間違いなく深緑だと認めるに違いない。しかし、Aさんには、ひょっとしたら、わたしが「青」だと思っている色に黒板が見えているのではないか。それをAさんも深緑だというのは当然だろう。わたしが「青」だと思っている色を、Aさんは生まれたときから「深緑」だと言われて育っているのだから…。色の識別は脳の世界での出来事だ。だから、他人の見え方を自分が感じることはできない。しかも、それは永遠にできないのである。そんな気持になったのは小学生のときだった。それ以来、わたしは人間には絶対に分からないこと、確かめられないことがあるんだと考えるようになった。そのころの気持はあまり憶えていない。そんな想念が頭にこびりついて眠れなくもなったこともない。いずれにしても、とにかくおもしろい事実である。世の中に「絶対」はないと言う。わたしもそう思う。しかし、この色のことだけは絶対に分からないと今でも確信している。しかし、そう考えたとき、一方でワクワクして楽しくなるのを感じる。人生、分からないことがあるもの当然だ。むしろ、その方がもっとおもしろいじゃないか。どんな見方をしているか分からないもの同士が、相手の立場も尊重しながら生きていくのも、またけっこうなことだ。哲学の世界で「不可知論」をどう定義しているかは知らない。それはともあれ、わたしは「永遠に知り得ないこと」を楽しみたいと思う。まあ、わたし流の「楽観的不可知論」と言うことができましょうかね。 |
| 自分によくても(03/9/08-143) 自分にとって都合がよくても、全体にとってはまずいことがある。現実は、そちらの方が多いかもしれない。たとえば、いつ乗っても座れる電車やバスがある。始まるギリギリについても座席が空いている映画館もある。これはまことに都合がいい。しかし、考えるまでもなくバスや鉄道会社にとっては客がいないと言うことだ。映画館だって同じである。いわゆる閑古鳥が鳴いている。それは国全体の経済にとってはお金が回っていない状態なのである。まさに今の日本がそうした苦しみに喘いでいるわけだ。だから、自分にとっていいことが必ずしも全体にとっては望ましいとは限らないのである。そのことを認識することは大事だろう。これは単純に言えば、他人の立場に立って物事を考えろと言う、当たり前の教訓でもある。そうかといって、いつ行っても電車は満員。座れれば宝くじに当たったも同然というのでもまた困る。ここは、それバランスの問題なんだな。それはそうと、バスなどでも一人で座って横には荷物を置く人がけっこういる。できるだけ横に人が来ないように牽制しているとしか思えない。その上で、目をつぶって寝ているのである。ひょっとしたら、寝たふりをしているのかもしれない。また、通路側に座ってバッグを窓側に置く人もいる。これなども、口には出さないが「座らせないぞーっ」と露骨に意思表示しているように見える。「たびは道連れ、世は情け」なんて文句は死語になった。自分のプライバシーを守りたい、他人とは隣り合わせもイヤだ。そんな気持ちなんだろうかなあ。 |
| ちょっと気を利かせて(03/9/07-142) ある必要から番号案内に電話した。○○町民センターの番号を知りたかったのである。「『○○町の市民センター』をお願いします」。こう言ってしばらく待った。声が聞こえた。「○○町に『市民センター』はありませんが…」。その瞬間「あっ、『町民センター』だよな」とは思った。しかし、正式名称が違ったかもしれないという気もして、「ちょっと待って下さい」と答えた。念のために隣の部屋に置いていたメモを確認に行ったのである。しかし「○○町民センター」に間違いなかった。もちろん、わたしも気づいていた。「町」なのだから「『市』民センター」ではなく「『町』民センター」であることを…。しかし、そこで思うのである。「○○町ですから、市民ではなく町民センターのお間違いではございませんか」。番号案内のプロなんだから、このくらいの反応はあってもいいのではないか。それがサービスだと思う。そんな不満が声に表れたかもしれない。「そりゃあ町ですから『町民』ですわね。『市民』じゃないですたい」。何となく責めているように聞こえたに違いない。