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34歳の集団力学研究所(11)(2001)
− 組織安全学の構築 −
 

 久々の「○歳の研究所」である。順調に続くかに思えたこのシリーズも10回目が終わった時点でストップした。この間、4年もの歳月が流れている。最後のサブタイトルは「オーストラリア思い出の記」だった。つい遠くを見る目になってしまう。あれから4年,研究所にも大きな変化が起こった。その筆頭は三隅二不二先生がご病気で倒れられたことである。199612月,ドイツでの学会から帰られてから体調を崩された。その後第一線から身を引かれ、所長職も辞任された。もちろん,その功績の輝きが消えることはない。今も名誉所長として,われわれの活動をバックアップしていただいている。後任の安藤延男先生は、九州大学に集団力学講座が発足した当初から,グループ・ダイナミックスと深くかかわってこられた。九州大学教授を経て,福岡県立大学長をお勤めになった。学長を辞された後,福岡県人権啓発情報センター館長として,ご多忙の毎日を送っておられた。そんな中で,研究所長もお引き受けいただくことになったのである。さらに間もなくして、学校法人福原学園の理事長にも就任された。とにもかくにもお忙しい限りである。
 この物語の著者である私も大きく変わった。すでに50歳の大台を超えてしまった。その結果、さまざまな事件が次々に起こる。まずもって、世の中の字が小さくなってきた。あるいは,「小さな字が見えにくくなった」のかもしれない。体は正直なものだ。はじめのうちは,この変化にかなり抵抗していた。しかし,それにしても、新聞をはじめ,まわりの文字がどんどん小さくなり,印刷がぼやけてきた。そんな時,調子のいい店の主人に奨められるがままに,「メガネ」と呼ばれる奇妙な形をしたものを購入した。それでも日常はできるだけかけないでいる。しかし,つい先日の研究会で大先輩の黒川正流先生から,「目が遠いな」と指摘された。その時,先生の目は明らかに輝いていた。研究で新しい事実を発見した時よりも嬉しそうなお顔に見えた。「文字が近くでは見えませーん」。こんな答えをするのが精一杯だった。これを老眼というのかしらと、初めて思い当たった。そして事態はますます厳しさを増してくるばかりだ。そうなるとそうなったで,自分を納得させる合理化をしはじめる。「これでもメガネは遅い方だ。40代から老眼の連中がたくさんいるじゃないか」。こうして,自分が「老眼」であることを納得していくのである。そんなことで,このシリーズでも活字のポイントを上げることにした。
 それにしても,「光陰矢のごとし」。あっという間に4年もの月日が飛んでいった。青春時代の日記をめくりながら,「50回くらいにはなるかな…」と大いにやる気を起こしていたことを思い出していた。そんなとき,「例の『○歳の研究所』シリーズ,まだ終ってなかったでしょ。研究所の歴史物語なんだから,続きを期待してるのよ…」。こんな声が、周囲の方々から聞こえてきた。つい目頭が熱くなるのを感じながら、ここに復活を誓ったというわけだ。ああ,それにしても研究所も今や34歳なのである。
 もともと「なんでもあり」で書かせてもらってきたので、今回は、本号の特集と関連させて、まとめてみたくなった。「研究所人脈シリーズ」は,次の機会にゆずることにしよう。
 最近、「組織安全学」を展開しようと大風呂敷を広げている。それは、あらゆる既存の組織の安全が危機に瀕しているからである。ニューヨークのテロは、今世紀末にはトップニュースの上位に挙げられるに違いない。もっとも、そのころまで人類が生きながらえていた時の話ではあるが…。わが国でも,耳を疑い,目を覆いたくなるような事件や事故,災害が続発している。「放射能洩れ事故」が起こるかと思えば,「医療ミス」は頻発する。そして、「家庭内暴力」「学級崩壊」などは,教育の問題というよりは,現代の社会問題である。そして,「少年」が引き起こす事件また事件。その上に,社会の安全を守るはずの警察で,信じられないような不祥事が続く。日本の将来は真っ暗でなないか…。
