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  27歳の集団力学研究所(6)(1994)
      − 三隅所長”レビン賞”受賞式同行記 −
     

 1995年、また新しい年を迎えた。26歳の研究所もまた一つ年を重ねることになる。ほとんど”個人的思い出”としか言えないこのシリーズも6回目である。しかし、これぞというタイトルはいまだに見つからない。「こんなのはどう?」とおすすめのアイディアを頂くこともない。だとすれば、またしても安易ではあるが、年齢を偽らずに一つ加えて「27歳の集団力学研究所」としておくほかはないだろう。ただし、ここまでくると、たとえすばらしいタイトルが浮かんだとしても、まただれかから「あっ」と言うようなタイトルのアイディアをいただいたとしても、「もうこのままでいくぞ」という居直りに似た気持ちになっていることを正直に告白しておいた方がいいかもしれない。
 さて、前回は昭和40年代に展開された研究所の記念すべき事業である、三菱重工長崎造船所における組織開発について振り返ってみた。昭和40年代といえば研究所の基盤が作られた時代である。まだまだ”思い出話”のネタは尽きることがない。しかし、今回は思い切って時計の針を先に進めてみたい。
 それはもう先刻周知の事実ではあるが、三隅先生が”レビン賞”を受賞されたからである。幸いわたしはその受賞式に参加するチャンスをいただいた。このシリーズではどうしてもそのホットな雰囲気をお伝えしなければならないと思うのである。”Kurt Lewin”といえば集団力学の創始者であり、レビン賞はいわばグループ・ダイナミックス分野における”ノーベル賞”である。レビンは1947年に57歳で急逝したが、彼の功績をたたえて、その翌年の1948年にこの賞が設けられ、それ以来、顕著な業績のあった40数名の研究者に贈られてきた。その受賞者のリストは、われわれとっては目のくらむような偉大な研究者によって占められている。その中にわが三隅先生の名前が加えられることになったのである。これは時計を進めてもとにかく書かなければならない。これが今のわたしの気持ちなのである。
 三隅先生の授賞式は1994年8月13日、ロサンゼルスのウエスティン・ボナベンチャー・ホテル( The Westine Bonaventure Hotel )で行われた。私はよく知らないが、映画「ターミネーター」かなにかの舞台として使われたという実にすばらしいホテルであった。式は折から開催中の”第102回アメリカ心理学会”のスケジュールに組み込まれていた。アメリカ心理学会の重要な部門のひとつに「社会問題に関する心理学的研究学会(SPSSI : The Society for the PsychologicalStudy of Social Issues )」があり、このSPSSIが”レビン賞”を授与するのである。はじめに UCLA の Bertram H. Raven 会長が三隅先生の業績を紹介し、三隅先生に賞状と記念品が手渡された。土曜日午後3時すぎのことである。引き続いて三隅先生がメモリアル・スピーチをされた。スピーチのタイトルは”Development of Group Dymanics in Japan and Leadership PM theory”であった。先生は淡々と、しかし同時に自信に満ちた態度で、自ら進めてこられた研究について語られた。まさにこれまでの研究の集大成であった。講演終了後には質問が続いた。予定された時間をオーバーし、次の会合に参加するために集まった人々が会場の外に待たされてしまうほどであった。質問者の中には、スタンフォード大学の Dr. Zimbardo もいた。彼も知る人ぞ知る社会心理学の分野で優れた業績をあげている”大物”である。わたしは心の中で”すごい、すごい!”と絶叫していた。こうして三隅先生の”レビン賞”授賞式と記念講演は無事に終了したのである。ところで、レビン賞の賞状には、”For furthering in his work,as did Kurt Lewin, the development  and integration of psychological research and socialaction”と書かれている。レビンがしたように、「心理学的研究」と「社会的な実践」を「統合」した研究にこの賞が与えられることが明記されている。「理論」と「実践」を統合させることはレビンが強調し続けた基本的な姿勢であるが、三隅先生の場合も、優れた理論的アプローチと現実的な実践との統合がなによりも高く評価されたのである。