先方は、いきなり「時間外の電話番号をお知らせします」と言ってすぐに切れた。後は「オトイアワセノバンゴウハ…」と機械音に変わった。確かに5時過ぎではあったが、市民センター、いや町民センターなどは夜でも開いている場合もある。しかもこちらが時間外の番号を聞きたいと思っているかどうかも分からないはずだ。事実、わたしの目的はナビに電話番号を入力するためだった。結果としては登録されていたが、ナビに昼間の番号しか入っていなかったらどうなるかしら。またまた聞かなくちゃあならないじゃないの…。このデフレ時代、市外通話だって国内どこでも3分20円というのに、案内の104は60円でしょっ。「時間外ですがどちらをご案内しましょうか」くらいは言ってほしかったなー。なんたってプロなんだから。 |
| 優先順位と集中力(03/9/06-141) わたしの課題は優先順位と集中力である。まずは仕事に優先順位をつける必要がある。今しなければならない仕事、できるだけ早くしておいた方がいい仕事を先にすることだ。それは当たり前にことのように思われるかもしれない。しかし、これが案外と難しい。やらなければと思いながらもギリギリまで引き延ばす。そして、いよいよ駄目となってから手をつける。1日という短期的な時間内でも同じことが起こる。まずはしないといけない仕事を放っておいて、どうでもいいものに手をつける。毎日がこうしたことの繰り返しだ。さて、そう言いながらも大事な仕事に取りかかったとする。その後はまさに集中することが求められる。ところが、これがまたなかなかの難題なのである。すぐに集中力が欠けて他のことをしたくなる。頭の中に「あっ、そうそすう。あれもしなくっちゃ」なんて浮かぶともう大変。すぐにもそちらの方に手をかけてしまうのである。その点では、棋士などはわたしの理想と言っていい。あの羽生氏などである。戦いが始まると2日間というものは完璧にその世界に入ってしまう。周囲も殺気を感じるほどだろう。だからそれが理想なのだ。ところで現実はというと、わたしは完璧な分散型である。その典型が本である。わたしは同時並行的に5、6種類の本を読んでいる。まずは自宅の机の上に2冊ほど。また、トイレ専用もある。それから本ではないが週刊の英字新聞も一応は読む対象になる。それから、通勤のバスで読む本だ。これは車で移動するときにも信号待ち用になる。これだとちっとも進まないと思われるだろうが、心配いらない。自宅の2冊のうち1冊でも読み終わったら、この本が机の上に昇格するからである。そして、研究室で読む本格的な仕事の本となる。これで、英字新聞を入れれば6点セットだ。それらを1日に僅かずつ読み進めていく。だから1冊あたりに費やす時間はきわめて少ない。しかし、とにかくかなり分厚い本もいつかは読了するというわけだ。これと同じように原稿も分散型に近い。一気に数日で書き上げるということはない。場合によっては何本かを同時に少しずつ書いていく。また、いつでも書いていると考えることもできる。気分はまるで売れっ子作家?!こんな生活をしているから、やっぱり集中型に憧れるのである。 |
| 道連れ(03/9/05-140) 先日、JRの列車で男性が焼身自殺を図った。ペットボトルを振り回して油のようなものを撒いて火をつけた。トンネルに入ってからのことらしい。そんなことから、警察は乗客らを巻き込もうとした可能性もあると見ている。ほんとうにやれやれという気持ちになる。自殺そのものも困ったものだが、加えて他人まで巻き込むというのだからかなわない。すでにこの欄でも触れたが、このごろは自殺志願者がインターネットで集まって一緒に死んだというニュースも頻繁に見る。自殺なんて「超個人的」なものなのに、それを一人ではできないのである。なんとも妙な弱さが気になってしまう。それに輪をかけて、まったく関係のない他人まで道連れというのではお話にならない。そう言えば、韓国で起きた地下鉄火災も、道連れ志向の強い事件だった記憶がある。しかも、この場合は犯人が救助されている。まったくやりきれないニュースだった。わが国だけでなく、世界中のどこもここもおかしくなっているようだ。これで21世紀の人類はちゃんとやってけるのかしら。とにもかくにも、自分の命はいざ知らずなんて言うと怒られるだろうが、せめて他人の命は大事にしてもらいたいものだ。40人ほど乗っていた乗客が無事だったことが、せめてもの慰みといったところか。 |
