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 ことばを楽しむ
 
                                       文集「結晶」 序文 (2004)
 みなさんは「雄の牛」を何といいますか。そうです「雄牛」ですね。それでは、「雌の牛は…」「親の牛は…」「子どもの牛は…」「牛乳を出す牛は…」。みんな正解でしょう。念のため、答えは順に「雌牛」「親牛」「子牛」「乳牛」です。そう言えば、子どものころ「牛乳」と「乳牛」の区別がつかずに悩んだことがありました。もちろんいまはちゃんと分かっていますよ。
 それでは、英語で「牛」は何というか知ってますか。そうそうcow≠ナすね。ほとんどの人がそう答えます。けれども、それは「雌牛」とりわけ「乳牛」のことのようですよ。それでは雄牛はどういうのでしょうか。じつはcow≠ノ日本語の「雄」にあたるs≠付けてscow≠ニいうのです。いやいや失礼、これは真っ赤な嘘です。本当はbull≠ニいうのが成長した雄牛です。また、食用や荷役に使う牛はox≠ニいうんですって。さらに、家畜として集合的に呼ぶときはcattle≠ノなります。そして、子牛はcalf≠ナす。しかも、肉用の子牛になるとveal≠ニいうらしいのです。ちょっとかわいそうですが、アメリカなどでは子牛の肉も食べるんです。どうも「牛」については日本語は大いに負けています。
 それにしても、日本語は「牛」に「雄」「雌」「親」「子」などを単純に付けるだけなのに、どうして英語はこんなに複雑なんでしょう。それは、牛との付き合いの歴史が違うからです。日本人がすき焼きをはじめたのは明治時代になってからです。それまでは、主として農耕や運搬用に使っていただけなのでしょう。ところが彼の地では、牛はなくてはならない動物だったに違いありません。それは食用から農作業、さらには衣料の材料としても欠かせないものだったのでしょう。こうしたことから、ことばは歴史や文化、そして毎日の生活と強く結びついていることが分かります。ことばはわたしたちの生活と行動の「結晶」なのです。いつも何気なく使っていることばについて、ときにはその歴史や由来を考えてみたいものです。そこから、未知の大きな世界が広がっていきます。その多くは驚きに満ちた楽しい旅になるでしょう。しかし、ことばが人を傷つけた厳しい歴史の事実に直面することもあると思います。いずれにしても、そのどれもがみなさんの成長に繋がっていくはずです。
 ところで、わたしたちは「牛」では英語に負けたようですが、がっかりする必要はありません。わたしたちの日本語が勝っているものもたくさんあります。その代表は、「お寿司屋さんの湯飲み」を見れば分かります。もう答えはお分かりですね。ここでは正解は言わないでおきましょう…。

 Stop the 日本崩壊
 
                                       文集「結晶」 序文 (2003)
 どこかで、だれかの話し声が聞こえる…。「おーい、世界地図を見てごらん」「なあに」「ほら、ユーラシア大陸の東の端に大きな半島があるだろう」「カムチャツカ半島だね」「そうさ、その半島の下に『ヒョウタン』のようにぶら下がってる島国があるよね」「うん」「この国ってさ、20世紀の終わりころまでは、経済的にもけっこう豊かで、発展途上の国にも援助してたんだって」「へー、そうなの、ちっとも知らなかったなあ」。どこかで、だれかの話し声が聞こえる…。この「ヒョウタン島」が日本であることは、ほとんどの人が分かるだろう。このまま放っていたら、「カムチャツカ半島のヒョウタン島物語」は現実のものになるのではないか…。
 そんな心配をしていたら、追い打ちをかけるような声が外から聞こえてきた。UCLAの日本研究者であるRonaldo Morse教授は言う。「日本は、他の国に貢献するという面から見れば、もう大して重要な国ではなくなっている。この国が、このまま衰退しても、あるいは、地上から消えてしまっても、世界が困るようなことはまったくないだろう(New York Times Weelly版 2002.8.11)」。何という過激な意見だことよ。そして、同じような声がアジアからも聞こえてくる…。マレーシアのマハティール首相が日本に苦言を呈している。「日本は欧米の文化を取り入れ、自分たちの伝統をことごとく変えようとしている…」。彼は、自国の発展のために、欧米ではなく日本を見習えと号令をかけた人である。彼が掲げた「Look East(東を見よう=日本に学べ)政策」は、われわれ日本人にも知られている。その首相が、「今でも日本に注目しているが、それは日本のようにならないための『反面教師』としてだ」と手厳しい。若者に対しては「イヤリングをつけ、破れたジーンズを履くような文化に染まれば、君らも駄目になる」と諭している(熊本日々新聞 2002.10.11)。
 外国人が何を言おうとかまわないと思う人もいるだろう。しかし、少なくとも、わが国が、外からこんな見方をされている事実は知っておいた方がいい。こうした現実の中で、これからの世紀を生きる若者たちに大いに期待したい。なかでも、中学生はその主役にならなければならない。「これからの日本を背負っていくのはわたしたちだ」。このくらいの気持でいてほしい。こんなことを言うと、ちょっと大げさだと思う人がいるかもしれない。しかし、若い人たちが元気でなければ、わが国は、確実にヒョウタン島になってしまう。NHKの「ひょっこりヒョウタン島」は楽しい番組だった。けれど、それが現実になったのでは、しゃれにもならない…。
 若者たちよ、夢と希望をもって、未来を切り開け!