 開高健の「パニック」という小説を高校生の時に読んだ。もう30年以上も前のことだ。新潮社の「日本文学全集」に収録されたその小説は,私に鮮烈な印象を残した。ある地方でササが花を開いて実を結んだ。120年ぶりのことであった。ササの実には小麦と同じほどの栄養価があるそうだ。ネズミはそれを食べ,際限なく繁殖していった。そして数が増えすぎて,ついには人間を襲う事態が予想されることになる。その間に、さまざまな人間模様が描き出される。しかし、何といっても強烈なのは、そのラストシーンである。そこでは,増えすぎたネズミが行き場を失って,一斉に湖に向かって突進する壮絶な場面が描かれる。まさにネズミの「集団自殺」だ。そのままでは生きていくことができくなったネズミたちの哀れな習性とも受け取れた。それが,生き物の宿命のようにも思われた。
 この小説の記憶が日本の現状と重なってくる。日本人は経済的な成功を目指してひた走りに走ってきた。そして,食べることについては十分すぎるほどの満腹感を味わった。服装も好きなものを着ることができる。移動も自由だ。人のことなど考える必要もない。なにせ「小さな親切、大きお世話」などと揶揄される世の中なのだ。こうしてわれわれは「完璧」とも言える「自由」を獲得した。しかし,われわれは別の「飢餓」に襲われてはいないか。「パニック」のネズミは、たらふく食べて繁殖しすぎた。そのためにすべての食糧を食い尽くし、そのため増殖したネズミたちに必要な食糧がなくなった。その点では,ネズミは,始めから終わりまで「食い物」と切っても切れない関係にいた。われわれは「食糧」を含めた経済的な富を実現した。その富にはかげりが見られるものの,まだ「食糧飢餓」に悩まされるには至っていない。しかし,われわれは確実に「ある種の飢餓」状態にあるのではないか。それは人と人との関係の希薄さに対する飢餓であり,心の優しさが失われたことから生まれた飢餓である。その結果として,さまざまな事件が起こる。自分の存在をアピールするために,人を殺すことすら正当化するかと思えば、はたまたバスを乗っ取る。これまでは,自分のアイデンティティはもっと他の手段で確認できていたはずだ。こうした一連の社会状況が,私に「パニック」を思い出させる。まさに,日本人は「集団自殺」に走っているのではないか。あの湖に突進するネズミたちも全滅することはないだろう。何万・何十万のネズミが,数千匹に減少する。そうなれば、身近にある食糧で十分に生きていけることになる。そこで、また平和な日々が訪れるのである。われわれも,ジタバタせずに、その時期を待つべきなのかもしれない。「覚醒剤」は蔓延し,殺人は日常の風景になる。家庭は崩壊し,社会からは「秩序」ということばが失われる。そして,いつの日か気づくのである。残された日本人が,3000万人程度しかいないことを…。「このままでは日本は滅びてしまう」。そのとき,ようやくまともな危機感が生まれ,再生への努力がはじめられる。まるで数が減ったネズミが再び生きのびていくように…。今日のわが国の状況を見ていると,こうしたシナリオを描いてみたくもなる。こんな状態では,どうあがいても仕方がないように思える。「覚醒剤でも何でもやっちまえ。どうせ気づくまでは,何やっても同じなのだから」「そっちの方が手っ取り早くていいや」。こんな,投げやりで暗澹たるムードが漂いはじめてはいないか。「自分にはどうにもならない」。そんな無力感に襲われてはいないか。しかし,グループ・ダイナミックスを専門にするわれわれが,こんな結論を出すわけにはいかない。「何とかしなければならない」のだ。なんとしても,「集団自殺」を止めなければならないのだ。
 いつもの悪い癖が出た。本論に入る前に、制限枚数に達してしまった。「組織安全学」の本番は、その気になった時に続けよう。ここでCMを…。三隅先生の原子力安全システム研究所・社会システム研究所長ご退任を記念して「リーダーシップと安全の科学」(ナカニシヤ)が出版された。ご一読いただければ幸いである。ところで、新潮文庫収録の「パニック」を再読した。私の記憶に存在し続けた「集団自殺」という文字は、どこにも見当たらなかった。しかし,私には,ネズミの「集団自殺」というイメージが,心の奥底にまで残っていた。人の記憶はそんなものだ。自分で物語を作ってしまう。楽しくもあり、恐ろしくもあり…。