| お箸の持ち方(03/9/04-139) 案外と気になることは他人のお箸の持ち方。鉛筆もそうだな。もう相当に昔の話になるが、附属小学校での教育実習の際に、学生がややこしい鉛筆に握り方をしていた。そこで思わず言ったのである。「すごい握り方がだね」。即座に帰ってきた答えは「悪いんですか」。いやはや女子学生だったが、二の句が継げなかった。しかし、妙な持ち方は若い世代だけのものではない。かなりの年配の方でも「おやおや、それでよく文字が書けるな」と言いたくなる人がいる。「そんなもん個人の自由じゃんか」。こんな反論が返ってきそうだ。しかし、何と言ってもそれはそれなりの「美しさ」があると思う。それに、そうした方が食べ物が取りやすいから、字が書きやすいからそんな持ち方になっているのである。「自由」という呼びかけのもとで、何でもかんでも勝手のし放題というのはいかがなものか。やれ箸だの鉛筆だのとうるさく言うといやがられる。だからお互いに指摘し合うこともない。「駄目は駄目」と言わないから「何でも自由」になってしまう。戦後の「一億総懺悔」が徹底しすぎたせいか、過去の伝統も文化もすべて置いてきぼりにしてしまったのではないか。「自由」というのは「他人の自由を侵さない」ことが前提である。ところで、かく言うわたしがお箸をまともに持てるようになったのは40歳前後のこと。前々から「箸の持ち方がおかしい」といわれていた。ちょうど1週間ほど入院したときに、箸の持ち方を大練習した。それが大成功、今はまともな持ち方である。つまりは、いつになってもやればできるということだ。生きてる限り、遅いってことはないのです。これは何にでも当てはまる。 |
| 羅生門の終わり(03/9/03-138) 映画「羅生門」の登場人物は8人である。門の下で話す木こりと法師、そして通りがかりの変なおじさん。これが3人。事件の当事者である侍とその妻、そして盗賊多襄丸。さらに彼を捕まえた人物と侍の心を蘇らせる巫女である。これでおしまい。内容の濃さの割にはすごい人件費を節約している。もっともそこは黒沢大監督のこと。朽ちて崩れかかった羅生門のセットそのものに相当の金をかけたらしい。しかし、その登場人物の演技のすごいこと。とりわけ侍役の森雅之と妻の京マチ子の演技には怖さすら感じる。前回にも書いたが、妻を蔑む「目」は思わず身震いがする。まさに「目は口ほどにものを言い」そのものである。それを演技でやるのだからすごいのだ。この演技にOKが出るまでは相当の時間がかかったのかもしれない。これと並ぶのが京マチ子の演技だ。二人の男をけしかけて戦わせようとする。ところが、二人の男は戦う気など毛頭ない。「こんなことで命をかけるのはまっぴらだ。欲しけりゃくれてやる」「俺だって…」。思いもかけない展開に、女は呆然とする。「えーっ、そんなんてないでしょ」。予想もしなかったことが起きたときの目、小さく開いた口…。とにかく気持ちが120%伝わってくる。そんな迫真の演技なのである。大声や派手な立ち回りなしで、見ているものにその気持ちを分からせるのである。これぞプロなんだと思う。こんな演技を見ていると十分に金を払う気になる。その点では、三船敏郎の動きや表情は、ややわざとらしくさえ見える。当時の京マチ子は26歳、今は79歳という。こんな俳優が少なくなった。森雅之は62歳で亡くなっているが当時は39歳、何と作家有島武郎の長男だそうな。こんな迫真の演技をする俳優が少なくなった。ところで、この映画は国内では評価されなかったが、ベネチアでグランプリを取った。その後は大いに騒がれたらしい。自分たちでいいものを評価できない。しかも外国が評価したら大騒ぎする…。こんな悪癖は治したいものだ。自分たちのことは自分たちでちゃんと評価しようよ。もちろん傲慢には要注意ですけどね。 |