 さて、その日の夕刻には Dr. Kelley 夫妻主催の祝賀会が行われた。Kelley 先生は”帰属理論”の主唱者としてつとに有名であり、三隅先生との親交も厚い方である。日本にも何度かお見えになっており、熊本にも寄られたことがある。そんなこともあって、超一流の研究者としては、めずらしく私も直接存じ上げていた。もちろん私が一方的に知っているというだけであって、先生が私をご存知であった訳ではないけれど…。その Kelley 先生が、三隅先生をはじめ、われわれ同行者全員を食事にご招待してくださったのである。会場は授賞式とおなじ The Westine Bonaventure Hotel 最上階の "Top of Five"、きらめくロスの夜景が一望できるすばらしいレストランであった。ここには、やはり”帰属”の研究で知られる Dr. Winer 夫妻も参加した。夫人は、たしか北欧の出身だったと聞いたが、もうすぐベイビーが生まれるということであった。 Dr. Winer はいったいおいくつだったっけ…。つまらない詮索はさておいて、食事が一段落したところで、Dr. Kelley が、三隅先生との交友にまつわる楽しいエピソードを実に懐かしそうに語られた。あの、三隅先生の”ベサメムーチョ”のことも…。三隅先生の”ベサメムーチョ”は、少なくとも私も1960年代後半にはこの耳で聴いた覚えがある。ところで、われわれの近くの席に学習心理学の大御所 Dr. Hilgard がおり、 Dr. Kelley の紹介であいさつを交わすなど、三隅先生も大変なご機嫌であった。同行したわれわれにも、心に残る会合になったことはいうまでもない。こうして、記念すべき授賞式の夜は更けていった。
 翌8月14日の日曜日には、三隅先生主催の授賞記念パーティが行われた。会場は、 The New Otani 、学会会場と離れているため、ご招待した方々がちゃんと来てくれるだろうかと、やや心配もした。しかし、結果は上々、多くの人々が集まり、大盛会となった。参加者全員が三隅先生の”レビン賞”授賞を祝し、また、研究の話に花を咲かせた。日系のホテルで、和食をベースにした料理であったが、 Kelley 先生が、準備していなかった、" Sake "をご希望になった。さっそくホテルマンに注文すると、兵庫県産の”地酒”がでてきたのには驚いた。今回の震災で灘の酒も大打撃を受けたようだが、あの" Sake "の蔵は大丈夫だっただろうか…。こうして今回の最大のハイライトである授賞式と記念講演、そして記念パーティと、2日にわたるスケジュールは無事に終了した。
 翌8月15日ロス発13時の日航機で帰路につき、日本時間16日の16時過ぎ、ほぼ定刻に成田に到着し、さらに九州へと帰ってきた。8月10日の出発からちょうど一週間の旅であった。ところで、11日に着いたロサンゼルス空港でのことである。入国手続きに長蛇の列。まじめに並んでいると、二人の外国人婦人がなに食わぬ顔をして割り込んで来た。平然としたその態度に感心すらしていると、またまた、今度は青年がいつの間にかわれわれのそばにいる。「おやおや」と思っていると、三隅先生から、「この男は前からここにいた?」と聞かれた。「ちょっとまずいぞ」と思ったが、「いえ、どうも割り込んだみたいですね」と言ってしまった。それを聞くや否や先生は実に不快そうな顔をして、" You are not right!! " 一瞬緊張感が漂ったが、その青年、これまた平然と、" It's an American Style!! " 幸い、それ以上何も起こらなかったが、いつ何時、相手がだれであろうと、思ったことは言わないではおれないという、超国際派三隅先生の面目躍如の一コマであった。それにしても、外国人の入国手続きラインに並んでいたこの男、" It's an American Style !! " だなんて、アメリカ人が聞いたらさぞ怒るだろう。