| 羅生門のつづき だれが真実を語っているのか、結局は分からない。事実としてはっきりしているのは、侍の金沢武弘が死んだことだけ。盗人の多襄丸は妻の真砂を襲い、その後で自分が侍と勇ましく戦って殺したと自慢する。妻は、盗人に陵辱されて悲しむ自分を夫が蔑んだ目で見たと訴える。その冷たさに耐えられず、自分の短刀で夫の胸を突いたと証言する。ここで何と巫女まで登場する。その巫女を通じて侍の恨みに満ちた声が聞こえてくる。盗賊が妻に自分について来いと誘っている。そのうつろな美しい顔はこれまで見たこともない。そして、盗人についていくからこの人を殺してと自分にむかって指さしたのだ。それにはさすがの悪人もあきれ果てて、妻を足蹴に去っていく。自分は妻から裏切られた悲しみに、自分で胸を刺してこの世を去ったのだ…。龍之介の話ではこれでおしまいだったと思う。映画「羅生門」では、死体を発見したという木こりも登場する。じつは、死体を発見する前にことの始終を見ていたという。それによると、女が二人をけしかけて戦わせたのだった。お互いに意気地のない、へっぴり腰の二人ではあったが、最後には盗人が勝負をつけた。しかし、どうも木こりも金目の短刀を盗んだ様子がありあり。全部を信用するわけにはいかない雰囲気が漂う。こうして物語は週末を迎える。だから、真実は分からずじまい。それでも欲求不満を感じないから不思議だ。「人間なんてそんなものなんだよなー」と妙に分かったような気になってしまうのである。とにかく、何回見てもおもしろい映画だ。しかも、いろいろなエピソードがついているから、興味はさらに深まる。まずは、ギラギラした雰囲気を出すために、カメラを太陽に向けたという。当時はフィルムの性能もあったのだろうか、太陽にレンズを向けるのはタブーだったらしい。その冒険のおかげで、人間の本性をあぶり出すような雰囲気が出てくる。羅生門に降り注ぐ激しい雨にも工夫があった。どんなにホースで水を撒いてもフィルムにはほとんど映らなかったらしい。たしかに、野球中継など見ていると、かなりの雨でも画面ではよく見えない。そこで考えたのが、雨に墨を混ぜることだった。それでようやく雨らしくなったという。真実らしく見せるためには真実でないことをする。本当のことを伝えるために本当でないことを言う…。対人関係でもそんなことがありそうだ。なかなか示唆的だと思う。(03/9/02-137) |
| 羅生門 敗戦後、一億総懺悔状態の日本人に夢と希望を与えてくれたもの。わたしは次の3つを挙げたい。ひとつは湯川秀樹氏のノーベル賞受賞。1949年のことだ。二つ目は古橋広之進氏が400mの競泳で世界新記録を出したこと。これも同じ1949年。当時は「フジヤマのトビウオ」と言われた。外国から「日本のストップウォッチはおかしいんじゃないか」なんて疑われたというエピソードまであったらしい。そして、黒澤明の「羅生門」がベネチア映画祭でグランプリを取ったこと。映画の制作は50年だが受賞は51年である。学会とスポーツ界と文化の3点セットで日本人を勇気づけたのだ。その「羅生門」を見たのは大学生のときだった。福岡市の西新にあった映画館で「黒澤週間」という催しが企画された。このチケットを買って一人で何日か通った。その中でも「羅生門」は飛び抜けておもしろかった。もちろんよかったと思ったのは内容である。芥川龍之介の「藪の中」をもとに作られたことはあとで知った。「今昔物語」からヒントを得たとのことだが、その迫力には感服させられる。まずは龍之介の才気に身震いがした。ほんのちょっとした物語からヒントを得て、人間の本性をえぐる小説に仕立て上げているのである。そして、映画の「羅生門」もまたすごいと思った。人間が語る真実とは何なのか。映画を見終わったときは興奮していた記憶がある。人心の荒れた時代の風景が浮かんでくる。登場人物のせりふも興味深い。上田吉次郎というユニークな俳優が扮する人物のことばがすごい。「羅生門の鬼が人間が怖くて逃げ出したらしい…」。人間の方がずっと悪(わる)で鬼すら恐れをなすというわけだ。「人間が犬をうらやむ時代なんだ…」。生活が苦しくて、生きていくことすら辛く、むずかしい。だから、犬の方がよほどのんきでいいじゃないか。こんなせりふを思い出していると、何となく今の日本をふと思ってしまった。「羅生門」談義はもう少しつづくことになりそうだ…。(03/9/01-136) |